踏みだす一歩。

おおらかに先を見据えて少年を見る。
心が中学1年生レベルな選手が、コーチの陰口を言ったり反抗したりするのは、
未成熟な中学生が親に失礼な態度とるのと同じで、
いまだ幼稚でサッカーの挑戦をする状態にはないということだ。
幼児と同じで、自分にとって「心地よい」からいうことを聞き、自分にとって「同意できない」から不満な気持ちを持つ。
これじゃいつまでたっても自分の世界から抜け出した勝負はできない。
すべて自分に返ってくることなんだと思えば「他人のせい」にすることなど一つもない。
そして周りの賢き同級や後輩からはすでに一瞬で見切られている。
厳しい現実に直面する、大人になってはじめて「ああ」と後悔するなどもったいない馬鹿げたことだ。
そんな幼稚な選手を自問し大人に導ける能力持ったチームは優れた育成チームだ。
ただ「悪貨は良貨を駆逐する」という。
幼稚が徒党を組み空気をつくりだした目標が霞んだチームはどうにもならない。

————————静岡学園高校サッカー部ブログより抜粋————————————

3年生達が坊主にしてきた。
正直困る。
そんな伝統はいらない。
欲しい伝統は、純粋に挑戦するこころ、感謝するこころ。

真剣な指導者と真剣な子供達の空間しかない。

自由は「心地よい」わけでもなく、規律は「強制」されるものでもない。

それが社会としての常識。
それで社会が成り立つわけで、君達はサッカーを通じてそれを学んでいる。

何年か前の選手達が坊主にしてきた純粋な気持ちが汚されることだけは困る。
坊主にしてもサッカーは上手くならないし、チームが強くなるわけでもない。

それでも、キャプテンの方向に全員がようやく向いてきた事だけはほんの一歩、前進したのかもしれない。
今年の唯一の救いは、コラソングランデを持っているグランデ生え抜きの一人の少年の純粋な思いでギリギリ救われている。

お前達に一番足りない事は、本気で挑戦する覚悟だ。

これがなければ、今、県トレ選手であろうと、試合に勝とうと、いずれ落ちていく。

親もまた同様です。
親の一途な心なくして、お子さんが本気で挑戦する覚悟は育ちません。
親のこころが揺れていれば、子供の心はその何倍も揺れてしまう。
子を見れば親もわかります。子は親の鏡です。

遠征での3日間、サッカーに挑戦するこころを整えることはできたのだろうか。

一歩踏み出せば、見える景色は変わってくるもの。

親も子も一歩踏み出してください。

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