散歩しました。

「タクヤ、試合中散歩しているみたいだな」。

先日TMビデオで選手達と観ていた時に俺が言った言葉。

若いのにゲーム中、散歩できる選手はなかなかいない。
なにより散歩は健康によい。

もっともタクヤは散歩しているといよりは徘徊だな。
徘徊は家族への負担が大きすぎる。
なによりも徘徊は本人が状況を把握できていない場合が多いらしい。
(よってタクヤを褒めているわけではないことはわかっているだろうけど・笑)

俺もそうだが、なかなか八ヶ岳の自然の中に住んでいるのに散歩すらできない。
車で移動ばかり、たまにランニングするときもあるが。
目的地や目的だけにとらわれて居る場所の周りが見えていないと感じる。

灯明台もと暗し・・・だ。

散歩をすると、草花の匂い、風の暖かさ、冷たさ・・・感じることができる。
感覚で季節を感じることができる。
道端に眼を凝らしてみると沢山の蟻達が忙しく動き回っている事も見える。
雨上がりの日はミミズも沢山出てきている・・・。
こんなところに家が建っている事も気づくこともある。
たまに見知らぬご老人とご挨拶もあるかもしれない。
いつもとは違う世界が現れる。

試合中に散歩できるということは、
ゲームの流れ、相手の顔色、風向き、太陽の反射角、主審や線審の判定基準、相手監督さんの言葉・・・ボールばかり追い続け、走りつづけている時には見えなかった風景が見えてくる。
ゴルフでもパットまでの道が見えるそうだが、ゴールまでの道が見えてくることであろう。

散歩できる選手で思い出すのは皇帝ベッケンバウアー、点取り屋のバティストゥータ・・
日本だと遠藤保仁あたりか。
昔の静岡学園高校さんは散歩サッカーであった。
今でも優勝したのは浦和南高校なのにS52年?の全国高校サッカー選手権大会浦和南との決勝戦での静岡学園高校の散歩の強烈さはどうしても消えない。
その名将井田さんは今は全国散歩しているらしい。(もしかしたら世界を散歩中かもしれない)
散歩サッカーを早送りで観るとバルサのイメージになる。

散歩は長続きする。
散歩は身体への負担も少ない。
ランニングは膝への衝撃も大きい。

うちのチームも散歩のような身体に優しい心が洗われるようなサッカーができないものか。

ゆっくりと周りを観察しながら(散歩)試合自体を愉しみながら、

今日の(散歩)ゲームで一日が豊かになるような。

忙しいボール蹴りからもっと崇高な散歩サッカーを目指していきたい。

まだまだですけどね。

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イタさま。写真拝借しました。


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