欧州でプロになり日本サッカー界に革命を起こしたい!

僕が小学生の頃からの付き合いである地元山梨のサッカーチーム、グランデアメージングアカデミーフットボールクラブ監督である田畑さん!

簡単に田畑さんとの関係を紹介させて頂きますと、僕が幼少期ずっとサッカーをしていたトラベッソというチームのライバル的なチームの監督さんで、小さい時から大変可愛がって頂いていました。スペインにいた際にも鼓舞して頂いていましたし、オフシーズンで一時帰国した際には毎日のように練習試合をさせて頂いていました。第2の原点と言っても過言ではないですね。

今回対話した内容はというと、前々からご相談させて頂いていたスペインへの挑戦に関して詳しい日程やこれからのビジョン、クラウドファンディングの現状報告や田畑さんがこれから行おうとしていることを中心に話をしました!

山梨県北杜市八ヶ岳という田舎より田舎ともいえる場所でサッカーを指導している田畑さんですが、まあ日々会うごとにやる事が大きくなっています。びっくりです。昨日も色々とお話を聞かせて頂いたのですが、正直、そんな小さなコミュニティから大事を成そうとしている事実に驚きを隠せません。僕は無理があると思っていました。でもやはり環境っていうのは、あまり関係ないのかもしれませんね。発信力に関しては。

僕がいたトラベッソというサッカーチームもそうですが、試合に勝った負けたの「結果」というのは育成年代にとって実はあまり重要ではなくて。要は根本的な「サッカーの楽しさ」を学ぶ環境を創ることが大事なんだと思います。トラベッソもグランデも日々の練習はハードです。バチバチ削り合いますし、勿論時期によっては走ったりボールを使って追い込んだりします。ただ、それだけでは「サッカーの楽しさ」なんか分からず、むしろサッカーを嫌いになってしまうと思うのですが、秋山さん(トラベッソ監督)にしろ田畑さんにしろ、そこにプラスアルファ「楽しさ」を持ってくるのです。付け足してくれるのです。

「追い込む→きつい→追い込む→嫌いになる」

という方程式ではなく、

「追い込む→きつい→世界に近づいてる→嬉しい→追い込む」

という方程式なんです!

だからよく僕は、オフの日とか皆んなと集まってご飯を食べたりしたあと、歩いている帰り道とかいきなりダッシュして追い込み始めますし、恋人とのデート中いきなり腕立てとかも始めたりします。笑 もちろん皆なからは「変人」だとよく言われるのですが。それくらい楽しいんです。追い込むということは。マラドーナに近づくということは。

少々長くなりましたが、田畑さんはそれを理解してくれる人です。普通の人には理解してもらえないです。秋山さんと田畑さんは見えない世界を見ようとしている人たちです。僕もそれを見たいです。だから世界に出たいのです。世界で暴れたいのです。

田畑さん、昨日はありがとうございました!これからも引き続きよろしくお願い致します!
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ルイが先日会った翌日に書いた文面です。
ルイこと宮川類は10歳から15歳までスペイン1部アトレティコマドリードのカンテラにいた。
慶應義塾大学ソッカー部中退を経て、再度スペインで挑戦する。

グランデの選手ではないが、グランデの選手だと俺は思っています。
だから、ルイが子どもの頃から、こころでは繋がっていたと思う。
今津祐太やタイガなんかもそうだし、ヨシカズもそうだな。横澤直樹君なんかとも6,7年の付き合いだけど小淵沢で夕飯食べた時、グランデの匂いが充満していた。

俺はグランデのチームの子だけがカワイイわけではなくて、サッカーが大好きで、大好きで、向上心を持って挑戦し続けている子が大好きなだけ。
だから敵のチームの子であろうが見方だろうがあまり関係無くて、未来を見続けている目の輝きある少年が大好きだ。
それがグランデの子全員だったら最高だと思っている。

俺は、そんな連中をサッカーの同志だと勝手に思っている。
たまたま俺が年上なだけで、みんなより、知識と経験が多くて、立場が監督で、子ども達からみたら雲の上の存在???もしくはお父さんみたいかもしれないけれど、サッカーの情熱が同じなのだから、やっぱり、同志なんだと思う。

