類は友を呼ぶⅠ

「類は友を呼ぶ」という諺(ことわざ)があります。

一般的には、「似た者同士が自然に集まる」とか「同じ性質を持った者どうしが寄り集まる」という意味で使われます。

しかしながら、人と人の間には、もっと深い内面的なレベルで、引き寄せ合う力が働いていると思われます。

つまり、同じ心の波長を持っている者どうしが引き寄せ合い、つながり合うのです。

作家の宮本 輝さんが、『命の器』というエッセイの中で、次のようなことを書いておられます。

————————————————————————————————————

運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながり合っていく。

へんくつな人はへんくつな人と親しんでいく。

心根の清らかな人は心根の清らかな人と、山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。

実に不思議なことだと思う。

「類は友を呼ぶ」ということわざが含んでいるものより、もっと奥深い法則が、人と人の出会いをつくりだしているとしか思えない。

どうしてあんな品の悪い、いやらしい男のもとに、あんな人の良さそうな美しい女が嫁いだのだろうと、首をかしげたくなるような夫婦がいる。
しかし、そんなカップルをじっくり観察していると、やがて、ああ、なるほどと気づくときがくる。
彼と彼女は、目に見えぬその人間としての基底部に、同じものを有しているのである。
それは性癖であったり、仏教的な言葉を使えば、宿命とか宿業であったりする。

それは事業家にもいえる。

伸びていく人は、たとえどんなに仲がよくとも、知らず知らずのうちに、落ちていく人と疎遠になり、いつのまにか、自分と同じ伸びていく人とまじわっていく。

不思議としか言いようがない。

企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、そのようになってしまうのである。

最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中のひとつに気づいた。

「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。

でなければどうして、「出会い」が、ひとりの人間の転機と成り得よう。

私の言うことが嘘だと思う人は、自分という人間を徹底的に分析し、自分の妻を、あるいは自分の友人を、徹底的に分析してみるといい。

「出会い」が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。

(『命の器』宮本輝著より一部要約して引用)

一流の作家ならではの人間観察ですね。
よき出会いをしたければ、自分の心の波長(人間性)を高めていく必要がある。
ということです。

————————————————————————————————————

 

野口嘉則氏ブログより抜粋させていただきました。

自身の魂を磨く事。

それなくして、子ども達の魂を磨く事なんてできるわけがない。

魂を磨き続けて行く中で、新たな、素敵な選手や素敵な保護者様と出会える。

素晴らしい若者達、偉大な諸先輩方と巡り会える。

それが私の楽しみ。

類は友呼ぶ。出会いは必然。

上手い下手で選手を選ばない。スカウティングはしない。

人間として見極め、育て続ける。

偉い人?、下っ端、金持ち、学歴、元Jリーガー、そんなの関係ない。

人間としての器とは、大きさだけではない。煌びやかさだけでもない。

その方に合った品の良い大きさと質感が大切。

感性を磨き続ける。

私のクラブの原点はそこからスタートした。

これからも変わらない。

そんな方々が自然に集まるクラブであり続ける。

それが誇り。

PRIDE OF GRANDE.

119


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です