1勝の勝ちより価値ある一笑

先週のゲームで感じた事を書きたい。

いよいよ新人戦が山梨では始まった。
チームとしてカラー(戦術)を選手達に浸透させていくスタートだし、
選手もまた試行錯誤を繰り返しながら成長していく大切なゲームである。

それでも試合で使う予定であった1年生は県13リーグでしっかりとプレーできていなかったので白州総合グランドに置いてきた。

2年生全員にチャンスが転がり込んできた。

先日夜の選手達だけのミーティングで話し合った事を聞くと
「ボールを大切にしてパスとドリブルを織り交ぜた楽しいサッカー」をやりたいそうだ。

試合は、
開始早々大きくDFラインの裏に蹴られた2回が判断ミスも手伝い早々2失点した。

そうなるとまだ14歳の選手達はどうしても点を取り返そうと直線的になりはじめる。
一人で判断の伴わない無理なドリブル。
そして相手の蹴り込むボールに対して蹴り返してしまう。

そんな中、新チーム最初の公式戦、まだ前半10分。
最初だし、声をかけてやることにした。

「急ぐなよ~、ボールを大事にしろ~、圧倒的にボールを支配しろ~、得点狙うのはまだいいから~な~、ゆっくり、ゆっくり、落ち着いて・・・」

相手の監督さんから言われました。
「勝ちは必要ですよ、勝ちは、勝つように言わないと、選手が・・・○×△■○×△■○×△■・・・」

私の様な未熟者にアドバイスを頂けてありがたいことだ。

一人一人に個性があるように、育った環境が違うように、色々な意見や哲学がある中で社会が形成されている。

まずは相手をリスペクトするところから全てはスタートしなければならない。
自分の考えを強引に相手に押しつけることは社会が成り立たなくなってしまう。

サッカーの世界も同様。
これもあれもそれも全てがサッカー。正しいサッカーなんて存在しない。
様々な文化があるからサッカーは世界の人々を魅了し続けている。

おかげさまで私のチームを再確認できた。

競技である以上、勝ちが必要なのは当然。
その上でもっともっと大切なものがあることを選手達に教えていくことが育成年代の指導者。

指導者とは字のごとく指し示し導く者である。

私のチームは、
目先の1勝の勝ちよりも明日の価値ある一笑。

今日泣いた悔しさを糧に努力して努力して明日笑った方が断然価値がある。

育成年代においてはやはり内容。

個の能力を伸ばすこと。ボールを止めて蹴る、ワンタッチの質、ドリブル、シュート、個人戦術の理解。
そしてサッカーに対する取り組む姿勢や日常の生活習慣。
ここをおろそかにして勝ったところでその選手の将来は明るくない。
まずは人間を磨くべき。
選手達は人間という土台の上でサッカーをしている事を知る。

そして選手が自発的にサッカーを真剣に楽しめているか。

その為には指導者も親も選手達を暖かく見守り続ける事が必要だし、日頃の信頼関係を築く年月も必要となるから一朝一夕でできるものではない。

試合中に審判に文句言ったり、コーチングとは程遠い言葉を発していたり怒鳴りまくっている指導者を誰が信頼するであろうか。

例えば、野球で自分のストレートボールがどのくらい威力があるのかを知るには4番相手に真っ向勝負しなければわからない。
そしてまだまだ14歳であればその威力を増す事に全力を注ぐべきだ。

自分の力量を上げていく過程にはどうしても人間力を上げていく為に必要な事のアプローチが当然必要となっている。

勝ちは必要である。
だが私には目先の勝利に一喜一憂している暇はない。

もっともっと自分の人間力を磨かなくてはならないと感じるゲームとなりました。

全ての方々に感謝。

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ところで試合結果は?と何人かから聞かれましたのでお伝えしておきます。
5-2でした。

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年に1回あればよい。価値ある一笑。


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