サッカーが好きで好きでしかたない選手。
サッカーやっている子どもはみんなサッカーが大好きだと言うだろう。
サッカーをやっている子の親もまた、うちの子はサッカーが大好きなんですと言うだろう。
時間でグランドへ来て、時間で帰る。
お金を出して、サッカークラブで教わって、コーチ達とフレンドリーに会話してそれで終わり。
家に帰ればサッカーの事ではないことに頭も身体も無意識に切り替わっている。
本当にそれでサッカーが好きなのだろうか。
人のサッカーを観ているよりも、自分がサッカーをすることが好き。
高校選手権決勝観に行くよりも、Jリーグ観に行くよりも、ボールを蹴っている時間の方が好き。
見えない所でサッカーをやり続ける選手。
サッカーは誰の為なのか。
サッカーはなんなの?
誰がやるの。
関わる人間達がもっともっとサッカーの本質を感じるには、もっともっと下の年代に関わっていかないといけない。
失礼ながら、それがないから、上の年代に行けば行くほど、試合に勝つ、優勝、その為の選手獲得となり、選手は辛さ、耐えることとの戦いがメインとなっていくのではないか。
サッカーに向き合うコラソン(心)の問題は選手達ではなくて、育成年代の、表現する側の、関わる大人達の問題だ。
サッカーの心に火を灯す。
火を灯すにはその大人が火を持っていないと。
自分の火を少年に灯してあげないと。
それ無くして、システムや戦術理解はありえない。
今一度考えるべきだ。
私はサッカーが好きで好きでたまらない子どもを育てたい。