そして、そんな同志の挑戦する若者に自分ができること、自分の夢を託すことが、今の俺の生きがいであり、役目だと思っている。

ルイが、今回、スペインに挑戦することは本当に素敵なことだと思う。
名門慶応大学よりも、自分のこころを優先したことに敬意を表したい。

そんなルイの「スペイン・挑戦・日本サッカー・革命」のフレーズが
同じタイミングでほぼほぼ俺の挑戦と相通じていてルイとの目に見えないエネルギーのご縁を感じている。

そんなルイが今、クラウドファンディングで資金を集めています
もちろん私も支援金を送りました。

みなさんの大切なお金ですので無理は言いませんが、少しでもルイに自分の夢を託して支援してくれたら嬉しいと思いクラウドファンディングの情報も書きました。

ルイ、俺とお前と、どつちがサッカー楽しめるか勝負だな(笑)

¡Que tengas buena suerte!

28ルイが中学生1,2年生?の時に俺にくれた色紙。

S__12042246つい先日一緒にメシを食った時の一枚。サッカーの同志(笑)
サッカーの楽しさ!負けないぜ!

DEN開業30周年記念

2018年5月12日大安土曜日。
ステンドハウスDEN開業30周年記念祝賀会を友人達が中心となり八ヶ岳・北杜市小淵沢町にて盛大に開催していただけました。

1988年5月1日。
今から30年前、同年4月18日に妻綾子と結婚し、入籍と共に25歳の若造が夢と希望を抱いてこの見知らぬ八ヶ岳の地へやってきました。

あれから30年。

この30年は、本当に浦島太郎の如くあっという間でした。
気がつけば髪の毛も真っ白です。(笑)

開業翌年の平成元年。
長男が生まれた時、この子の笑顔を見ながら「大学なんて出してあげられないだろうな、せめて高校はしっかり通わせてあげられるだけ頑張らないと」。
そんな事を思いながら日々汗を流しいていた若き自分を思い出しました。

それが3人の子供達をそれぞれ東京の歴史ある大学へ一人暮らしをさせて通わすこともでき(娘は大学3年ですが・・・)、どうにか銀行から借りたお金も予定どおり数年前に完済できました。

世間様に迷惑をかけず人並みの生活を過ごさせていただけている。
それだけでも本当に幸せなのに、こんなにも素晴らしい祝賀会を開催していただけたなんて本当に自分は運が良いと感謝しかありません。

DEN開業30周年記念祝賀会ですが、結婚披露宴のように二人で式典に入場でした。
何も聞かされていなかったので戸惑いました。(^^)!
来賓の皆様の円卓を妻と挨拶してまわりながら、30年前の結婚式がフラッシュバックのように蘇りました。
あの時、夢と希望を持った若かりし自分と妻がいて、沢山の方々に祝福されていました。

その時と同じように、30年経った今。
沢山の方々に祝福されている自分と妻が来賓の皆様の円卓を挨拶してまわっている。
そして、30年前と全く変わらず、もしかしたら30年前以上に、今なお夢と希望に満ちあふれている。
これからの人生にワクワクしている自分がいる。
やりたいことだらけの自分がいる。
本当に嬉しい事です。

そして、こんなちっぽけな私が、小さなDENのオヤジが、代々続く老舗旅館ならまだしも、開業30周年というお祝いを盛大にできることは奇跡に近いし、本当に嬉しいし、この八ヶ岳界隈、もしかしたら全国を見渡してもそうそうできることではないと本当に感じています。
それだけに、感無量で、本当に、涙がでそうでした。
泣かないように頑張りました。

企業生存率なる統計データによると30年以上生存する企業はなんと0.02 %だそうです。
1.000社だと998社は生存していなく2社だけしか生き残っていない。
100社だと生存会社率は限りなく0社と言うことです。

