45thDENCUP~OPEN

2021年1月24日。DENCUP。
どうにかこうにか第45回DENCUPオープン大会を無事開催することができました。

昨年暮れより新型コロナウィルスが増え東京等では緊急非常事態宣言が発令されました。
そんな中、DENCUPを開催すべきか判断に迷い続けました。

このオープン大会は毎年高校3年生達も参加してくれる大会です。
ただでさえさまざまな催しが中止となった高校生活の一年間であったと思います。
それだけに迷いに迷いました。
毎日ニュースとのにらめっこでした。

チーム数を減らし、県外から帰省したOBの参加も断り、山梨県内チームかつ県内の選選手に限定し、応援者は1チーム5名以内(高校生の保護者さん観戦させてあげたかったので)、応援者も含め全ての方に名前、連絡先等記載いただき検温を実施し、待機場所も指定した場所のみとし、開会式は行わず、大会本部も2メートル以内にマーカーを設置し距離を確保し、消毒液を入り口、トイレ等へ設置し万全の対策で開催致しました。

参加頂いたチームの皆様も試合中も大声も無く、待機場所も守っていただき、マスク着用にも協力を頂けました。

大会の方は韮崎高校同士の決勝戦となりました。
流石サッカーで鍛えられてきた高校3年生だけにパワー、テクニックともに素晴らしかったと思います。
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私のDENチームはOB達と大輔と5名で挑みました。
この大輔と辰朗と一緒のチームで臨むのは2004年12月5日以来ですからおよそ16年ぶりです。
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※私は相当劣化しましたが大輔も辰朗もオヤジになりました。(笑)

韮崎高校両チームと前半は0-0で善戦しましたが後半突き放されて悔しいですが完敗でした。
後半私が1本でも止めていれば流れは変わっただけに悔しいです。

それでも40歳以上も年齢差の現役バリバリ若者相手にフル出場怪我なしで出場できただけでホッとしております。
若者達の動きは羨ましくもありながらもこの頃は冷静に自分の衰えを認めながらプレーに参加できるようになりました。
怪我だけはしないようにと、無理はせず(笑)と言いながらも・・・
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接触プレーでの怪我が怖くてGKばかりやっていましたがシュート強いしおもいっきり振り抜いてくるので1本は顔面直撃をくらってようやく火が付いた次第です。

1ゲームのみフィールドで出場しイメージ通りのゴールで2得点ゲットできたので連続得点記録が結局途切れないで20数年150大会以上続いてしまいました。
それにしても25年あまり全ての大会にフル出場して連続得点はギネス並になってきました。いつも健康でいられる事に感謝しかありません。
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コロナ禍の中、今回も皆さまのご協力もありDENCUPも無事成功となりました。
今のところ、感染した報告もきておりません。
この場を借りて大会参加チームしていただいたみなさま、そして関係者のみなさまに感謝を申し上げます。
これからも一緒に遊んでください。
ありがとうございました。
敬具
2021年1月24日
田畑雅宏

自反尽己

昨日、スタッフとOB数名でボールを蹴った。
その中の1人が数年前のグランデ・キャプテン。

彼にアスレタのキャプテンマークをプレゼントしたことを懐かしく思い出した。
キャプテンマークをプレゼントしたのは初めてであり、おそらく唯一の教え子となるであろう。

何故ならば私のクラブ(グランデFC)はキャプテンマークは日頃は付けさせなかった。
選手達には3年生全員が練習時も学校でも左腕に見えないキャプテンマークを巻いているんだと伝えてきた。

彼にはキャプテンマークを巻いていなくてもキャプテンはお前だと分かるだけのキャプテンシーを努力して身につけなさいと伝えてきた。

何故それでもキャプテンマークをプレゼントしたかには大きな理由があるのだがここでは公にはしない。

そのキャプテンマークだが、内側にマジックで「自反尽己」と書いてプレゼントした。

自反尽己とは孟子に出てくる言葉。

他者から無礼な態度や騙されたとしても、相手を批判するのではなく、有徳の人は必ず自分を反省する。

失敗や不運を自分が足りないと受け止めることができる人間と他人のせいにして済ますことを繰り返してきた人間とでは、天と地の差で幸運が違ってくる。

自分が上手くいかなかったとき、試合に負けたとき、仲間のせいにしてしまう。
そうではなくて、
自分が足りないということを冷静に受け止め、自分と向き合い、ポジティブに今の置かれている立場に感謝し、日々素直なこころで努力して自分を変えていくしか方法はない。

