本当にサッカーが上手いとはどういうことか

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本当にサッカーが上手いとは、風雪に耐え抜いた古木の年輪の如く、
それは、縄文杉のように深い年輪を刻む佇まいみたいな風格なんだと思う。

僕の思う本当にサッカーが上手い人は三浦知良さん。

ドリブルが上手い、パスセンスがある。

タイミングが素晴らしい。

簡単にゴールを決める。

チームに貢献できるプレーをする。

才能に満ちあふれたプレーをする。

誰もが予想しないプレーをする。

試合を決定づけるプレーをする。

本当にサッカーが上手いとは、

僕はそれだけではないと思っている。

もっと違うレベルをイメージしてしまう。

サッカーをリスペクトすればするほど、雅楽、能楽、文楽、陶芸、彫刻等の第一人者、伝道師や達人達と同様な選手しか想像できない。

だから、カズさんしか見当たらない。
もっとも世界にはカズさん同様な人はいるのだろう。

本当にという言葉が付くからには「上手い」という言葉にはもっと重みがあるべきだと僕は思う。

ハイテクな新建材の効率的なキレイな家と100年、200年と手入れを怠ることなく続く風格漂う日本伝統の木造建造物の綺麗さと比較することに意味を持たないのと同じように、本当にサッカーが上手いもまた、人間の魂の位と比例するものなんだと思う。

僕はそんな感覚というか人生観を持ってサッカー界の底辺の片隅で子供達と一緒にボールを蹴り続けている。
気がつけば30年以上の歳月が過ぎた。

ヤスさんから電話があった。ヤスさんと話しているといつもエネルギーが沸いてくる。やる気になる。思いは同じ。
その時もカズさんの話しをした。

ヤスさんは弟のカズさんをサッカー人としてそして人間としてリスペクトしている。
なんて素敵な兄弟なんだといつも感じる。
ヤスさんとカズさんのツーショット写真はヤスさんから頂いた。
頂いた前日夜にヤスさんの自宅でヤスさんとカズさんの魂注入サインは貴重だと思っています。
この写真も本当に良い写真で玄関に飾っています。

「上手くなりたい!」って小さいときから50歳超しても今も挑戦し続けているカズさん。先日のルヴァンカップでの動きはとても53歳とは思えないキレと躍動感にただただ感動しかなかった。
「サッカーが上手くなりたい」と未だに追求し続けている。
なんて素敵なことだろう。
素敵という言葉すら間違っているのかもしれない。

だから子ども達には、サッカーが上手くなりたいと思う純粋な気持ちを持ち続けられるようにすることが僕のどうしてもやらなくてはならないこと。
プロサッカー選手になっても永遠に持ち続けて欲しい。
カズさんのように。

東日本大震災の時に僕らに勇気を与えてくれたカズさん。
そして新型コロナウィルスの今も、僕らに勇気を与えてくれるのはカズさん。
願いはJ1リーグのピッチに立って得点を決めて欲しいこと。

「本当にサッカーが上手い」とはそういう事なんだと子ども達に伝えたいな。

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若者に伝えたい。

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若者に伝えたい。
若い指導者に伝えたい。

人間は年齢相応に思考も嗜好も変化していきます。

私は人生の半分以上、4半世紀以上、自身の子どもが生まれる前から、 そして自身の子どもが成人した現在もサッカーチームの監督です。

子ども達とサッカーを通じてこんなにも長く、指導者として立たして頂けている事に対して、 万物に、全ての方々に感謝しかない。

20代の頃は自分のチームが勝った負けたで一喜一憂していた。
勝てばドヤ顔になっていたと思う。
ド田舎の設立したばかりの弱小チームの若造監督であった。
地域大会優勝も考えた事なんてなかったし、全国大会なんて夢にも考えた事はなかった。

30代の頃はトレセンコーチや近隣チームの子ども達も教えたりする中で、 試合の勝ち負け以上に選手の技術が上達していく事が楽しく感じるようになっていた。

30代後半から40代の頃は県サッカー協会理事や県外委員等様々な役職も経験した。
山梨県以外のチームや組織も考えるようになった。
スーツを着る機会や、会議や視察や宴会が急増した。
サッカーは社会の縮図だと感じたのもこの頃であった。

40代半ばを過ぎて、やっぱり子ども達を教える事が大好きな自分に気づく。
自分の器に見合うのは小さな地域をしっかりと育てる事だと気づく。

50代になって、息子達や教え子達の多くも社会人に成長していく中で、 サッカーを通じて子どもと親が、その家庭が、その子が幸せであることが一番大切なことだと思うようになった。

