15歳の夏

坊主の意味が違う。

と言ってもウィキペディアに書いてあることではない。

昨日Aチーム選手達がゾロゾロと頭を丸めて練習に来た。

正直ドン引きした。

なぜ?坊主なの?

坊主になったストーリーが変だ。

その前日、歴代の先輩達が歯を食いしばって2時間以内で走った道のりを彼らは
往復4時間以上もかかりコーチも帰れず待っていた。

グランドに猛烈な勢いで走り込みそのまま頭から水道の水を被っていたエネルギー満ちあふれた少年達の笑顔。
歴代の少年達の無限の可能性の湧き出る汗。
彼らの顔を思い出すと自然と笑みがこぼれる。
懐かしい。

やってやる。
それがなければ、
自分への挑戦がなければ、

無理矢理走ることは単なるシゴキだ。
イジメと同じだ。
絶対楽しくない。

指導者を信じ、信頼しあっている根底があるからこそ選手も指導者も限界まで頑張れる。

歩く連中がいればいるほど、足が遅くても、コツコツとゆっくりでも良いから走りきれば一番になれたチャンスなのに。
やはり日頃走りの遅い選手も徒党を組んでいたらしい。

もったいない。

サッカーも人生も良い時だけ先頭を走りつづけることが成功ではない。
どんな時でもビリでも良いから自分の意志(目標・目的)を持ち走り続けるメンタリティー。

そうすれば勝手に前を走っていた選手がひとり、ふたりと歩き出す。
誰一人追い抜かなくても先頭集団にいるものだ。
気がつけば人生の成功者になっている。

コーチが親切にヒントくれたのに、反省の仕方が違うと思う。
坊主にすればOKなんてバカじゃない。

俺もナメられたものだ。ふざけるな。

前回は仲間と全員で坊主にすること自体にとても大きな意義・意味があった。
今回は走りという競争。前回とは中身が違う事がわかっていない。

これではテレビ報道等で決まりセリフでいつものパターンで謝罪しているオヤジ達と一緒だ。

そしてなによりも、坊主にしただけでいつも通り普通に練習しているのがおかしい。

コーチから言われた言葉が響いたならば、お決まりパターンで全員坊主ではない。

まずは素直に行動すること。

自分の意志でこころに秘めて、

「父さん坊主にしてくれ」
「俺また失敗しちまった。坊主にしてどうなるものでもないのは分かっているけどそうしたい気持ちなんだ」

そんな気持ちで翌日一人だけ坊主で鋭い目つきで来れば良い。
強い目で見つめ強い握手で決意を持ってトレーニングを始めれば良い。
昨日の失敗をチームではなくて個人として取り返せば良い。

それができない、自分で考えることができない。

集団で徒党を組むだけ。これはチームワークと別次元。
個人としての資質を高めるところからチームのレベルも高くなる。

おおよその相場
鉄くず1キロ35円。
純金100グラム35万円。
鉄くず1000人いるよりも、純金1人の方が価値(世界評価)が鉄くず1000人よりも1000倍はある。

大切な事は自分が間違っていたという気持ちや思いを
自分の方法でなによりも早く、伝えることが一番だと思う。

素早く行動できることが若者の特権だと思う。

俺の仕掛けた本当に信頼できる「金男」探しはまたしても不発であった。

今年のチーム。

「金男」不在のまま終わるのか。

15歳の夏は今年だけだよ。

純金と比較できない。価値のつけようがない。が、世の中に必要な天然物質1

 

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純金と比較できない。価値のつけようがない。が、世の中に必要な天然物質2

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挑戦するこころについて

挑戦するとは戦いに挑むこと。

戦いに挑む先には勝利という目的がある。

そう考えると、実力もなく闇雲にトライすることは挑戦とは言わないな。

私のチームは個人技術・特にドリブルのチームというイメージがあるらしいが、
これは少しニュアンスが異なるし、全国レベルでの立ち位置で考えるととてもではないがドリブルに特化したチームなんて恥ずかしくて言えない。

