ラッキーエビス

昨日は、東京へ行った。もちろんサッカー友人のチーム視察。
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夜は次男と久しぶりにメシを食った。

大学のサッカー部も楽しいようだ。

ジュニアチームのコーチのバイトも始めたらしい。

私が25年前に宿泊業を始めるにあたって1年間修行させていただいたお店へ8年ぶりに訪れた。
ここの社長には本当に世話になった。

以前は某市でナンバーワンの売り上げを誇り、TVにも出演し、正社員10名程度、その時代に修業させていただいていた。

当時はバブルの影響もあり、4,5万もするワインが1日数10本も売れていた。

一人あたりの客単価も1万円を超していたから、神戸牛のサーロインや、アワビや伊勢エビの食べかけを皿洗いしながら良く食べていたものだ。

今思えば誰が食べたかわからないのに、本物の味を覚えるのに必死で食べたものだ。
ワインの残りもノートにメモりながらよく飲んだものだ。

ここの店は板場はバイト入れない方針、特別の計らいで入れてもらったけど、厳しかったな。特に先輩方がホントに。
年功序列だから、朝6時に来てお湯わかして、玉葱100個剥いて、漬け物つけて、帆立貝何百個も洗って、野菜洗って、etc,,,,先輩方がくる準備をしておく、料理長が現れるのは11時頃。何度怒鳴られたことか、「バカヤローこんな洗い方すんなボケ」なんてね。

夜は21時にラストオーダー、料理長は直ぐに帰宅。俺は全員が帰ってから調理場の床をデッキブラシで掃除して電気消して帰る。自宅に原チャリで飛ばして帰って深夜12時を過ぎる。
そんな生活をしていた時代。
手はボロボロだった記憶がある。唯一の楽しみは15時からの昼休みの30分の休憩時間。爆睡がこんなにも幸せだと感じたものだ。

「こんなことしていて本当に八ヶ岳で宿泊業開業できるんだろうか」と何度も思った。
だいたい料理1品すら作れないし、誰も教えてくれないし。毎日、皿洗いと溝掃除とパシリで、俺だけ汗かいていて、料理長とかいつも楽そうだし、料理学校で習った方が良かったな。
そんな事も思った事も多々あった時代。
途中で辞めるのがなんだか悔しくて、絶対に遅刻もしないでやりきってやると自分に決めてやり通した。
おそらく、半分はヤケクソになっていたのかもしれないけど。
それでも、半年程度してくると、同世代の先輩が自分の夢語り出したり、ソースのメモ渡してくれたり、段々と俺が真剣に取り組んでいることに応援してくれるようになつてきた。
(ここの店・料理マニュアルはありません。全ての味は料理長の味見でOKで決まる。OKでないとソース担当とか変えられてしまう。もちろんレトルトとかありません。全てが手作り。そんな店です)

開業した日に数日間、料理場の先輩達が応援に来て料理作ってくれた事が、本当に嬉しかったのを覚えている。

 

そんな事も久しぶりに思い出した。

なんでもそうだが、やはり基本が大切。
そして若いうちは、身体で覚えるということ。
理不尽であつても自分が決めた事はやり通す強さ(期間決まっているのだからね)、理屈ばかりで動かないヤツは、やはり使い物にならないと言うこと。

それにしても

相変わらずご夫婦で元気よく切り盛りしている姿が見られて良かった。

そうそう、お店にあったヱビスビール。
鯛が籠に入ってるラベルを発見。THE HOPの横にもホップのイラスト入り。
これは四つ葉のクローバ並のラッキーエビス。

これだけで、今日1日が気分良く終えられた気がする。

今日もまた友人、息子、お店のカウンターのお隣でご一緒となつた年配のお客さんの素敵な老夫婦。そしてお世話になった社長と奥様。
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沢山の出会いに感謝。
今は3人のお孫さんに囲まれたおじいちゃんでもある社長が、特大のサーロインを焼いてくれた。お店のご紹介は次回で。こうご期待。


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