período de prueba

子ども達の試験休みを利用して、横浜元町へ行ってきました。

一応仕事です。(^^)!

渋滞もなく2時間程度で到着しました。

こう見えても、絵画とか、映画とか好きで、元町界隈の風景は絵画や映画に映えることもあり好きでした。
港の見える丘公園、外国人墓地、近代文学館等昔はよく行きました。笑

だからなのか、サッカーにも求めてしまうのかしれません。

美しいサッカーを追求してしまいます。

美しいとは人によって違いますが、その町並みや、人柄から感じ取れる、バックボーンの存在が不可欠なのです。

だから整形した美人の女性の笑顔はもちろん嫌いではありませんが、内面から溢れ出る笑顔の女性の方が美しいと私は感じます。魅力を感じます。

ある程度勝ち進むチームであっても、ストーリーを感じないロングボールを蹴っているサッカーに魅力を感じないのは、それが美しいと感じないからなのかもしれません。

バルサのような歴史と哲学があるチームが大好きです。

元町には古くからある商店が沢山あります。

店主さんがプライドを持って長年お店を営んでいます。

お年寄りの店主さんがスーツをパリっと着こなしてカッコイイです。

ユニクロとか、大手スーパーとかはありません。(たぶん??)

スーパーはユニオンです。ここの紙袋はカッコイイと思った記憶がありました。

きっと元町に来るお客様は雰囲気も楽しんでショッピングに来ているのだと思います。

そしてお客様を受け入れる側にもこころの余裕があるのだと思います。

私のクラブチームもそうありたいと思っています。

価格競争、お客様の奪い合いの激戦区で鎬を削っていることが現代社会なのでしょう。
半年後に行ったら人気店だったお店が違うお店に変わっている。
それが当たり前なのか人々がたいして驚きもせず新装開店のお店に入っていく日常。

元町商店街のように長い歴史の中で自分達のスタイルに誇りを持って商いをし続ける。
ゆったりと流れる時間の中で最高の追求をしていきたいものです。

試験休み期間中もどれだけ自分のこころを磨けるか、自分との勝負です。笑

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車も私同様にデカクて目立ってしまいました。笑
元町には洒落た車が沢山停まっています。

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ダニエル家具さんとは20年以上のお付き合いです。

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DENのステンドグラスです。

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大きな椅子は私用ではありません。子ども達が座ってお母さんが写真を撮るシーンが幾つもありました。笑

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お昼は港の見える丘公園でウチキパンのピロシキとカレーパンとメロンパンを食べました。

夜はこのまま目白の学習院大学近くで、スポーツビジネス交流会に出席してきました。
リオオリンピックの金メダリストのトレーナーさんや、大学駅伝のトレーナーさん、プロ野球やJリーグのメンタルトレーナーの方等沢山の素晴らしい方々と交流を深めることが出来ました。

努力や可能性を大切にしてる人たち

自信を失った人の中には、自分を守るために、自分以下を作る努力をする人がいます。

人を見下したり、評論したりします。
それは、「差別」の元になると思います。

人の努力を邪魔する人もいます。

こういう人たちは、自分を「普通」で防御し、「普通じゃない」ことを攻撃します。
人の努力や可能性を否定します。

自分のやりたいことに向かってがんばってる人が、そういう人に関わると、ものすごく凹まされてしまうことがあります。

でも、なかには負けないで、「いつか見返してやる!」とがんばる人もいます。

でも、実は、そういう人を見返すのは不可能です。
だって、そういう人は、正しい評価なんてできないし、する気もありません。
そういう人は「自分以下を作りたい」だけです。
だから、どんなにがんばっても努力しても、否定されるだけです。

だから、努力を否定する人や、可能性を否定する人の言うことで、傷ついたり、苦しんだりするのは、無駄です。
と、わかっていても、苦しいものは苦しいです。
悲しいし、悔しいです。

そういうときは、努力や可能性を大切にしてる人たちと関わることが一番です。
自分は一人ぼっちじゃないんだ。
自分はおかしくないんだ。
ということを、感じられたら、安心できます。

残念ながら、自信と可能性をうばわれた人はかなり多いです。
だから、普通にしていたら、そういう人としか出会えない可能性が高いです。

少しの勇気を出して、がんばる人たちに会いに行くといいです。
この世のどこかに、必ず、支えてくれる人がいます。

その経験を経たら、きっと、今度は、支える人になれると思います。
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植松努 さんの FBより転載させていただきました。

植松努さんからはいつもエネルギーをいただいております。

世間話程度はしますが、年上だからとか年下だからとか言っている方とは私は付き合っている暇がないんです。

努力や可能性を大切にしてる仲間達と今日も私は会い続けます。(^^)!