正直、県内でも他チーム選手の方がドリブル上手い選手ゴロゴロいる。

そんな田舎レベルの下手くそチームであるからこそ
限られた時間の中で磨いて欲しい技術の優先順位がドリブルであるだけのこと。

パスもロングキックも戦術も絶対に必要なこと。

ドリブルとは10人の仲間に助けられている中でボールを運ぶ技術である。

ワンタッチの微妙なコントロール連続で成り立ち、常に相手や見方の状況をコンマ数秒の間に判断し続けていく。

この瞬間、瞬間の連続を身につけて行くことでゆとりが出てくると自然とパスコースも見えてくる。

全身全霊を注ぎ続ける緊張感の中で相手を抜き去りゴールを決めた感覚は言葉であらわせられない程、刺激的である。

もうサッカーはやめられない。

ワールドカップにおいても観客が一番興奮する瞬間だ。

なによりも相手と接触する可能性が高い。

削られたり、引っ張られたり、押されたり、バランスを崩した中でボールを扱い続ける。

間違いなく精神的にも身体的(アジリティー)にも向上する。

育成年代には必須だ。

そして、

一番大切なことは選手本人。

自分の技術・将来を見つめること。
13歳、14歳、15歳の自分が今、何を磨いていくことが近い将来において大切かを考え続ける事だ。

その環境を指導者や親が作れるかどうかだ。

メッシやネイマールは特別な存在、なれるわけはないのだからドリブルはさせないというチームもあるらしい。

様々な考え方があることは大切だが、そこからは挑戦するこころは生まれづらいだろう。

そして仕上げのユース年代(高校)へ送り出すのであるが、

ドリブラーだから、誰もが個人テクニック重視の高校へ行かせるというのもナンセンスと思っている。

確かにドリブルはその子の武器ではあるが、世の中は自分の嗜好が集まった中にいるとそれが世の中の基準と勘違いするおそれが一番困る。

自分の武器がドリブル重視でない高校でも認められ仲間から信頼され通用することが重要である。

これは社会生活においても同様だ。

「挑戦するこころ」とは未来を見据え、コツコツと地道に「自分という人間まるごと」磨き続ける事である。

自分のこころへの挑みであり、永遠の戦いともいえる。

「挑戦するこころ」がチームに仲間に社会に迷惑をかけているのであれば

それは「挑戦するこころ」ではなく「身勝手な信頼されない可哀想なヤツ」なだけだ。

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一刹那正念場

一刹那(いちせつな)とは一瞬ということである。

正念場(しょうねんば)は歌舞伎からきた言葉。

一曲・一場の最も重要なところ、ここぞという大事な場面を指す。

一瞬一瞬を人生の最も大事なところ、人生の勝負どころ、本番と捉えて真剣に生きよ、と教えている言葉が一刹那正念場である。

人生は山登りにたとえらえる。

山登りには登る人と下りる人がいる。

それは年齢ではない。

「90パーセントの人は山を下りている。90パーセントの人は力を出し切っていないからだ。人生の山を登っている人は10パーセント」と言うのは人材教育家の井垣利英さん。

