一刹那正念場

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一刹那(いちせつな)とは一瞬ということである。

正念場(しょうねんば)は歌舞伎からきた言葉。

一曲・一場の最も重要なところ、ここぞという大事な場面を指す。

一瞬一瞬を人生の最も大事なところ、人生の勝負どころ、本番と捉えて真剣に生きよ、と教えている言葉が一刹那正念場である。

人生は山登りにたとえらえる。

山登りには登る人と下りる人がいる。

それは年齢ではない。

「90パーセントの人は山を下りている。90パーセントの人は力を出し切っていないからだ。人生の山を登っている人は10パーセント」と言うのは人材教育家の井垣利英さん。

なるほど、と思う。

そういえば明治期のリーダーたちは、「自分が一日怠ければ、日本の進歩が一日遅れる」という気概を持って生きていた。

当時の日本には山を登っている人が多かった、ということである。
だから日本は世界に伍していくことができたのだといえる。

井垣さんはこうも言う。

「1時間は1分が60回。1日は1時間が24回。ひと月は1日が30回。1年はひと月が12回。10年は1年が10回」。

10年後どんな自分になっているか。

何となくいまよりもよくなっている、と思っている人が多い。

しかし、いまの生き方がそのまま10年後のその人の生き方であり、年を取った分だけ人生は下り坂になっている。

そうならないためには、いま目の前にあることに全力を尽くすこと、その姿勢を習慣にすること。

井垣さんの言葉は一刹那正念場に生きる大事さを説いてあまりある。

~省略~

中川一政さんが97歳の時に揮毫(きごう)した「正念場」の書がある。

~省略~

中川さんが残された極めつけの言葉を二つ。

「稽古をしてはならぬ。いつも真剣勝負をしなければならぬ」

「一つ山を登れば、彼方にまた大きな山が控えている。それをまた登ろうとする。力つきるまで」

すべての道に生きる者に不可欠の覚悟というべきだろう。

致知 2014年8月号 7ページより一部抜粋 致知出版社

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一刹那正念場。

まさに世界が、日本が、人々が試されている。

山を登る途中。
豪雨もある。
となれば少しでも危険を回避できそうな場所を探して、じっと耐える。
ジタバタしない。
工夫して凌ぐしかない。

サッカーのゲームであれば耐えるときは全員で耐えてチームがひとつになって失点を最小限に抑えるのと同じ。仲間のミスをとやかく言っている暇はない。

豪雨の中を歩き回れば歩き回るほど、騒げば騒ぐほど、体力を失う。
危険にさらされる。
みんなで知恵を出し合い、お互いに寄り添い温め合って体力を残しておく。
考える。
助け合う。

雨足が弱まってきたら、
そしてまた、自分のペースで歩き出せばよいのではないか。

ポジティブに!

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