チャレンジすることやめられないんだ~

今から4年前、忘れもしない2011年3月11日東日本大震災。
その福島原発近くから北杜市にやってきた家族がいます。

そんな家族の長男ナナトが今日でクラブを離れる事になりました。

福島に残したご両親を引き取り種子島へ家族で移住することを決めたそうです。
お父さんからこの日が来る事は以前から相談されていました。
その準備が整うのが半年先なのか、1年先なのか、2年先なのか、整い次第引っ越す事を聞かされていました。

そして、その日がついにやってきました。

震災直後、当時小学生であったナナトは北杜市へ、そして直ぐにヴァンフォーレ八ヶ岳の一員になりました。
あれから4年弱。4月でナナトも中学2年生になります。

今まで一度もナナトに対してもご家族に対しても震災の話しも詳しく聞かず特別扱いもせず普通に接してきました。
他のクラブ員や保護者皆様に対してもナナトと震災の事についても特に話した事は一度もありませんてじた。

お父さんが挨拶で震災からのお話をしてくれました。
子ども達の表情も真剣そのものでした。私は涙をこらえるのが精一杯でした。
お父さんの話しを聞いて初めてそのような状況から引っ越してきた事を詳しく知った子ども達がほとんどであったと思います。
保護者の方も知らなかった方が多かったと思います。
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子ども達は素直にサッカーができる事がこんなにも幸せなんだと感じたと思います。

私は震災を経験していないので偉そうな事はいえません。
それでも私は子ども達にサッカーができる喜びをほんの少しでも伝えて行きたいと思っています。
サッカーをやりたいと思う気持ちが強ければ誰でも受け入れていきたいと思っています。

今日改めてそう思う事ができました。

これからご家族ともナナトを通じて深い付き合いが始まる矢先での別れは辛いです。
それでもこれも別れではなく新たな深い付き合いの始まりと考える事にしました。

母子家庭、裕福な家庭・・・どんな家庭であろうと子どもには関係ない・・・。
普通に接する。
普通に受け入れていく。

それでも今回は迷いました。
Aチームに早くから呼んでやる事も少しは考えた時期もありました。
なぜなら私が沢山接してやることができるからです。
結局Aチームには一度も呼びませんでした。
正確には先週末の静岡遠征に一回連れて行っただけでした。

先日の3年生を送る会で一緒に盛大に送ってやる事も考えました。
迷いましたが結局はナナトの事は何一つ触れずに送る会を終了させました。

迷いましたが、やっぱり、今日まで他の選手達と平等に扱い通しました。

それが良かったのか悪かったのかはわかりませんが、彼が大人になったときゆっくり話しをしたいと思っています。
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ナナト、弟のナルへ
大きくなったら「種子島グランデ」を立ち上げろ。許可するよ。笑
※「ヴァンフォーレ種子島」は俺だけが許可してもダメだからやめとけ。笑

そしてお父様、お母様へ
短い間でしたがこれも何かのご縁かと思います。
これからもお付き合いの程よろしくお願いいたします。
「種子島遠征」を実現したいと思いますのでその時はナビゲーター等よろしくお願いいたします。

「新しい未来への挑戦」。

ご家族の成功をこころから願っております。
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「感謝を忘れず」

「笑顔を絶やさず」

「自分を信じて」

 

 

「生きる」。

 

感謝!

ヴァンフォーレ八ヶ岳 田畑雅宏

ナナト父のラ・ラ・グランデのナマ歌は最高でした。
みなさん動画・必ず聞いてくださいね。本当に素晴らしいです。


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