親も然り、
試合に出られない、自分の息子が友達と比べて成長していない、それはチームや指導者が悪い。
うちの息子はこんなに頑張っているのにあの子ばかり試合に出ている。

その吐いた言葉というものは、毒をまき散らしているが如く、悪臭を放ち、周囲の人たちに伝染していく。

周りを悪くするということは自分の子供の環境を益々悪くしてしまっていることに気づけていない。

グループLINE等でネガティブな発言を繰り返している親達のチームもあると聞く。
それがどれだけ自分の子供を苦しめているか気づけていない。

ありがたい、ありがたい、感謝の気持ちを親が持てば、自ずと子供も変わっていくものだ。

他人のせい、環境のせい、と嘆いた所で何も変わることはない。

先ずは自分が良い影響を発せられる人に変わること。

うまくいかなかった時にこそ、自責で考えなさい。
そんな意味なんだろうと解釈している。

彼には今の勝ち負けはどうであれ、「自反尽己」の精神を持ってこれからの人生を謙虚に歩んで行って欲しい。

そんな思いで、キャプテンマークをプレゼントしたことを思い出した。

そんな彼も高校三年間親元を離れ強豪サッカー部でやり抜いた。
「自反尽己」の精神は彼にピッタリであったと思う。

これから関東一部の大学に行っても挑戦するようだ。

立派に成長し、こうして一緒に楽しくボールを蹴れる事が嬉しかったよ。

コラソングランデ!
努力は必ず報われる!
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笑顔と返事

惜しまれずして会社を辞めた人で、その後の人生、成功した人はまずいません。

~中略~

昔、家康が天下をとるまえは今川家の属国でした。今川家は敵に攻められても兵隊は出さず、徳川家から兵隊出させて戦争していました。徳川家は家康が人質にとられているから今川家に逆らえずいつも戦うけど戦いに勝っても恩賞がなかった。

普通の人は徳川家が損をしていると思うんですよね。

ところが秀吉が足軽のときにそれを聞いて「そんなことを続けていたら徳川家だけが強くなって、たいへんなことになるぞ」と言ったそうです。

恩賞ももらわなくて戦うクセをつけたら、エライつわもの集団になってしまうと。

~中略~

いつも笑顔で働いて、上司に呼ばれたら「はい!」って良い返事をするのです。

返事が良くて、笑顔で働いていたら、仕事頼みやすいから、倍頼まれるんですよね。

ところが人生失敗する人というのは「同じ給料なら、働かない方が徳だ」と思うのです。

だから、職場で頼まれごとされると嫌な顔するんです。イヤイヤ返事するんですよ。

そうすると、上司は仕事頼みづらくなっちゃう。

頼みやすい人と頼みづらい人。笑顔と返事。たったこれだけで雲泥の差になっちゃう。

仕事を倍頼まれると、人の倍仕事覚えるんですよ。どんどん仕事できるようになる。

だから仕事を倍たのまれるような人は、どこの会社へ行こうが独立しようが仕事が上手く行くようになっているんです。

辞めたは後に成功するかしないかは、仕事を倍頼まれる事は徳だとわかっているかどうかなんです。

こういう人は惜しまれて辞める人なのです。

斉藤一人さん著書「微差力」より抜粋

思い返すと、高校で活躍したり、大学生活や社会人となって人生を楽しんでいるOBは、いつもダメ出し食らったり色々頼まれていた選手が多かった気がする。

不思議なものでそんなOB達とは未だに縁が繋がっている。

人生なんてそんなものなのだろう。
アドバイスしやすい選手もまた楽しい人生への近道かもしれない。
それも人間力。

「笑顔と返事」。
幼稚園で最初に教わることだな。
基本が大切なことは人生もまた同じ。

人生はシンプルに。

親も選手も指導者も。

損得の人間関係から離れましょう。
尊徳の人間関係を作りましょう。
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教え子から遺書を送られた先生

