傍(ハタ)楽(ラク)

昨年に続き、今年も高円宮杯が関東まであと一つのところで終わった。

また、今日からスタート。

毎年、毎年この繰り返しだ。

 

毎年悔しいが、

今年は特に悔しい。

 

完敗したからではなく。

1期生から継承しているキャプテンマークを3年生の誰にも巻いてやることができなかった。

 

ドリブル、ショートパスを織り交ぜた、創造性に満ちた、誰もがワクワクする感動するグランデサッカーまでたどり着けなかった。ただ蹴るサッカーに近かった。

最後の最後までその可能性が芽生えるキッカケを信じて使い続けたのだか・・・・・。

 

それでも・・・・。百歩譲って・・・・3年生の成長を感じる事はできた。

こいつらなりに、頑張ったのだろう。

 

夕方10キロ走った。

というと聞こえが良いが、ほとんどクールダウンのスローペースで1時間20分走った。

途中電話も数件入り歩いてしまったけど。

悔しくて、じっとしていられなかったし、走りながら頭を整理したかった。

自分に足りなかったことは・・・・。

 

大学時代の友人前田徹也さんの受け売りだけど、
人はなんのために働くのか
「何のために働くか。自己実現だとかもっともらしいことを言う人もいますが、もっと根本的なことがあります。それは自分を磨くためです。そして皆と喜びを分かち合うためです。さらに付け加えると、自分の周りにいる人のため。働くとは、「傍(ハタ)」を「楽(ラク)」にすることです。最初は自分を磨くことだけでいいかもしれない。しかし苦労して「底力」がついたら、自分のことだけでなく、親兄弟や部下のこと、あるいは地域とか国家、そういう自分以外のことに目を向けてみることです。私のいう国難だって、「俺は関係ないよ」では済まされないのです。「底力」のついた若者なら、きっと世の中を良い方向に変えていくことができます。」(「負けてたまるか!若者のための仕事論」著元伊藤忠商事社長・現中国大使 丹羽宇一郎氏)

 

サッカーも同じだと思う。

 

何回も書いている文面だけど、

ヤスさんが言っていたように「愛」の反対語は「憎」ではなく「無関心」であるということ。

(定義においては「憎」が正解)

なぜなら憎しみは愛に変わる場合もあるけど無関心は永遠に愛には変わらないからだそうだ。無関心ほど怖いものはない。

 

愛が薄ければ喜びを分かち合う度合いも薄と思う。

 

今年のチームに足りなかったこと。

それは・・・。

 

その中で、OBの保護者の方が応援に来ていただいたことは、チーム愛を持っていただいている証だと思う。本当に感謝しかない。

 

今週末から全日本フットサルの山梨予選がスタートする。

新人戦、新チーム県Aリーグもスタートする。

 

3年生達よ。まだまだやり残している事が山積みだな。

 

どうする。

逃げるか。

 

傍の人を楽しませた方が勝ちだ。

yama
夕方走りながら・・・YATSUGATAKE・・・・


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