2010ワールドカップ総括

ワールドカップ総括

この頃、おかげさまでアクセスも増え私の知らない?方々にも読んでもらっているようです。

しかしながら私のブログは自分のメモのようなものでその時感じた事を書いていますので、文脈も滅茶苦茶です。偏った内容の場合もありますがご容赦ください。

スペイン優勝は良かった。ある意味オランダの優勝ともいえる。

なによりもポゼッションの高いチームが勝利できたこと、高いレベルのリーグが行われている国が優勝したこと。

初優勝チームでありながら歴史・文化からも他優勝国に遜色ないプロセスがある国。

近頃、日本ではプロから高校やら歴史ある大会が簡単に新しいチームが全国制覇してしまう。文化なくして優勝しちゃダメだよ。
ワールドカップだけは初出場国、日本やらアジア諸国が簡単に優勝してしまう大会にだけはなってほしくない。

そうなった時は、おそらく毎日深夜サッカー少年達はテレビを観ないだろう。

uefaチャンピオンズリーグの方が面白くなるだろう。

試合後、ファンマルウェイク監督コメントの一部「美しいサッカーでなくてもいいから勝ちたかった…」。気持ちはわかる、それでも世界を動かす監督のコメントとしては寂しい言葉だ。内容も、ジャッジを批判してしまったし、世界一を決める4年に一度の決勝戦としては寂しいサッカーをしてしまったのでないだろうか。

考えてみよう。
なぜ、1
度も優勝をしていない国のオランダがブラジルと対等的に語られたり、過去優勝国と同等の扱いを今でも受け続けているのか。
今は亡きリヌス・ミケルスの
Dutch Visionという育成システムが多くの国々に浸透し、ヒディング他、多くの優秀な指導者を輩出しているのか。
1974年ワールドカップ準優勝・ミケルス監督、キャプテン・クライフのトータルフットボールに当時の人々が衝撃を受け、心に刻まれたからであると思う。
予選からの内容もまた素晴らしすぎるぐらい素晴らしかった。完璧に近かった。

今回は同じ準優勝であっても37年前のサッカーの延長でもないし人々の心に刻まれるサッカーができなかった。もっとも優勝したいだけだつたようだから仕方ない。
ファンブロンクホルストのシュートは心に残ったけどね。

「美しいサッカーでなくてもいいから勝ちたかった…」。美しくなくても構わないし、泥臭くても構わない、カウンターサッカーと言われても構わない。それが自分達のスタイル・ポリシー・であり、メッセージがあるサッカーであれば。
申し訳ないが、トレセンであったり、強豪高校サッカー部であったとしてもスタイル・ポリシーがないチーム・監督さんにはなんら興味がない。もちろん代表チームであったとしても。

1974年、ミケルスそしてクライフ・ニースケンスとバルサの選手達が中心となってで準優勝したオランダ。
そして今回、イニエスタ・プジョル・シャビ等の6名スタメンのバルサ選手を筆頭にスペインサッカー(マドリーのみなさんには申し訳ないけど)として、多くの正確なショートパスとプレッシングという
37年前のトータルフットボールの進化形であったように感じた。
今回のスペインにメッシがいたらもっと、楽しいだろうな。バルサそのものだけど。
もちろん今のバルサは多国籍軍ではあるが根本はオランダ・
ミケルス時代だと思つている。

1974年準優勝オランダ監督ミケルスの「世界中の人々にメッセージを残したチーム」と2010年準優勝オランダ監督ファンマルウェイクの「ただ勝ちたかった…チーム」。との差は大きすぎる。
今後のオランダサッカーに大きな負の遺産を残したかもしれない。

決勝戦、オランダは、ブラジル戦のブラジルになってしまった。
ロビーニョがカリカリしていたように、ロッペン他多くの選手が審判へカリカリしていた。日頃のロッペンの技量から考えればロッペンはその分、11決めきれなかったように思う。

そういえば、確か???1990年のイタリア大会でもライカールトが西ドイツのフェラーにツバはいて一発レッドを受けた事も思い出す。事情はともかくもったいない。

オランダは本当に素晴らしい選手がいつもいる。ファン・バステンも凄かった。

余談だがこのオレンジ色のユニフォームは日頃から見慣れているだけにチームの欠点はそのチームと同じみたい。自滅みたいな(失礼)。
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日本代表については良く頑張りましたとだけ触れておこう。
あえて言えば、是非ともジュニア・ジュニアユースの育成年代の指導者の方々は今回の日本代表の表面的な真似だけはしないで欲しいと願っています。
自分のチーム選手は能力低いと勝手に決めつけるサッカー。だからみんなで守るんだサッカー。
一人、一人が精一杯努力し自分のプレーに責任持つ。その上での仲良しチームになれ。

GKの川島永嗣選手は何度かDENに高校時代泊まっているだけにフル出場は本当に嬉しかった。英語とのベルギー語で30分程度通訳なしで会見したそうだからたいしたものだ。

俺の携帯の待ち受け画面も一昨日から2014年ブラジル大会に変えたけど、いよいよ、うちの選手達も2014年、2018年と現実として捉えて目指す場所が近づいてきた。

この熱いおやじを冷めた目線で、塾の延長で練習に来るのか、同じエネルギーで日々サッカー楽しむのか。

純粋なサッカーへの想いの結果として勝利の女神は微笑むものだ。

DENに飾ってある大きな1974年決勝戦のパネル。クライフだけシャツが2本線のプーマでスパイクがプーマとわからないように隠れている角度から撮ったアディダス販促用の貴重なパネル。 


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