コラソン・トラベッソ 投稿日時: 2021年10月19日 投稿者: Tabata 返信 生涯の大親友が他界して一年。昨日は墓前へ行ってゆっくり話しをしてきました。以下の文面は昨年にトラベッソ秋山実さんへの思いを書いていた未完の文章です。まとめ直すか、僕の胸の中だけに書き留めておくかずっと迷いに迷い続けておりました。秋山実さんの冥福と敬意を表して昨年のオリジナルの書きかけのまま公開することにしました。誰にも共感も押しつけも求めておりません。本当の秋山さんを知っている限られた方にだけ目を通していただけて、一緒に本日、秋山さんを偲べたら嬉しい思いで公開しました。多くの方々はなにとぞスルーしてください。—————————————————————————-こんなに背筋を伸ばしてキーボードを打つた記憶はありません。書きながらやはりもう泣いています。何度も書こうと思ったけど、書こうとするとやはり書けない。現実を受け止めたくない。それでも書き記すことはしなくては。尊敬の念をもって、勇気を振り絞って書いています。大親友が先日他界しました。朝4時過ぎでしょうか、大介から携帯への着信音。嫌な予感が当たってしまいました。時間が止まりました。空白の時間でした。泣いている大介の声すらどこか遠くから聞こえていて、大介へ気の利いた言葉すら全く見つからず、かつ悲しさもなくて、なんで涙が出ないのだろうと思う自分がいました。もう一度布団に入り、夢であってくれと祈り続けたけど、朝8時に佑太から電話が入り現実を受け止めざるえませんでした。大親友という言葉すら軽い言葉になってしまいます。同志というか、幕末の志士というか、志士仁人というか、共に命をかけた男同士の真剣勝負の関係であったと思います。ヤマさんがパンチパーマで私が髪の毛真っ黒の20世紀からの付き合いです。最初の頃は、無愛想で、怒鳴ってばかりで、うちの選手削っておきながら「そのくらいで倒れるあんたの選手が鍛えられていない」なんて言われたり、試合の途中に、「こんなゲームやっていても選手が成長しない」と言ってハーフタイムでいきなり帰ってしまったこともありました。クラブカップでグランデがトラベにカウンター1発で0-1で負けた時は「秋山さん!そんなつまらない戦い方してウチに勝って嬉しいですかね、がっかりですよ」なんて言った事もあった。大喧嘩も何度もした。あの頃が懐かしい。もうできないのか。無愛想な変なオヤジ。ヤバいなこのオヤジは。そうではなくて、お互いがになくてはならない存在に、気づけるようになってきたのは16,7年前頃からだろうか・・・。この人はいつも本気で子ども達に純粋に向き合っている。人生の全てを子ども達に注いでいるんだと。表現の仕方がヘタクソで不器用な純粋な人なんだと。それからかな、怒鳴り声と思っていた無愛想な大声が、心地よく愛情の声に聞こえるようになったのは。子ども達に、頑張れ、踏ん張れ、負けるな、お前達が大好きだ!って言っているように聞こえるようになったのは。俺は俺のやり方でグランデの選手を磨きぬいてやろう。ヤマさんには負けない。グランドに立っている時間も選手を愛する気持ちも負けない。日々全精力を注いだ。そしていつか見返してやろうと思っていたのだと思う。私はずっと、ヤマさんの背中を追い続けていたのかもしれない。この人には一生勝てないと、どこかで思っていたのかもしれない。俺の張り合いがなくなってしまった。ライバルがいなくなった俺はこれからどうしていったらよいのだろうか。いつも朝から晩までトラベッソとゲームをやっていた。グランデが10-0で勝とうが負けようが関係無くて、お互いの選手達に私とヤマさんの魂が乗り移っていた。ゲームの勝ち負けで喜んでいる選手はいなかった。22人の中で一番輝いている選手がいる方が勝ち。そんな暗黙な感じであったのは間違いなかった。二人の勝負はどちらが先に世界で活躍する日本代表選手を輩出することでもあった。いつもこの先の行く高校にも悩んでいた。本気の監督がいるチームは何処にあるのか。本気でいればいるほど、本気で預けていない親には理解不能であったとも思います。僕はヴァンフォーレ甲府に「本気の育成」を求めました。そして10年の歳月を経てグランデ・アメージングアカデミー山梨を立ち上げ「本気の育成」を追求する決心をしました。しかし立ち上げて2ヶ月で絶対に出来ない事に気づかされました。「しがらみの育成」「ビジネスの育成」ばかりで、「本気の育成」をしているのは間違いなくトラベッソです。「本気の育成」のパートナーがいるとしたらそれはヤマさんだけでした。そして今さらながら「本気の育成」は他者に求めるものではないことに気づかされました。昨年6月にグランデ・アメージングアカデミー山梨の代表を降りる事をヤマさんの自宅へ行き報告しました。僕の報告を聞きながら、一言ゆっくりとした優しい言葉で「田畑さん辛かっただろうね」と言ってくれました。顔を見上げると、腕を組みながら黙って両目から涙を流しているヤマさんがいました。この言葉には、周りへの対応とかそうではなくて、「本気の育成」ができない中で子ども達と接している僕の葛藤を自分の事のように感じてくれているヤマさんがいました。そこを理解していたのはヤマさんと僕の親友数名だけです。7月に無理して白州グランドへ来てくれた時の一枚。大介と二人でベンチ。その後8月に本当に無理して奥様とDENに来てくれた。2月倒れる2週間前のトレーニングに雅哉のおかげで観に行った時の一枚。悠も来てたな。体調悪そうだったけど、この時はまさかそうなるとは思っていなかった。ヤマさん!闘病中も二人で毎日話しをしたよね。もう少し話しを続けたかったよ。1週間電話が無くて大介に大丈夫か聞いた。それから数日後だった。グランドにいるとヤマさんがいつもみたいに歩いてくる気がしています。「田畑さん。グランデの選手はどうですか?うちはまだまだダメだ。思いはなかなか伝わらないけどやるしかないですね」「高円宮杯優勝するよりもグランデだけには負けたくないよ」ネバーギブアップフットボールTシャツをヤマさんに着てもらおうと思って作ったのに1週間仕上がりが間に合わなかったのも残念でならない。ヤマさんから託された事も必ずあと、—————————————————————————-以上、書き上げ途中のままですが誤字脱字も含めこのままにすることにしました。偶然にも10/16に審判割り当てで河口湖へ一人で行きました。そうしたらトラベッソの審判でした。あの日以来、塩沢さんから大介から修さんから野田さんと揃いでお会い出来たのもヤマさんのお導きであったと思います。トラベの選手達からはオフサイドじゃねぇだろーとか色々言われたましたが何故か嬉しくて笑みがこぼれながら走っておりました。いつもなら蹴りです(笑)僕はヤマさんの魂も背負って堂々とグランドに立ち続けます。今日は静かにこれから献杯です。ヤマさん!グランドで待っています! 【お知らせ】noteさんのブログで書いていますのでよかったらそちらもご覧ください。