2021謹賀信念

あっという間に2021年となり10日間が早くも過ぎました。
例年はご挨拶回り、武田神社へ初詣やら熱田神宮へ商売繁盛祈願の初えびすさま、そしてその合間に高校サッカー選手権観戦の日々ですが、今年は何処へも行きませんでした。

それでも今年も健康で楽しく家族で新年を迎えることが出来た。
逆に沢山の方々が顔を出してくれて、それはそれであっという間の10日間でした。
本当に幸せなことです。

年末には16,7年のお付き合いとなる世界を制し海外で活躍している現役トップアスリートYさんが時間を作って感染対策万全の体制でファミリーでDENに来てくれた。
貴重なユニフォームまでいただき感無量です。(^^)!
一緒に密とは無縁な広大な八ヶ岳を歩いたりと楽しい時間を過ごせました。

年始はかれこれ25年以上も毎年来ていただいてるご家族が今年も来ていただけました。こちらも勿論ですが貸し切りです。
他にも沢山の友人達が感染対策万全の体制でDENに顔を出してくれています。
全てに感謝しなければいけません。

そんな中、世間は新型コロナウィルスが再び増え政府より緊急事態宣言が1都3県に発令された。
昨年1月ダイヤモンド・プリンセス号のニュースから1年にもうじきなる。
しかもまだ続きそうだ。

思う事は、世の中の子ども達のこと。
まさかここまでこの状況が続くとは。

人と人との触れ合う機会が人為的に極端に減ってしまったこと。
マスク着用自体も可哀想で仕方ない。
授業中もずっとだ。息苦しいだろうな。
子ども達の笑顔がマスクで隠れちゃう。
早くこの環境を戻したい。

子供の1 年間は大人の1 年間とは全く違う。
大人が我慢する1 年間とは意味も辛さも時間軸が全く違う。

この1 年間で人と人との出会いであったり、仲間と寝泊まりする合宿であったり、フェスティバルであったりと違う地域の友だちと試合を通じての友情であったりと大きく成長するための「触れ合い」が制限されてしまったことは悔しい。

しかし残念がっていても子ども達は毎日成長している。
違う方法で子ども達の心の成長を育むアプローチをしていかなければと思っている。
これについては昨年から構築していることがあって進めています。

そして、ひとつ言える事は、それぞれの立場でそれぞれの大変なことや苦労があることをお互いが尊重しあえることが今まで以上に大切な社会になっていること。

その上で、私がやれることは、
友人家族や仲間のサッカーチームの子ども達を安心・安全に笑顔で受け入れること。

その為にこの半年間取り組んだことは。
山梨グリーンゾーン施設として申請し認可され、全館・全客室空気浄化設備・必要換気量が確保されている国が基準とした安全な施設にしたこと。
1組みでも貸し切りにして他の人との接触をシャットアウトしたこと。
チームにおいては全選手の1週間検温を実施していただいていること。
GoToキャンペーン(現在停止中)に参加し、毎日の事務手続き等かなり面倒だけど少しでもお客様が安く宿泊できるように取り組んだこと。

手作りの美味しい安心安全な食事を提供して、自然豊かな八ヶ岳で思う存分にボールを蹴って、このご時世において少しでも心が豊かになってくれたら。
ストレスを抜いてあげる。
それが私のやれることです。

人間にとって、そして子ども達にとって旅することや、非日常を経験することをやめてしまったら感性や創造力は絶対に育たない。

そんな同じ考えの仲間やチームを受け入れ、サッカーを通じてお互いに影響を与え合いながら成長していける関係が持てる場所が「DEN」であり続けていきたい。

そして一生の友人として喜びも悲しみも分かち合える関係でいたい。

DENも私も、新しい時代に寄り添って進化続けて行きたいと思います。

そんな新年(信念)となりました。

全てに感謝!
ネバーギブアップ・フットボール・コラソングランデ!
今年も息子と元旦にボールを蹴って汗を流せました。
年々息が上がります(笑)

26thDENCUP~Oyaji

1995年から続いているDENCUPフットサル大会・・・2020年もどうにかどうにか・・・開催することができました。
http://www.dencup.com/
今年は本当に未曾有の大変な年になりました。
正直DENCUPを開催するか相当迷いました。
それでも勇気を持ってチーム数を減らして動かしてみることにしました。

参加頂いたチームの皆様には全選手の体調管理・検温表の提出・ゲーム以外でのマスク着用・出入り口の導線、観戦場所の指定、昼食の場所、応援者の人数制限等沢山の感染予防対策ガイドに従っていただけました。
おかげさまで大会当日から2週間経過しましたが一人の感染者を出すことなく無事大会を終えることが出来ました。
本当に参加いただいた皆様の好意的なご協力に感謝しかありません。