選手諸君もそんな仲間と切磋琢磨していこうね。

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Better together

5月31日日曜日大安。東京青山にて長男の挙式・結婚式が行われました。
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既に新婚生活はスタートしておりましたが、
結婚式・披露宴を挙げて息子が新たなる人生の道を歩み出したんだと実感しました。
そして嫁さん家の皆様方とも親族になったと確信しました。
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田畑家に最高の嫁さんが加わりました。

私が結婚したのも長男と同じ25歳でした。
結婚と同時に東京から八ヶ岳へ夢と希望を抱いて、
一人も知人のいない見知らぬ大地へやってきて1年後に誕生したのが長男壮一朗です。

あれから27年。私と妻と歩んだ人生の道もまた長男壮一朗と共に歩んだ人生でした。
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25歳。借金とともに世間知らずの若造がDENを立ち上げ(^^)! 無我夢中の毎日でした。
(おそらくこれからも・・)
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DENオープン2週間後にスポーツ少年団登録とともに監督。
4年間未勝利の弱小チーム、存続の危機、幼児サッカー普及活動、ジュニアユースクラブ設立、NPO設立、市スポーツ施設指定管理受託、ヴァンフォーレ甲府と業務提携締結、等々。

全てが前例のない、真似ることの出来ない、初モノづくしの連続でした。
(おそらくこれからも・・)

気がつけば八ヶ岳はサッカー人口ゼロからサッカー不毛の地とは言えない所まで発展し(^^)!
気がつけば、DENの借金も完済し(パチパチ)。
気がつけば、長男・次男は立派?に成長し(ほんとかな・笑)。
気がつけば、大学受験を控えた高三娘を残すのみとなり。
気がつけば、私の額は年々広がって白髪オヤジと劣化しました。(^^)!

浦島太郎のように27年前が昨日の事のように感じます。

ひとつも劣化していないことがあります。
それは、DENのクオリティーと、家族を大切にすること、子ども達への愛情と、サッカーへの情熱です。(^^)!

そして、27年前山梨の知り合いが0人であった私が、沢山の友人・知人に囲まれるようにもなりました。
大袈裟かもしれませんが日本中に私の友人がいてくれている。海外にも少し。(^^)!
そして沢山の教え子達と今もこうして笑顔で再会ができる。
「あの時は最高に楽しかった」と語り合える。
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私は本当に幸せです。

[一緒にいると楽しい]と感じる人達と毎日触れ合える。

好きな事をやって生きて行ける。

家族がある。

子ども達の素直な眼差しを感じながら、汗の臭いに囲まれながら、
沢山の方々からエネルギーをいただけている。

人生は本当に素晴らしい。

全ての人々に

感謝!

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Better together. ~  一緒にいると楽しい!

年頭所感2015

今日は「人日の節句」でした。一般的には七草粥を食べる日だ。
陰暦1月7日はお正月最後の日でもある。

古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。

また、この日には7種類の野菜(七草)を入れた羹(あつもの)を食べる習慣がありこれが七草粥となり江戸時代より一般に定着した。人日を含む五節句(1/7,3/3,3/5,7/7,9/9)が江戸幕府の公式行事となり、全ての武士が七種粥を食べて、一年の豊作と自然からの新たな生命力を得て無病息災を願い人日の節句を祝った。
——Wikipediaより抜粋——

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今日はそんな日なのだが、朝一の富士山を冷たい空気の中で観ていると、まさに自然からの新たなる生命力を得ている自分がいる。
エネルギーをいただけているように感じる。

私は人生の半分以上、4半世紀以上、子ども達とサッカーを通じて監督という立場で携わらさせていただいてきた。

私みたいな身分不相応な者がこんなにも長く人の上に立たさせて頂けている事に全ての方々に感謝しかない。

20代の頃は子ども達と一緒にボールを蹴っていた。
自分のチームが勝った負けたで喜んでいた。
私の方が紅白ゲームで活躍して子ども達から「大人げない」と何度言われたことか。(^^)!

30代の頃はトレセンコーチや近隣スポーツ少年団の子ども達も教えたりする中で他チームの子ども達とも交流ができ、試合の勝ち負けよりも選手の技術を育てる事が楽しく感じるようになった。

40代の頃はサッカー協会の理事や様々な役職を経験する中で山梨県以外のチームや組織も考えるようになった。

50代になって、息子達や教え子達の多くも社会人となつていく中で、サッカーを通じて子どもと親が、その子の家庭が幸せになれば、それでよいのではないかと思うようになってきた。

