年頭所感 2020年

新年あけましておめでとうございます。
令和最初の新年となりました。

昭和そして平成の30年間のレガシーから令和となり目に見えない大きなうねりのような強烈な変化を感じます。
驚くような早さで人々が我先に突き進んでいるようです。
その先に何があるのか誰にもわかりません。

昭和的に例えると、バーゲンセール開店と同時に殺到する空気感とどこか似ています。
私はその空気感が苦手です。息苦しさを感じます。

この違和感はジェネレーションギャップなのかもしれません。
単なる杞憂であって欲しいと願います。

それでも見失ってはいけないモノがあると思います。
物事の本質を見極める人間力です。
きっとそれは平成よりも昭和、昭和よりも大正、大正よりも明治とコミュニケーションツールが少ない時代ほど人間力におもむきが大きかったことは確かです。

ゆえに育成年代において人間力を磨く場を作って行く必要があります。

拡大の昭和から継続の平成そして縮小の令和へ。

会社に例えると創業者が昭和、二代目が平成、三代目が令和です。
三代目が会社を潰すとよく言われますが、そうならないためには人間力を磨き創造する力が大切となります。

戦争を知らない、裕福が拡大した昭和とどうにか継続してきた平成で育った子ども達が大人となり保護者となり、人を育てる立場となってきた令和。

だからこそ、人間力がないと創業者の開拓時代すら想像もできない甘やかされた三代目社長と同じになってしまいます。
人間力とは簡単に言えば道徳です。
自分の良心によって、善を行い、悪を行わないことです。
挨拶や目上の方を立てることはとても大切なことです。
人間力ある方にはこの意味の本質が理解できると思います。

私はクラブ設立した2001年からの夢があります。
世界に通用する人間をこの八ヶ岳から輩出することです。
サッカーを通じて人生を豊かにできる大人になって欲しいことです。

私には信念があります。
自分の両親(良心)に恥じない生き方をする。
人間力を磨く事が全ての根底になくてはならない。
育成には時間と愛情が必要である。金儲けが一番であってはならない。

強いチームを作るのではない。気がつけば強いチームになっていただけであり、子ども達に本気で正面から接し人間として一対一の真剣勝負をしないのであれば指導者はできない。
自分の家庭を守れない、自分の子どもを育てられない人間が他所様のお子様を育てる事は出来ないとも思っています。

こころの余裕を持った大人達が増えて欲しいです。
子ども達に昔の横綱のようにどっしりと受け止めてから戦えるだけの心技体を身につけて欲しいです。

新年になっても信念は変わりません。
心の軸を持ち続けることが人間として、ひいては地域の皆様やクラブの子ども達、仲間の皆様にも幸せをもたらすと思う気持ちに迷いはありません。

今日、そして明日、未来へ向かって愚直に精進し続けます。
本年も皆様のご家庭が笑顔あふれる幸せな毎日であることを願っております。

2020年 元旦
田畑雅宏

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家族って素晴らしいな

先日、長男、次男、長女の子ども達3人が、私と妻を1泊2日の温泉旅行に招待してくれた。

久しぶりに温泉にゆっくり浸かれて、久しぶりに心が穏やかになれた気がする。

なによりも、こうして子ども達が僕と妻の事を想ってくれていることが本当に嬉しかったし、みんな立派に成長してくれたことは俺と妻の自慢だし、誇りだ。

本当に嬉しかったよ。

家族って素晴らしいな。
改めてそう感じた。

そんな家族に囲まれて幸せです。

子ども達も同様に幸せな家庭をそれぞれ築いていくのだろうな。

ありがとう!
愛する子どもたち!

そしてこれからもヨロシク!

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子ども達から、「ありがとう」のケーキまで!
食事もメチャクチャに美味しかった。
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家族全員で旅行したのは何年ぶりだろうか?
長男が高校生の時がラストだった気がするから15年ぶりかな?
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31年前に妻と2人でDENを立ち上げた時は想像もしていなかった。
31年後の今、子供たち3人と孫2人に囲まれている。
感謝以外の言葉は見当たらない。
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部屋にも露天風呂。(^^)!豪華!
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飛騨高山はじっくり見て回れませんでしたが、孫たちとも久しぶりに触れ合えたし、本当に素晴らしい時間を子ども達からプレゼントしてもらえました。
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後ろの旅館の文字は、菅官房長官が掲げた「令和」を書かれた茂住修身氏だそうです。
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DENに戻ってきてからも、孫たちが遊んでくれました。(^^)!