今回は大学時代のサッカー仲間と助っ人のオマさんと5人で出場しました。
5人で275歳です。
25年の歴史の中で過去大会最年長チームとなりました。
大学時代の仲間ともうじき還暦を迎えるのにこうやってまた一緒に楽しめるとは夢にも思いませんでした。
元気にプレーできることに感謝しかないです。

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大会の方は決勝まで勝ち上がりましたが、ひとまわり若いオヤジさんチームに完敗となりました。
交代なしの5人は流石にここが限界でした。(笑)

それでも本当にボールが蹴れたことに幸せを感じる事ができました。
そして私自身は惨めでした。
今年は全く動いていなくて身体が重くてボロボロでした。
改めて身体を作り直します。それでも救いは6点取れた事でしょうか。
これで25年連続得点記録がまたまた更新されてしまいました。(笑)

新型コロナウィルスの猛威が復活してきた今日この頃ですが
2021年。世界が、日本が、そして皆様にとって明るい年になることを願います。
みなさん!良いお年をお迎えください。
ありがとうございました。
感謝!

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親子サッカーの日

八ヶ岳グランデの「親子サッカーの日」でした。

左手に日本一の富士山。
正面は日本で2番目に高い北岳。
後ろには八ヶ岳。

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美味しい水と新鮮な空気を吸いながら、絨毯のような天然芝のグランドでカワイイ子ども達と信頼できるママさんパパさん達の総勢70名で楽しむ事が出来ました。

私が住んでいる八ヶ岳・北杜市は人間が生きていく上で一番大切な宝がザクザクある宝石箱のようなエリアです。(そう勝手に思っています)
宝石と言っても小判が埋蔵されているわけではありません。

一番大切な宝とは天然モノが沢山残されているエリアのことです。

当たり前に毎日、日本一の富士山や八ヶ岳を眺めています。
当たり前に登ることも出来ます。
当たり前に美味しい空気を吸っています。
当たり前に沢山の鳥たちや動物たちと出会います。
当たり前に野菜やお米が沢山あります。
当たり前に地下鉄が走っていません。
当たり前に六本木ヒルズがありません。
当たり前に渋滞が発生しません。

人口が、人工が、多い中で生活し、育っていく子ども達が多いのが当然の世の中です。
便利なので人口が多いです。
ですので、沢山の生業が成立します。会社が増えます。
どんどんどんどん開発されて便利なので人工が増していきます。
どこまで続いていくのでしょうか。
便利が増える事は本当に人間にとって幸せなのか、子ども達にとって幸せなのか考えます。
便利が当たり前に感じたら、それは便利ではなくなります。
だから人間は便利を求め続けてしまいます。

不便が当たり前に感じられたら、人間は、子ども達は幸せなのではないだろうかと考える時があります。
貧乏人の田舎者の僻み根性なのかもしれません。

それでも私は、この自然環境の中で生活していける人は幸せだと思っています。
そしてこの中で子育てしていくことの大切さに気づけた若い方は素晴らしい感性をお持ちだと思っています。
だからこそ私はそんな若い方々が実際に住める地域作りに少しでも役に立ちたいと思っています。

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サッカーの育成でも同じように感じてしまいます。
理論が発達し過ぎて、子ども達に対して教え過ぎのように感じます。
その結果、様々なサッカーサービスの競争の犠牲に子ども達が巻き込まれていることを実感しています。

子どもたちにもっとのんびりと考える時間やボーッとする時間が必要なのではないかとも思います。
現実には難しいことも理解はしています。
でも大人達が考えなくてはいけないです。

都会の方は、できたら、この宝石箱のエリアのような場所を探して、年に数回でも一日だけでもお子さんやご家族で過ごせたら幸せなのではないかとも思います。
心を開放してあげるだけでもお子さんにとって成長していく上で大切だと思います。

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八ヶ岳グランデの「親子サッカーの日」は本当に素晴らしい一日と感じる事がてきました。
地元スーパーの社長さまからも差し入れをいただけたり、手入れの行き届いた天然芝でボールが蹴れたりと地域の方々に支えられて、沢山の保護者さんたちが笑顔で参加していただいて、八ヶ岳グランデの「親子サッカーの日」が開催できています。
本当に感謝しかありません。
このご恩は胸の奥に刻み、いつか必ずこのご恩はお返しさせていただきます。

私の恩師から頂いたお言葉です。

理性は嘘をつくことができる。
感性は嘘をつくことができない。
サッカーは芸術だ。

真に、「親子サッカーの日」は素晴らしい一日と感じる事ができました。
感性を大切にできる子ども達をこれからも沢山育むクラブにしていきます。

感謝!