私達より後から始めた方で閉められた方も沢山見てきました。
そう思うと、本当に私は運が良かったなと思います。
私の出会った全ての方々のおかげでここまで来られたことは間違いないです。
だからこそ、お客様、友人、地元の方々、1回でもお会いした全ての方々に感謝の気持ちで接するしかありません。

私達の大切な子供達からまさかのサプライズがありました。
長男、次男、長女、ひとりひとりのスピーチは本当に心に浸みました。
ヤバイです。涙が目に沢山溜まってしまいました。
宿泊業なので夏休みも休日もどこにも連れて行ってあげられなかった。
サッカークラブの監督なので息子達二人にはサッカーのアドバイスすら不公平になるからと距離を置いて接していました。
親として何も子供達にしてあげられませんでした。
ひとつだけあるとすれば、私も妻も子供達三人を心の中で愛し続けていた事だけは確かです。
もちろん今もです。(^^)!

DEN開業30周年は、結婚30周年でもありました。
DENの歴史と田畑家の歴史は一緒であり沢山の思い出が詰まっています。

子供達が生まれる前からサッカーの監督。
そして子供達が成人してもサッカーの監督を続けている事に感謝しかないです。

重複しますが、子供達のスピーチを聞いていて、こんなにも立派に成長したのだな。
頼もしいな。

そう感じられたことは、ステンドハウスDEN、グランデを一生懸命やってきて本当によかった。
間違っていなかった。
そう確信になりました。
自分と妻の歩んできた人生に自信を持つことができました。
ステンドハウスDENとGRANDEにプライドを持つことができました。

どんなにDENとGRANDEが繁盛したとしても、自分の子供達がDENとGRANDEを通じて育っていなければ、私はDENとGRANDEにプライドを持つことはできなかったと思います。
我が子達をDENとGRANDEの犠牲にしてしまうことは絶対にあってはならないことだからです。

これからもそのようなスタンスでお客様にも、グランデアメージングアカデミーの子供達にも接して行きます。
人生を歩んでいきます。
それが私の人生観です。

私がこれからすること。

それは、
この30年間、私達を育ててくれたYATSUGATAKEとFOOTBALL。
全精力を注ぎ込んでYATSUGATAKEとFOOTBALLに恩返しする30年にすることです。

「無私他利」の精神で人生を妻と共に歩んでいきます。

感謝!

2018年5月吉日
田畑雅宏

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週末ということもありサッカー関係者の皆さんは現場でした。(^^)!
沢山のサッカー仲間からメッセージやお花いただきました。42
43子供達からのプレゼント。そして子供達それぞれの手紙を後日ゆっくり読んで妻と泣きました。(^^)!
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ここ毎日、玄関、リビングに花が溢れています。
とても良い香りに満ちています。24
3ヶ月かけて時間の合間に作り上げた記念誌。(^^)!

これからもよろしくお願いいたします。
田畑雅宏

DEN30th Anniversary

本日、ステンドハウスDENは30歳の誕生日を迎えました。
1988年5月1日。
資金も地縁も全くなかった25歳の世間知らずの若造が東京から夢と希望を抱いてこの八ヶ岳の地でDENを開業しました。
気がつけばDENで生まれた三人の子供達はみな成人し、孫も生まれ、白髪の54歳になっちゃいました(笑)
出会った全ての皆様のおかけでどうにかここまで歩んで来ることができました。
これも私が出会った全ての皆さんのおかけです。
まだまだ私は前へ進みます。
妻共々、
これからもお付き合いの程よろしくお願いいたします。
感謝。
田畑雅宏

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80ページのDEN_BOOK作成しました。
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友人の前田さんからです。ありがとうございました。
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友人のヤスさんからもいただきました。
他にも友人の皆様沢山のメッセージありがとうございました。
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いつもと変わらない日常ですが、ささやかながらケーキでお祝いです。(笑)

おめでとう! 大輔!