鋭気を養えました。
自分の生き方に自信が蘇ってきました。
シンプルに生きていきます。

グランデスタッフたちも家族です。

ピテカントロプスは続く。

教え子から遺書を送られた先生

「教え子から遺書を送られた先生」

徳永先生は、熊本県の歴史始まって以来、
30代の若さで小学校の校長になられたほど優秀でしたが、

「教員の仕事は、教壇に立って教えることだ」

と5年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。

だから、どの学校に行っても校長に嫌われるんですね。

自分より実力が上なものだから。

それで2年ごとに学校を出されてしまうんだけど
行く先々で教師たちが一番敬遠している難しいクラスを受け持って
みんなを勉強好きに変えてしまうんです。

徳永先生は、昼飯を食べない人でした。

なぜ食べないかというと、終戦直後、
昼の時間になると、弁当を持ってこられない子供たちが
さーっと教室からいなくなる。

それでひょっと校庭を見たら、
その子たちが遊んでいたんです。

その時から、自分もピタッと昼飯を食べるのを止めて、
その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。

以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ。

晩年になっても。

これは戦前の話ですが、

「明日は工作で切り出しナイフを使うから、持っておいで」

と言って、児童たちを帰したら、次の日の朝、

「先生、昨日買ったばかりのナイフが無くなりました」

という子が現れました。

先生は、どの子が盗ったか分かるんですね。

この生徒は、兄さんがすばらしく頭がよく、
いつも家で比較されて、偏愛の中で冷たく育っておりました。

学用品を買うのにも

「馬鹿タレ、勉強もできんものが、何を金が必要か」

と叱られるのです。

「あの子ではなかろうか」と暗然とした徳永先生は考えて、
一つの方法をとりました。

昼休みの時間、中には運動場に出ない生徒もいますが、
この日は、全員を運動場に出して遊ばせました。

それで、全員外に出して遊ばせているうちに、
盗ったと思われる子供の机を見たら、

やっぱり、持ち主の名前を削り取って、
布に包んで入っていました。

先生は、すぐに学校の裏の文房具屋に走って、同じナイフを買い、
盗られた子の机の中に入れておきました。

子供たちが教室に帰ってきた時、

「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」

と言うと、

「先生、ありました」

と。

そして、

「むやみに人を疑うものじゃないぞ」

と言うんです。

その子は教室の一隅から、うるんだ眼で先生を見たといいます。

それから時代が流れ、戦時中です。

特攻隊が出陣する時、みんなお父さん、お母さんに書くのに、
たった一通、徳永先生への遺書があったのです。

それは、あの日、ナイフを盗った子からのものでした。

「先生、ありがとうございました。

あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を送りたいと
思うようになりました。

明日は、ポーランジャの空で僕は見事に戦死できると思います。

その前にたった一言、先生にお礼を申し上げたい。

あの時に、先生はなんにも言わないで僕を許してくださいました。

死の寸前になってそのことを思い出し
『先生ありがとうございました』とお礼を申し上げます。

どうぞ先生、体を元気にして、
僕のような子どもをよろしくお願いします」

というのが絶筆でした。

彼は昭和19年5月12日、
ニューギニアのポーランジャの空中戦で戦死しました。

若冠十九歳でした。

教え子から遺書を残された徳永先生、

愛しい教え子を死地に送り出さねばならなかったこの時代、
徳永先生は、深い悲しみに沈みこみました。

徳永先生はあの時、自分が彼と同じ境遇におかれたら、
これ以上の荒れ方をするだろうと考えたそうです。

「どうしてあの子を怒ることができただろうか・・・」

と。

今、その教え子の墓前には、
先生が植えた八重クチナシが大きく育っています。

それから、こんな話もあります。

先生が熊本の山間の過疎地の教員をやられていた頃、
両親が分からない子がおったんです。

暴れ者でね、とうとう大変な悪さをやらかした時、
徳永先生は宿直の夜、

「君の精神を叩き直してやる」

と言って、その子をぎゅっと抱いて寝てやるんですよ。

後に彼は会社経営で成功して
身寄りのない者を引き取って
立派に成長させては世の中に出していました。

「自分のいまがあるのは、小学校4年生の時に
徳永康起先生に抱いて寝ていただいたのが始まりです。
先生、いずこにおられましょうか」

という新聞広告を出して、40年ぶりに再会した
なんていう物語もありました。

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※『致知』2008年3月号「楽天知命」・超凡破格の教育者徳永康起先生~抜粋・引用しました。

どんなに時代が違っても、変わっても、
人として一番大切なことの本質は不偏です。

どう感じるかはあなた次第ですが。

グランデの原点として大切にしたいことでもあります。

感謝!