なるほど、と思う。

そういえば明治期のリーダーたちは、「自分が一日怠ければ、日本の進歩が一日遅れる」という気概を持って生きていた。

当時の日本には山を登っている人が多かった、ということである。
だから日本は日清・日露の戦いに勝利し、世界に伍していくことができたのだといえる。

井垣さんはこうも言う。

「1時間は1分が60回。1日は1時間が24回。ひと月は1日が30回。1年はひと月が12回。10年は1年が10回」。

10年後どんな自分になっているか。

何となくいまよりもよくなっている、と思っている人が多い。

しかし、いまの生き方がそのまま10年後のその人の生き方であり、年を取った分だけ人生は下り坂になっている。

そうならないためには、いま目の前にあることに全力を尽くすこと、その姿勢を習慣にすること。

井垣さんの言葉は一刹那正念場に生きる大事さを説いてあまりある。

~省略~

中川一政さんが97歳の時に揮毫(きごう)した「正念場」の書がある。

~省略~

中川さんが残された極めつけの言葉を二つ。

「稽古をしてはならぬ。いつも真剣勝負をしなければならぬ」

「一つ山を登れば、彼方にまた大きな山が控えている。それをまた登ろうとする。力つきるまで」

すべての道に生きる者に不可欠の覚悟というべきだろう。

致知 8月号 7ページより一部抜粋 致知出版社

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一刹那正念場の言葉を使わなくてよいが、

試合においても、ここぞという大事な場面はゴール前やシュート場面だけではないということ。

大事な場面はワンタッチ全てであるということだ。

若いから山を登っているわけではない。

登るには自分の足で踏み出す必要がある。

毎日がラクであるなら、やはり若くても坂道を下っている。

下りで加速しだしたらなかなか止まれなくなる。危ない。

仲間と比較する必要はない。

関係ない。

自分のペースでよいから。

休みながらでも良いから。

コツコツと一歩一歩。

前へ踏み出して行こう。

030

 

Obrigado Brasil!

至福の睡眠不足の1ヵ月が終わってしまいました。

1978年。紙吹雪舞うアルゼンチンvsオランダ。
44ケンペスの姿が昨日の事のように思い出されました。

昨日は東京で感慨深い素晴らしい時を過ごしました。

そのままドイツvsアルゼンチン見応えのある決勝戦を楽しみました。

アルゼンチンは大会を通じて一番良いモチベーションでゲームに入ったように思いました。
が、
イグアイン、メッシと主役にならなければいけない二人が1対1の場面を外し勝利の女神を引き寄せられず延長に突入しました。

延長後半、ゲッチエが機能しないと岡田さんが解説していた矢先に(^^)!
ゲッチェが見事なワントラップからゴールネットを突き刺しました。

アルゼンチンも延長前半ジェロムレバンナみたいな?パラシオにも同様なチャンスがありました。
勝者と敗者を分けたのはボールをミートするワンタッチの差でした。

もっともゲッチェのシュートもロメロはこらえきれず右足に体重を移動させてしまいましたが
ノイアーであったなら、あと少し我慢して左手に当てていたことでしょう。

前回優勝のスペインはバルサ中心その時の監督はベップ。
そして今回はバイエルン中心。そのバイエルンの監督はベップ。

昨年のチャンピオンズリーグ準決勝でバイエルンがバルサに完勝したゲームを思い出しました。

ドイツはフットサルでいうエントレリネアス(ライン間)でボールを受けるのが当たり前に行われていました。(バイエルンで行われていることです)

他のチームもライン間で受けていると思われた方も多いかと思いますが、くさびのパスのイメージに近いパスであったり攻撃選手2,3名での崩しのイメージです。

ドイツのエントレリネアス(ライン間)は全選手が関わっているイメージの崩しであり、
ポゼッションというよりも決定的チャンスを作り出す場面の一段階前の場面でライン間に選手が瞬間的に入ってくるまさにエントレリネアスであり、
流動的に素早く連動することで相手組織に乱れを生じさせ効果的に速攻につなげシュートまで行っている形が多かったと思います。

そしてなによりも攻撃も守備も11人全員で知的かつ迫力あるサッカーをやっているチームでした。

1対1での球際に強く、かつしたたかさがあり、初戦ポルトガル4-0、ブラジル戦7-1と自分達の流れが来た時にしっかりと得点を重ね強豪国を圧倒して予選から決勝まで勝ち抜いたポテンシャルには恐れ入りました。

ドイツは「勝者のメンタリティー」と呼ぶに相応しいチームです。
このメンタリティーは一朝一夕で身につくものではなく育成も含めたマネージメント能力の素晴らしさであったと感じています。

余談ですがメッシのMVPは・・・本人が一番悔しいでしょう。

日本代表は別の大会に参加していたようにも感じてしまいました。(ゴメンナサイ)

きっと日本は2010年スペインが優勝した時のように今日からドイツ人のクリニックが多数開催され各地でドイツサッカーを語り目指す指導者やチームが増えてくるのでしょうね。

日本が世界と真剣勝負で戦い抜ける「勝者のメンタリティー」を手に入れるには・・・。

スペインやドイツを真似ているだけでは常に4年昔であり続けてしまうのであろう。

2018年、2022年・・・・未来を想像し指導者も選手も創造し続けていかなければならない。

Obrigado Brasil!