3月3日クラブスタッフの結婚式でした。
3月4日はそのスタッフのグランデ結婚式を行いました。

スタッフと言っても、彼は15年間、良い時も辛いときも、直向きに私についてきた弟子です。

私の右腕であり左腕であり、一緒にグランデを築きあげてきた同志でもあります。

そんな息子みたいな弟子が結婚したのですからこんなにも素晴らしい日はありません。
本当にこの日が来るのが楽しみでした。

大輔の満面の笑みと男泣きを見守る事ができて、私も一緒に泣いてしまいました。
こんなにも素晴らしい日が訪れた事がただ、ただ、嬉しかったです。

本当に最高の二日間でした。

真面目だけが取り柄の彼をやはり勝利の女神は見捨てていなかったと思いました。

コツコツ地道に純粋に子供達に接し続けてきた事が報われました。

そして不器用で口べたでありながらも、彼のこころの内面の良さを感じとることができる優しい女性。

すなわち純粋なこころを持った詩音と必然に結ばれたんだと思います。

ここでは書ききれない、書き尽くせないです。

ひとつだけ書くとすれば、イチローさんの言葉ですが、
「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。」

まさに、大輔そのものの言葉です。
グランデから離れていたら、私を信じ続けてくれていなければ、一つの事をやり続けていなければ、
この、とんでもないとこへ行き着いた幸せ(^^)!は訪れなかった事だけは確かです。

人生という勝負で、投げ出さず、与えられた場所で子供達と純粋に向き合い続けた大輔の完全勝利です。

これからも小さいことを積み重ねコツコツと地道に詩音と力を合わせて人に優しい誰からも愛され続ける夫婦として人生を歩んで行ってください。

必ずやこの先も、さらなるとんでもない幸せにたどり続けるし、勝利の女神が微笑み続けてくれることでしょう。

おめでとう!  大輔、詩音!

俺は嬉しい!

3月3日(土)結婚式&披露宴
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俺が撮ったベストショット2枚(^^)!両父を収めています。(^^)!
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最高の笑顔だな!
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3月4日グランデ結婚式
クラブ員総勢180名出席。
OB保護者のお力を借りて昨年11月から企画。大成功でした。
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こんなにも沢山の子供達に囲まれた結婚式なんて日本一の幸せ者だぞ!
※暗くて画像ボケの為、全選手掲載できなくてスイマセン。
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QBたちも駆けつけました。
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大輔の結婚と共にクラブもグランデアメージングアカデミーフットボールクラブにステップアップです。
一緒に世界を目指しましょう!
俺も幸せ!(笑)

Informe de España~Turismo

スペインに10日間いて、ほとんどサッカー場にいました。
実は、娘がオーストリアの大学に留学中でした。
1日だけでもウィーンに行って会おうかと話しをしていました。
そんな会話自体が、八ヶ岳の田舎オヤジがしていることなんて想像できませんでした。(笑)
結局、朝から夜遅くまでサッカー漬けで、時間は作れませんでした。
もちろん観光も諦めていました。
それでも、肌で感じた歴史の重さに触れられ、行く先々で目に入ってくる景色には、ただ、ただ、感動の連続でした。
とにかく、至所に、銅像があり、公園があり、古い町並みが調和していました。
次回はゆっくりと街中を歩きたいと思いました。
※でも、やはりFutbolを見て歩くんだろうな。

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スペイン2日目、最初に行った世界遺産サクラダファミリア。
100年以上経っても完成していないというだから凄い。一番行きたかった所。
地下鉄でグラシア駅からサクラダファミリア駅下車、地上に上がった瞬間にこの建物が現れて!感動でした。
うちのスタッフの友人がサクラダファミリアの建築に携わっていて私は面識ないのですが訪ねていけばと言われておりましたが時間がなくてお会いできませんでしたのが少し残念でした。