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快楽と達成感よりも

 

人のやる気は快楽、達成感、意味合い、人間関係、没頭のどれかがやる気の源として強く影響する。
そしてそれは人それぞれ違う。
そして
今の若者達は、意味合い、人間関係、没頭できるかに、やる気の源として捉えている人が多い。

ある方のブログで拝見しました。

それがどのような根拠からなんてどうでもよくて、ただただフイーリングで共感しました。
なぜならば俺も同じなので、若者達の仲間に入れてもらえるかもしれないから。(笑)

で、後から調べたら、アメリカの心理学者マーティン・セリグマンさんの唱えるポジティブ心理学の定番になっている5つの柱という考え方だそうで、様々な方が引用していました。
TEDでもスピーチされていてました。

いままで一度も達成感なんてなくて、足りない事の連続で、立ち止まらずにここまで来たし、快楽ってものが想像できないけど、ひいていえば、
快楽は、石井さんにゴリゴリマッサージしてもらっている時とDENCUPでゴール決めたときかな。(笑)

グランデに情熱(やる気)をかけられたのは、

選手達この子たちの将来の糧になればという思いが強くて、サッカーはその為のひとつの手段でしかないと思ってやってきた。そんな意味合いなんだと思う。

そして僕の志に共感してくれた大輔を筆頭としたスタッフたちや、いつも一歩下がっていてくれて困ったときはいつも無言で助けてくれた保護者との信頼できる人間関係が何十年もあったから。

だからこそ時間も忘れて僕は子ども達と共に没頭の日々を過ごせた。

本当にそう思う。

その仕組みが、今の若者達がそう感じている割合が多いと書いてあることは未来への救いだ。
そう考えることができる若者たちが多いのは素晴らしい事だ。
日本の未来は今よりもよくなるよ!

僕は、今の若者こそ、快楽と達成感という。
自己中心的な考えで、結果とご褒美の世代かと思っていたからね。

きっと、若者達よりも上の世代が快楽と達成感に振り回された世代なんだろうな。
それでも、
それはいつの時代もごく一部なのかもしれなくて、しっかりと地に足をつけて、誰かの為に自分が何ができるのか、人を思いやる心を持って人間関係を大切にしている人、何かに没頭している人たちはいつの時代も沢山いるのだと思う。

だから僕は快楽と達成感よりも、仕事への意味合い、人間関係を大切にしている、何かに没頭している方々と付き合っていく人生に生きがいを感じている。

そんな仲間の、何かに没頭している皆さん。
これからもよろしくお願いいたします。

2019年10月21日
田畑雅宏
ピテカントロプスは続く。

※歳を重ねたときに書いた第二弾でした。(^^)!

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ピテカントロプスになる日

DENの新たな足運を呼ぶパワースポット!
ピテカントロプス壁画が感性(完成)しました。

制作者は尾道在住プロのイラストレーター福田翔太郎さんです。

翔太郎さんはピテカントロプスという少年サッカー雑誌(フリーマガジン)を発行している方でもあるんです。自費でタンザニアまで取材行っちゃって書いているんです。
今年の6月にピテカントロプスを開いた時、ピテカントロプスをワクワクしながら一気に読んじゃいました。

何故気持ちよくなるかが、6日間一緒に居て分かりました。
それは翔太郎さんの人柄そのものがピテカントロプスに表れているからなんです。
翔太郎さんの生き様はこちらの取材記事がドンピシャで書いてあるので見てください

本来、サッカーとはピテカントロプスであるべきなんです。(笑)

ピテカントロプスは直立歩行猿人ではなくて原人であり人間の原点だから。
(学術的に違っていたらスルーしてください。あくまで僕の認識です)
だからサッカーの原点を常に忘れてはならないと言いたいだけです。

