話を聞けていないからと言って申し訳ないと思う必要はない。
約束を守らなかったからと言って謝る必要もない。
本気の人は何百人、何千人の出会いの中から本気の本物の人間と巡り会える事を楽しみにしているだけだから。
「スイマセンでした」と言われても困ってしまう。
「これからこころ入れ換えて頑張ります」と言われても笑うしかない。
俺には関係ないことだ。
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昨日より通常練習に戻った。
そんな通常練習初日がボールを使う練習とはほど遠い道徳からのスタートとなった。
よく、他のチームの指導者の方々から田畑さんのチームは挨拶がしっかりできていますね。
と言っていただける。
ありがたいことです。
それはほんの一握りの選手達がしっかりしているだけのこと。
まだまだ、一人では挨拶すらできない選手ばかりだと思う。
私は常に危機感を持っているし、これでは恥ずかしくて恥ずかしくて挨拶できているなんて言われるのが恥ずかしい。
声が小さいから始まって、コーチたちが会話しているのを遮って握手してくる選手、正面に立って止まって挨拶できない選手・・・。
できる選手とできない選手の差は広がるばかりだ。
この夏読んだ本の一文。
「心戒十訓」
1.人を大切にする人は人から大切にされる
2.人間関係は相手の長所と付き合うものだ
3.人は何をしてもらうかより何が人に出来るかが大切である
4.仕事では頭を使い、人間関係では心を使え
5.挨拶はされるものではなくするものである
6.仕事は言われてするものではなく、探してするものである
7.わかるだけが勉強ではない、出来る事が勉強だ
8.美人より美心
9.言葉で語るな、心で語れ
10.良い人生は、良い準備から始まる
福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説 [著 清水 義範]より引用
日常での挨拶できる選手とできない選手の差は広がる。
[9.言葉で語るな、心で語れ] の通り
心で挨拶をしているかどうかの差だと思う。
たとえば、これから練習が始まる。
一日が始まる。
まずはその最初の挨拶にこそ、
「今日の俺はやってやるぞ」
「よし!今日も気合い入れてがんばろう」
「田畑さん!今日もよろしくお願いいたします」・・・・
まずは心に、純粋な気持ちを持つ。
そして身体全体から溢れ出る若者としてのエネルギーが噴出してこないことには始まらない。
声がでかければ良いわけではもちろんないが、腹の底から大声だして挨拶できればまずは初めの一歩だと思う。
真剣勝負が始まる挨拶。
しっかりした心の準備をしてグランドに入って欲しい。
それができていれば、無言で頭を下げただけでも相手の心に響くというものだ。
心で動ける人間になりなさい。
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「言葉でサッカーをするな、心でサッカーをしましょう」投稿日時: 2013年8月23日
再掲載です。
信頼とはどの世界でも、本気と本気の者同士で成り立つものだ。
お久しぶりです
ブログやFBを楽しく拝見させていただいています
本内容を中学のサッカー部の顧問の先生に紹介してもよいでしょうか
開眼
目を開いてもらいたい
どうぞ使ってください。お役に立てば嬉しいです。
ありがとうございます
私の心の話が届くといいです