バルサキャンプの子供達の観光バスに便乗して、モンジュイックの丘に連れて行ってもらいました。(^^)!
ここは歴史的に様々な紛争が繰り返されたとこらしく、なんでも、市内が一望できて、バルセロナの戦略的要塞だったらしいです。
カタルーニャ考古学博物館とかもありました。
中に入りたかったけど閉館に近い時間でした。
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カタルーニャ考古学博物館の頂き。
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フットボールマニアにも行ってきました。(^^)!
KAMO スポーツみたいな感じです。
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最終日は、ジョアン・ガンペールで15:00頃まで過ごして、始発のSant Feliu|Consell ComarcalからMaria Cristinaまで行って、そこから地下鉄に乗り換えカタルーニャ広場に行って、半日市街を歩きました。
アメリカ人らしき家族連れに道を尋ねられました。(笑)
カバンも持たず、ジーパン、スニーカーのいつものスタイルで早足で歩いていたからだと思います。
地下鉄のドアも観光客らしき方に開けてあげられました。(笑)
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カタルーニャ広場
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石畳に歴史が感じられました。Baixada de Viladecols

このおじさんの音色にひとり酔いしれました。(笑)
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何気に至所にステンドグラスあり。
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公園の水道にも歴史というか・・・オシャレです。322
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ピカソの壁画らしい。
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Plaça del Rei 王の広場
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市場は混雑していました。クリスマスの熱気でした。
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カタルーニャ選挙を控えてか、小さなデモはありました。(^^)!
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グラシア通りにあるガウディのカサミラとカサ・バトリョ331

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夜のカタルーニャ広場は綺麗でした。329
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カタルーニャ広場前は朝から晩まで POLICIA さんが待機していました。(^^)!
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降りる駅間違えたけど一駅だけだったので ¿Perdone donde esta el Corteingles? で通じたので歩いて来れました。(笑)
ホテル近くのデパートの前ではなんだか賑やかでした。
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バルセロナオフィシャルショップで買い物してきました。

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電車の中に、普通に犬がリード無しで乗っていた。
日本ではありえないだろうな。

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ラストに滞在したバルセロナ市内のホテル。
私には似合わないほどオシャレでした。(笑)
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いよいよ、日本へ帰るのですが、スペイン語も英語もしゃべれないオヤジ1人で、まず、ホテルからバルセロナ空港まで行けるかから始まり、空港で手続きができるのか・・。
案の定というか、苦戦しました。
正直、日本人の一人か二人は空港にいるだろうと思いましたが誰もいませんでした。
英語もろくにしゃべれず、スペイン語の単語で・・スペイン人の同世代のご夫婦に聞いて・・・搭乗手続きができました。
その方も飛行機は慣れていなかったようで結構時間かかりました。(笑)

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これで、もう安心と思い。
搭乗口も確認して、あと1時間あるのでカフェで一服していました。
搭乗15分前で並びだしたら、なんとその搭乗口はエジプト行きの表示(^^)!
よくよくスペイン語と英語のアナウンスを聞くと、どうもゲートが変わったみたい。
急いで100メートル近く走って搭乗口に間に合いました。
流石に焦りました。(笑)
そんな初心者海外旅行でしたが、ほんと楽しかったです。

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※シャルル・ド・ゴール空港で成田行きに乗り換え待ち。
※娘の滞在しているオーストリアはパリからも近いのにと思いながら・・・。
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※中央奥に小さく見えるのが富士山です。

そんなスペインへの旅でしたが、どうにかスペインを脱出し、パリ経由で日本へ戻ってきました。

日本の便利さも感じた半面、日本が世界の常識ではないことを身をもって学ぶ事ができました。
日本の中の蛙にならないようにしなくてはいけないと思いました。

そして、改めて、Fútbol は素晴らしいと実感しました。
何故ならば、カンテラのコーチや関係者の方々とは勿論だけど、サッカー場で、子供の試合を応援していたお父さんやお母さん達とスペイン語喋れなくても、なんだか意志が通じ合えた瞬間をハートで感じる瞬間が沢山あったからです。
一緒にゴールした瞬間喜んでしまいました。

だからこそ、自分のクラブの保護者さん達と、今以上にリスペクトの関係を作りたい。
それもグランデに戻したひとつ。
昔のグランデの保護者さんとは今でも楽しくお付き合いがある。
そんな関係だからこそ、おこさんを叱れるし、AとかBとか関係無く付き合える。

スペイン楽しかったな!
スペインはまた行きます!