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あるレジ打ちの女性

ミュラーの1点目はまさにフットサルのコーナーキックでした。
昔で言うエイトの動きと同じです。

FINALはドイツVSアルゼンチンになりました。大会前はブラジルvsアルゼンチンの予想でしたがドイツは決勝進出に値する素晴らしいサッカーをしていると思います。

そんな2日連続の睡眠不足の中、今日は豪雨の為チームの活動を中止にしました。
久しぶりに本棚から数冊目を通していました。
新書も良いですが何度も読む中からの新たな感じ方も楽しいものです。

スポーツ同様に書物も人の心にエネルギーをいただけますね。

読んだ選手もいるかもしれませんがアップしました。

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「あるレジ打ちの女性」

その女性は何をしても続かない人でした。

田舎から東京の大学に来て、部活やサークルに入るのは良いのですが、すぐイヤになって次々と所属を変えていくような人だったのです。

そんな彼女にも、やがて就職の時期が来ました。

最初、彼女はメーカー系の企業に就職します。
ところが仕事が続きません。勤め始めて3ヵ月もしないうちに上司と衝突し、あっという間に辞めてしまいました。

次に選んだ就職先は物流の会社です。

しかし入ってみて、自分が予想していた仕事とは違うという理由で、やはり半年ほどでやめてしまいました。
次に入った会社は医療事務の仕事でした。
しかしそれも「やはりこの仕事じゃない」と言ってやめてしまいました。

そうしたことをくり返しているうち、いつしか彼女の履歴書には入社と退社の経歴がズラッと並ぶようになっていました。
すると、そういう内容の履歴書では、正社員に雇つてくれる会社がなくなってきます。
ついに彼女はどこへ行っても正社員として採用してもらえなくなりました。
だからといって、生活のためには働かないわけにはいきません。

田舎の両親からは早く帰って来いと言ってくれます。しかし、負け犬のようで帰りたくはありません。

結局、彼女は派遣会社に登録しました。

ところが派遣も勤まりません。すぐに派遣先の社員とトラブルを起こし、イヤなことがあればその仕事を辞めてしまうのです。

彼女の履歴書には辞めた派遣先のリストが長々と追加されていきました。

ある日のことです。

そんな彼女に新しい仕事がやって来ました。スーパーでレジを打つ仕事でした。

当時のレジスターは、今のようなに商品をかざせば値段を入力できるものではなく、いちいち値段をキーボードに打ち込まなければならず、タイピングの訓練を必要としたものでした。

ところが、勤めて1週間もするうちに「私はこんな単純作業のためにいるのではない」と考えるようになったのです。

とはいえ、今までさんざん転職を繰り返し、我慢の続かない自分が、彼女自身も嫌になっていました。

もっと頑張らねば、もっと耐えなければダメということは本人にもわかっていたのです。
しかし、どう頑張ってもなぜか続かないのです。

この時、彼女はとりあえず辞表だけ作ってみたものの、決心をつけかねていました。
するとそこへお母さんから電話がかかってきました。

「帰っておいでよ」

受話器の向こうからお母さんのやさしい声が聞こえてきました。
これで迷いが吹っ切れました。彼女はアパートを引き払ったらその足で辞表を出し、田舎に戻るつもりで部屋を片付け始めたのです。

ダンボールに荷物を詰めていると、机の引き出しの奥から1冊のノートが出てきました。

小さい頃に書きつづった大切な日記でした。
なくなって探していたものでした。

パラパラとめくっているうち、彼女は「私はピアニストになりたい」と書かれているページを発見したのです。
そう、彼女の小学校時代の夢です。
「そうだ、あの頃、私はピアニストになりたくて練習頑張っていたんだ」