「教え子から遺書を送られた先生」

徳永先生は、熊本県の歴史始まって以来、
30代の若さで小学校の校長になられたほど優秀でしたが、

「教員の仕事は、教壇に立って教えることだ」

と5年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。

だから、どの学校に行っても校長に嫌われるんですね。

自分より実力が上なものだから。

それで2年ごとに学校を出されてしまうんだけど
行く先々で教師たちが一番敬遠している難しいクラスを受け持って
みんなを勉強好きに変えてしまうんです。

徳永先生は、昼飯を食べない人でした。

なぜ食べないかというと、終戦直後、
昼の時間になると、弁当を持ってこられない子供たちが
さーっと教室からいなくなる。

それでひょっと校庭を見たら、
その子たちが遊んでいたんです。

その時から、自分もピタッと昼飯を食べるのを止めて、
その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。

以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ。

晩年になっても。

これは戦前の話ですが、

「明日は工作で切り出しナイフを使うから、持っておいで」

と言って、児童たちを帰したら、次の日の朝、

「先生、昨日買ったばかりのナイフが無くなりました」

という子が現れました。

先生は、どの子が盗ったか分かるんですね。

この生徒は、兄さんがすばらしく頭がよく、
いつも家で比較されて、偏愛の中で冷たく育っておりました。

学用品を買うのにも

「馬鹿タレ、勉強もできんものが、何を金が必要か」

と叱られるのです。

「あの子ではなかろうか」と暗然とした徳永先生は考えて、
一つの方法をとりました。

昼休みの時間、中には運動場に出ない生徒もいますが、
この日は、全員を運動場に出して遊ばせました。

それで、全員外に出して遊ばせているうちに、
盗ったと思われる子供の机を見たら、

やっぱり、持ち主の名前を削り取って、
布に包んで入っていました。

先生は、すぐに学校の裏の文房具屋に走って、同じナイフを買い、
盗られた子の机の中に入れておきました。

子供たちが教室に帰ってきた時、

「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」

と言うと、

「先生、ありました」

と。

そして、

「むやみに人を疑うものじゃないぞ」

と言うんです。

その子は教室の一隅から、うるんだ眼で先生を見たといいます。

それから時代が流れ、戦時中です。

特攻隊が出陣する時、みんなお父さん、お母さんに書くのに、
たった一通、徳永先生への遺書があったのです。

それは、あの日、ナイフを盗った子からのものでした。

「先生、ありがとうございました。

あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を送りたいと
思うようになりました。

明日は、ポーランジャの空で僕は見事に戦死できると思います。

その前にたった一言、先生にお礼を申し上げたい。

あの時に、先生はなんにも言わないで僕を許してくださいました。

死の寸前になってそのことを思い出し
『先生ありがとうございました』とお礼を申し上げます。

どうぞ先生、体を元気にして、
僕のような子どもをよろしくお願いします」

というのが絶筆でした。

彼は昭和19年5月12日、
ニューギニアのポーランジャの空中戦で戦死しました。

若冠十九歳でした。

教え子から遺書を残された徳永先生、

愛しい教え子を死地に送り出さねばならなかったこの時代、
徳永先生は、深い悲しみに沈みこみました。

徳永先生はあの時、自分が彼と同じ境遇におかれたら、
これ以上の荒れ方をするだろうと考えたそうです。

「どうしてあの子を怒ることができただろうか・・・」

と。

今、その教え子の墓前には、
先生が植えた八重クチナシが大きく育っています。

それから、こんな話もあります。

先生が熊本の山間の過疎地の教員をやられていた頃、
両親が分からない子がおったんです。

暴れ者でね、とうとう大変な悪さをやらかした時、
徳永先生は宿直の夜、

「君の精神を叩き直してやる」

と言って、その子をぎゅっと抱いて寝てやるんですよ。

後に彼は会社経営で成功して
身寄りのない者を引き取って
立派に成長させては世の中に出していました。

「自分のいまがあるのは、小学校4年生の時に
徳永康起先生に抱いて寝ていただいたのが始まりです。
先生、いずこにおられましょうか」

という新聞広告を出して、40年ぶりに再会した
なんていう物語もありました。

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※『致知』2008年3月号「楽天知命」・超凡破格の教育者徳永康起先生~抜粋・引用しました。