それでも、
20代の頃から変わらない事がある。

子どもが主役であるということ。
迷った時は、子どもにとって幸せな方で判断して進んできた。

日の丸を付けた選手をこの八ヶ岳から誕生させるという夢。

この思いは変わらない。

いや、益々強くなっている。

その中で感じてきた事は、
子ども達から得られる事、学ぶ事の方がはるかに大きいことであったなと思う。
今があるのは紛れもなく子ども達と接し続けさせていただけたからだ。

富士山や八ヶ岳の山々からいただく自然のエネルギーに負けないだけの大きな人間としてのエネルギーをもらい続けてきたことだ。

たまたま子ども達より先に私が生まれてきただけであって、私よりもはるかに優秀な子ども、感受性の強い子ども、もちろんサッカーも上手な子ども等沢山いる。

教師でもない私ではあるが、子どもと親の出会いのように、
縁あり、私と出会った素晴らしい子ども達に、
私ができることはやはり教育者、指導者として精進していくことである。

そう感じた人日の節句日でした。

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そうそう、20代の頃から変わらない事がまだあった。
試合したい、ボール蹴りたい、ゴール決めたい、勝ちたいと思う気持ち。
俺はサッカーが大好きであるということは28年経っても変わらない・これからも変わらない(^^)!

ここを離れない

中国の古い昔、鹿蘊(ほううん)という坊さんが師匠に弟子入りを願い出た。

禅門は簡単に入門を許さない。玄関で待っていると師匠か現れ、いきなり桶の水をバサッとかけた。他の志願者は皆腹を立て帰っていったが鹿蘊だけは残り続け、入門を許された。弟子になって間もないある日、師匠が外出した。鹿蘊は蔵に入り、普段は食べられないご馳走をつくって皆に振る舞った。ところが、思いがけず予定より早く師匠が戻ってきた。師匠は激怒し、鹿蘊を寺から追い出したばかりか、ご馳走した分を町で托鉢(たくはつ)してお金で返せ、と要求した。鹿蘊は風雨の日も厭(いと)わず托鉢を続け、ようやくお金を返した。すると師匠は「おまえが托鉢している間野宿をしていたのは寺の土地だから家賃を払え」と迫った。鹿蘊はその言葉に従い、また黙々と托鉢を続けた。その様子をじっと見ていた師匠は弟子を集め、自分の後継者か決まった、と宣言し、鹿蘊を皆に紹介した。

弊社主催の徳望塾で円覚寺南嶺管長が述べられた話しである。

これに続いて、横田管長はご自分のことを話された。
横田管長は四十五歳で円覚寺の管長に選ばれたが、なぜ自分が選ばれたのか分からない。ただ一つ、これかなと思うものがある。それは「ここを離れない」という一事。
どんなことがあってもここから離れない。ここを見限らない。ここに踏みとどまる。自分が貫き得たのはこの一つ。それを師匠は見ていてくれたのではないか、と横田管長は話されていた。

ここを離れない。長の一念はここに始まりここに尽きるのではないだろうか。

国であれ会社であれ家庭であれ、あらゆる組織はそこにいる長がどういう一念を持っているかで決まる。それがすべてといっていい。

「致知」三十五年、様々な分野の長にお会いしてきたが、すぐれた長には共通して二つの条件があることを強く感じる。一は「修身」、二は「場を高める」。この二点に意を注がない長は長たる資格がない、と断言できる。

気まま、わがまま、ムラッ気を取り去る。修身とはこのことである。さらには、公平無私、自己犠牲、先義後利(目先の利益を追わない。義務か先、娯楽は後)を率先垂範することである。長が私意をほしいままにして、組織が健全に成長するわけがない。

次に場を高めること。長たる者は自分のいる場に理想を掲げ、そこに集うすべての人をその理想に向け、モチベートしていく人でなければならない。「適切な目標を示さず、社員に希望を与えない経営者は失格である」とは松下幸之助の言葉だが、まさに至言である。

加えてもう一つ、長の一念を安岡正篤師が明示している。

「偉くなることは必ずしも富士山のように仰がれるためになるのではない。なるほど富士山は立派だけれど、それよりも立派なものは大地である。山を載せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せて敢えて厭わない。常に坦々としておる。この大地こそ徳である。われわれもこの大地のような徳を持たねばならぬ」

最後に、最近逝去された経営コンサルタントの船井幸雄さんの晩年の言葉を付記する。

「四十余年経営コンサルタントをやってきて分かったことがある。どうしたら経営がうまくいくか。それはそこにいる人が命を懸けている。それが第一条件。いるところに命を懸ける。これか大事」

長として欠かせない姿勢であり、一念である。

※  致知 6月号 長の一念より 転載

八ヶ岳に居を構え27年。
少年団設立27年。
クラブ設立13年。

未だ凡戦。
まだまだ自分はたりない。

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髪がフサフサ・・・若い・・・(^^)!