20代、30代、40代、50代と考え方や問いかけは変化していきました。
練習内容や方法も変化していきました。
それでも、20代、30代、40代、50代、どの時代も、真剣に子どもに接してきたし、 炎天下も雨の日もグランドに立ち続けてきました。
20代、30代の頃は一緒に川に飛び込んだり、練習後一緒にボールを蹴って遊んだりと あの時の自分が今の自分よりも優れていた事もありました。

私は常に、
決断に迷った時は、子どもにとって幸せな方だと思う方へ決断して進んできました。
自分がその子の立場であったらどう導いて欲しかったかを想像して決断してきました。
「子どもが主役」であるということが私の指導者としての根底を支えています。
大人の柵(しがらみ)は一番後回しにしてきました。

サッカーの技術は、サッカーをやってきた若者であれば教えられるでしょう。
もし、あなたがサッカーコーチを始めたばかりであれば、 教わる子ども達から好かれる事を一番に考えるべきです。

料理人であれば、お客様から好かれる事を一番に考えるべきです。
媚びを売るという意味ではありません。

どんなにサッカーが上手くても、子ども達がそのコーチの事が嫌いであれば 子どもの技術の向上は困難となるでしょう。
料理も同様でしょう。
美味しさも半減してしまいます。

なによりもあなたが人間として、自身のスキルが向上しないでしょう。
これはお互いに不幸な事ですね。

その子、その子によって技術レベルも違えば、モチベーションも違います。
子ども達があなたに会いたくて、会いたくてサッカーに行きたいと思える人になることです。

その子の事を考えていれば、その子が上手くなるためには、練習メニューや声かけも変わってくるでしょう。

料理人であれば食べているお客様を想像しながら、喜ぶ顔や健康を想像しながら料理を創造していけるかです。

日々の試行錯誤の連続の中であなた自身が磨かれて行くものです。

人間は年齢相応に思考も嗜好も変化していくと冒頭で伝えました。
年齢とともに変化するとは、熟成していくことであります。
熟成するためには一定の時間(様々な人生経験)が必要となってきます。

熟成の差は人生経験の質と量でも大きく違ってくるでしょう。

今、世界中、日本中の出来事から、テレビや新聞で報道されない田舎の小さな出来事さえも瞬時に知ることができる時代となりました。

経験しなくても、ウェブで簡単に練習メニューから、 様々な素晴らしい言葉や理論までもパクれます。
リオのカーニバルに行ったことが無くてもリオのカーニバルを語れる時代です。

考える事をしなくても誤魔化せる時代です。

子ども達を教えている先生が考えなくなったら、と考えたら? 本当に恐ろしいことです。
考えていない人から教わるということは授業を受けに教室に行く理由がなくなります。
せめてサッカーのコーチは考え続けて欲しいです。

予備校最大手であった代ゼミが27校のうち20校を閉鎖したニュースを知りました。
「いつやるか?今でしょ!」でおなじみの東進ハイスクールが近年躍進しているようです。
子ども達は、個別のパソコンに向かって録画された講師を自分の好きな時間で勉強しているようです。

技術だけを学ぶならサッカーもパソコンやスマホに向かって練習しても上達する時代が直ぐそこまで来ているのかもしれません。

だからこそ。
アナログ的側面、曖昧な側面こそがコンピューターにはマネできない分野です。

サッカーは完璧なシュートでも1センチずれるとポストに当たりノーゴールにもゴールにもなります。
ミスキックがGKのタイミングをズラしコロコロとゆっくり入る事もあります。

データーから導き出すことはコンピューターの分野です。
経験から考える事ができるのが人間です。
考える事を常日頃から磨き続ける事は人間としていつの時代も必要不可避なのです。

若者のみなさん。
急ぐ必要も、焦る必要もありません。
のんびりでよいかと思います。

それでも考える事だけは止めないでください。
簡単に情報を手に入れないでください。
簡単に根拠のない情報を信じないでください。
1000人が「いいね!」押しても、その1000人が何も考えないで押しているだけかもしれません。

沢山勉強して、沢山苦労を重ねて、多くの人と出会い、多くの場所へ足を運び、 沢山の経験を積み、人生をゆっくり、時間をかけて豊かにして行ってください。

あなたの幸せがあなたと出会った子ども達や周りの方々を幸せにしていきます。

一人でもよいから、若者に伝えたい。
一人でもよいから、若い指導者に伝えたい。

末端のサッカー指導者の私ですが、この歳になってあなたに伝えたい事です。

※サッカーBANKさんに寄稿した記事の再掲載です。タイムラグはありますが加筆修正はしていません。

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