どんなに時代が違っても、変わっても、
人として一番大切なことの本質は不偏です。

人間として心が豊かに育って欲しいと願うばかりです。

グランデのそして私の指導者としての原点として大切にしたいことでもあります。

感謝!
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快楽と達成感よりも

人のやる気は快楽、達成感、意味合い、人間関係、没頭のどれかがやる気の源として強く影響する。
そしてそれは人それぞれ違う。
そして
今の若者達は、意味合い、人間関係、没頭できるかに、やる気の源として捉えている人が多い。

ある方のブログで拝見しました。

それがどのような根拠からなんてどうでもよくて、シンプルに共感した。

アメリカの心理学者マーティン・セリグマンさんの唱えるポジティブ心理学の定番になっている5つの柱という考え方だそうで、様々な方が引用していました。
TEDでもスピーチされていてました。

いままで一度も達成感なんてなくて、足りない事の連続で、立ち止まらずにここまで来た。
快楽ってものも想像できないし、もしかしたら達成感を求め続けているから、自分の信念や道徳にそぐわない道は何が何でも離れ、ここまで来れたのかもしれない。

全国制覇した監督って達成感あるのかな?ってずっと思っていたときがあった。
数年後、その監督本人に聞いたら「俺もあるかと思ったけど不思議となんにもないんだよ」っと酔っ払いながら言っていた。
昨日全国制覇した山梨学院高校総監督横森先生にも近々聞いて見たいと思っている。

サッカー(グランデ)に情熱(やる気)をかけられたのは、
「意味合い」、「人間関係」、「没頭」があったから。
僕はサッカーに限らず人生において大切な事だと思っている。
だからそれがない組織やそれを大切と思わない人とは自然と疎遠となる。

選手達・この子たちの将来の糧に少しでもなればという思いが強くて、サッカーはその為のひとつの手段でしかないと思ってやってきた。
そんな「意味合い」なんだと思う。

そして僕の志に共感してくれるスタッフや、いつも一歩下がっていてくれて困ったときはいつも無言で助けてくれた保護者との信頼できる「人間関係」が何十年もあったから。

だからこそ雨の日も雪の日も時間も忘れて僕は子ども達と共に「没頭」の日々を過ごせた。

本当にそう思う。

その仕組みが、今の若者達がそう感じている割合が多いと書いてあることは未来への救いだ。
そう考えることができる若者たちが多いのは素晴らしい事だ。

僕は、今の若者こそ、「快楽」と「達成感」という。
自己中心的な考えで、結果とご褒美の世代かと思っていた。
大きな勘違いをしていた。

きっと、若者達よりも上の40代、50代の世代が「快楽」と「達成感」に振り回された世代であり時代だったのだと思う。
新型コロナウィルスの世の中になって、決定的に「快楽」と「達成感」の時代ではなくなった。
「意味合い」、「人間関係」、「没頭」の時代になっていくのだと感じている。
「快楽」と「達成感」を優先してきたサッカービジネスは長くは続かないだろう。
それでも、それはいつの時代もごく一部なのかもしれない。
しっかりと地に足をつけ、誰かの為に自分が何ができるのか、人を思いやる心を持って人間関係を大切にしている人、何かに没頭している人はいつの時代も沢山いるのだと思っている。

だから僕も、誰かの為に少しでも役に立っているのか、仕事への意味合い、人間関係を大切にしていきながら、何かに没頭している方々と、心でつながりながら、お互いを尊重し合い、切磋琢磨していける人生であり続けたい。

快楽と達成感よりも。

ネバーギブアップ・フットボール・コラソングランデ!

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