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便利な中から強烈な発想力は生まれない

今日もある方との会話から一日がスタートした。

新しい時代への変化なのかもしれない。
令和を節目に様々な変化が起こっているように感じる。
が、
それは人間が勝手に感じている事であって自然界は淡々と動いているだけだ。

スポーツ界サッカーにおいて、トレーニングができない。
試合ができない。
ボールが蹴れない。
選手権の準備ができない。
来年の進路に影響してしまう。
上手くなれない。
遅れをとってしまう。
そうじゃなくて、ダメじゃなくて、ウィルスのせいにするのではなくて。
今、この出来ないと言っている時間をどう過ごしているのか。
個人の発想力、置かれている状況での判断、それらを考え続け、やり続け、継続することが出来るのか。
自身のサッカーを発展させられるのか。
一人一人が己と向き合い、新たな発見ができるのか。
それらは毎日の繰り返しが大切であり、全ては自己責任だろう。
それらを継続できるだけのサッカーに対する愛情があるのかないのかだろう。
サッカーの環境ができるまで待って、そしたら始めるのではなくて、
こんな時だからこそ、本当にサッカーに真剣に向き合っているかどうかが確認できる。
そんな大切な時間が与えられているのに気づける選手と気づけない選手の差が上手い下手よりも大切なこと。

指導者もしかり、サッカーの未来を考えているのか。

スポーツが、サッカーがどう生き残るかまで考えている指導者がどれだけいるのだろうか。
自粛だから、クラブはお休みします。なんとなく隣の有名クラブが再開したからウチも再開します。
サッカーができるようになったら、さあー頑張ろう!
じゃないだろう。

今のサッカーはマテリアルの進化、高額のスパイクや人工芝は当たり前。
ビデオ解析、トレーナー、シャワー室やらよい環境が育成年代にも与えられ、そのようなチームに所属して与えられた課題をやっていることが善とする風潮。スティータス。

真逆の発想をしていかないとサッカーが生き残れないと思えるだけの覚悟と危機感を指導者は常に持つべきだ。

便利な中から強烈な発想力は生まれない。

ピンチはチャンス。
チャンスはピンチ。
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本脳とは

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今日もある方との会話から一日がスタートした。

人間の持っている全力という力をどこまでどうやって出せるようにできるのか。

「本能は生まれつき持っているもの」と片付けるべきではなくて、使わないでおくのではなくて、人間だれしもが持っているものを、どう引き出せるか、本人に気づかせる事ができるか。
それが役割ではないか。

小さいときに気づかせる。
小さければ小さいときほど、その経験が活きてくる。
今しかない。

本能という脳をどう刺激していけるか。

言葉の魂を発し続けて行くこと。
それは幼児だろうがなんら関係無い。
言葉に魂が宿っていれば。
言葉は分からなくてもひとりの人間として感じ取れる。

言霊によってひとりの人間の可能性が変わる。
人生が変わる。
運命が変えられる。
それは奇跡として語られることすらある。

言葉の表面だけの、活字ひとつを読み取ったところで、それは今しか語れないだけであってなんら深みのないことだ。

言葉の奥底の、伝えたい、言いたい、見えないものを気づかせられるか。
感じさせることができるか。
それこそが伝える側の魂の質の問題。

話しが少しズレるかもしれないが、
今のサッカーが本当に素晴らしいのかと言うと、そんなことはない。
そう思ってはいけない。
10年前も20年前も30年前も40年前も50年前もいつの時代も素晴らしいのがサッカーでありスポーツや芸術だ。

昔よりも今の方がサッカーの魅力は衰退しているようにすら感じる。
それは簡単に複製できる時代だからだ。
たまにサッカーゲームの攻略本と錯覚してしまうときすらある。

本能を呼び起こすとは脳を刺激することではないかと思う。
私は専門家ではないので学術的な見解は違うのだろう。
それでもそう思っている。

美味しいと脳が思えば美味しいものは美味しい。
褒められたら、もっと上手くなろうとトレーニングをするだろう。
今に感謝出来れば、幸せになれる。元気が出てくる。ポジティブになれる。

今、世界が日本が、未知なるウィルスによって試練に立たされている。
日本がひとつになって、世界中がひとつになって、みんなでポジティブな言葉の魂を発し続けて行く必要がある。

本脳をポジティブに世界中がひとつになる。
素晴らしい未来を次なる世代に残す。
それこそが人間としての本能なのではないだろうか。

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