子供達の毎日の笑顔が見たくてサッカーコーチをスタートした20代だった僕ですが、いつのまにか選手も増えて、チームも強くなってきて・・・真剣な顔をしていないとサッカーをしてはいけないような雰囲気になっていた気がします。

日が昇って、狩りをして、身体が疲れて、日が暮れてのピテカントロプスの生活から時間に追われ、膨大なメールやライン、不要な噂話、で心が疲れて日付けが変わっての現代人の生活。

グランデはやっぱりピテカントロプスのチームにしたいです。
生きた化石のチームがあってもよいかなと思います。(笑)

もちろん両方大切なんです。

それでも原点は選手もコーチもサッカーが楽しくなければ始まりません。
だからこそ、頑張れる。真剣な眼差しになれる。選手とコーチの間に永遠の絆が生まれるのです。

DENはありがたいことに毎年全国から沢山のフットボーラーが集います。
ジュニア、ジュニアユースのクラブチームから少年団や部活動チーム。
バリバリの現役Jリーガー、全国制覇した高校生達、Fリーグ、社会人チーム、ブラインドサッカー日本代表、デフサッカー日本代表、ビーチサッカー日本代表、設立1年目の街クラブ、人数減少しても踏ん張っているスポーツ少年団、大学のサッカーサークルやフットサルサークル、某名門大学蹴球部OBの飲んだくれのオヤジ達・・・(笑)。

この素敵なフットボーラー達から沢山の気づきやヒントや刺激を頂けて今の僕があります。
グランデもDENも僕もそんなフットボーラーの仲間に育て続けられてきました。

そんなリスペクトしているフットボーラー達がピテカントロプスDEN壁画で記念写真に収まってくれたら嬉しいです。

進化しすぎた人間達ですが、ピテカントロプス(原人)を思い出す事は生きていく上でこれからも大切かと思います。

DENも私もピテカントロプスになる日が来ればよいなぁーと感じています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ピテカントロプス元年 9月吉日

田畑雅宏

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サッカーを通して子ども達の想像力の可能性をもっと広げるため、「こんな方法もあるんだよ!」という選択肢を広げられたらの思いで作っている。(福田翔太郎氏)
本当にその通りで、このピテカントロプスを開くだけで心地よい気持ちにさせてくれます。こんなサッカーへのアプローチって素敵です。

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そんなわけで完成したDENの21世紀型ピテカントロプス(原人)です。
もちろんピテカントロプスの中身は私と妻と子供達3人の田畑ファミリーなんです。
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中にいる5人の田畑ファミリーですが、世界的フットボーラーをイメージして描いています。誰だかわかるでしょうか。31番も意味があります。
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9月10日 このために7月から用意したコンクリート壁。翔太郎さん!いよいよです。
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暑い日も
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雨の日も59
朝6時から日没になっても没頭している翔太郎さん!
この眼差し!カッコイイっす!
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9月15日完成! DENから沢山の方が有名人として出世しています。
翔太郎さんは今でも、雑誌ナンバーやサッカーフリーク愛用golのファッションアイテムや全国選手権のプログラム等のイラスト依頼多数来ている売れっ子です。
この壁画が何億円の価値となる日もそう遠くはないでしょう(笑)
そうなってもお付き合いお願いします!
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僕と同じで背の高い翔太郎さんと完成の記念写真!
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夜はこんな感じです。インスタ映え。カッコイイ!
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毎晩一緒にメシ食べて、沢山プライベートの話しもできました。
本当に心優しくて、翔太郎さん!最高です。素敵な方です。
人柄は作品に表れますよね。
サッカーチームも同じですね。
僕のグランデはやはり僕が描かないとグランデという作品ではなくなってしまうことに今さらながら気がつきました。
44そして、翔太郎さんを繋いでくれたイマイジーニョ氏もDENに駆けつけてくれて、そしたらシャペウの大野さん、鞠中毒@オマさん、ブラジル現役プロサッカー選手のきららちゃんらのそうそうたる面々が揃い、メチャクチャ楽しい俺の夏休みが来ちゃいました。(笑)

そうなんです。
彼らこそがピテカントロプス@フットボーラーです。

※この気になる仲間達については追ってブログで書きたいと思いますので楽しみにしてください。

ピテカントロプスは続く。