彼女は思い出しました。

なぜかピアノの稽古だけは長く続いていたのです。
しかしいつの間にかピアニストになる夢をあきらめていました。
彼女は心から夢を追いかけていた自分を思いだし、日記を見つめたまま本当に情けなくなりました。
「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。履歴書にはやめてきた会社がいくつも並ぶだけ。自分が悪いのはわかっているけど、なんて情けないんだろう。そして私は、また仕事から逃げようとしている」
そして彼女は目を閉じ、泣きながらお母さんにこう電話したのです。

「お母さん、私、もう少しここでがんばる。
彼女は用意していた辞表を破り、翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために出勤していきました。

ところが、「2、3日でもいいから」とがんばっていた彼女に、ふとある考えが浮かびます。

「私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も引き間違えたけど繰り返し弾いているうちに、どのキーがどこにあるか指が覚えていた。そうなったら鍵盤を見ずに、楽譜を見るだけで弾けるようになった」

彼女は昔を思いだし、心に決めたのです。

「そうだ、私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と

彼女はキーの配置を覚え、ピアノを弾く気持ちでレジを打ち始めました。
すると、不思議なことに、これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、今まで見もしなかったところへ目がいくようになったのです。

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした。

「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」

「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」
いろいろな事が見えるようになったのです。
それは彼女のひそかな楽しみにもなりました。
そして色々なお客さんを見ているうちに、今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです。

「この人は安売りのものを中心に買う」
「この人はいつも閉店間際に来る」

「この人は高いものしか買わない」とかがわかるようになりました。

そんなある日、いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが5.000円もする尾頭付きの立派な鯛をカゴに入れてレジへ持ってきたのです。
彼女はびっくりして、思わずおばあちゃんに話しかけました。

「今日は何かいいことがあったんですか」
おばあちゃんは彼女ににっこりと顔を向けて言いました。

「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。いいだろう、この鯛」と話すのです。

「いいですね。おめでとうございます」
嬉しくなった彼女の口から、自然に祝福の言葉が飛び出しました。

お客さんとコミュニケーションを取ることが楽しくなったのはこれがきっかけでした。

いつしか彼女はレジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。
「今日はこのチョコレートですか。でも今日はあちらにもっと安いチョコレートがありますよ」
「今日はマグロよりカツオの方がお得ですよ」
たくさんのお客様とお話ができるようになったのです。
彼女はだんだんこの仕事が楽しくなってきました。

そんなある日のことでした。
「今日はすごく忙しい」と思いながらもいつものようにレジを打っていました。

すると店内放送が響きました。

「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。どうぞ空いているレジにお回りください」

ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。

「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジにお回りください」

そして3回目、同じ放送が聞こえてきた時に、初めて彼女はおかしいと気づき周りを見渡し驚きました。
どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。
店長があわてて駆け寄ってきます。
そしてお客様に「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」と言ったときです。
お客さんは店長の手を振りほどいてこう言いました。

「ほっといてちょうだい。私はここへ買い物に来ているんじゃない。あの人としゃべりに来ているんだ。だからこのレジじゃないとイヤなんだよ」

その瞬間、彼女はワッと泣き崩れました。

その姿を見て、お客様が店長に言いました。

「そうそう。私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ。今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。だからこのレジに並ばせておくれよ」

彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。

仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと、初めて気ついたのです。

そうです。すでに彼女は、昔の自分ではなくなっていたのです。
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涙の数だけ大きくなれる!

31ページより抜粋

フォレスト出版社  (2008/9/4)

著 木下 晴弘 

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仕事もサッカーもそして勉強も「真剣に楽しむ」根っこは同じだと思います。

指導者もまた、勝ち負けや、戦術ばかりに目が行っているうちは
こどもたち一人一人のいろいろな事は見えてこないでしょうね。

今日は良い休息になりました。(^^)!