ピテカントロプスになる日

DENの新たな足運を呼ぶパワースポット!
ピテカントロプス壁画が感性(完成)しました。

制作者は尾道在住プロのイラストレーター福田翔太郎さんです。

翔太郎さんはピテカントロプスという少年サッカー雑誌(フリーマガジン)を発行している方でもあるんです。自費でタンザニアまで取材行っちゃって書いているんです。
今年の6月にピテカントロプスを開いた時、ピテカントロプスをワクワクしながら一気に読んじゃいました。

何故気持ちよくなるかが、6日間一緒に居て分かりました。
それは翔太郎さんの人柄そのものがピテカントロプスに表れているからなんです。
翔太郎さんの生き様はこちらの取材記事がドンピシャで書いてあるので見てください

本来、サッカーとはピテカントロプスであるべきなんです。(笑)

ピテカントロプスは直立歩行猿人ではなくて原人であり人間の原点だから。
(学術的に違っていたらスルーしてください。あくまで僕の認識です)
だからサッカーの原点を常に忘れてはならないと言いたいだけです。

子供達の毎日の笑顔が見たくてサッカーコーチをスタートした20代だった僕ですが、いつのまにか選手も増えて、チームも強くなってきて・・・真剣な顔をしていないとサッカーをしてはいけないような雰囲気になっていた気がします。

日が昇って、狩りをして、身体が疲れて、日が暮れてのピテカントロプスの生活から時間に追われ、膨大なメールやライン、不要な噂話、で心が疲れて日付けが変わっての現代人の生活。

グランデはやっぱりピテカントロプスのチームにしたいです。
生きた化石のチームがあってもよいかなと思います。(笑)

もちろん両方大切なんです。

それでも原点は選手もコーチもサッカーが楽しくなければ始まりません。
だからこそ、頑張れる。真剣な眼差しになれる。選手とコーチの間に永遠の絆が生まれるのです。

DENはありがたいことに毎年全国から沢山のフットボーラーが集います。
ジュニア、ジュニアユースのクラブチームから少年団や部活動チーム。
バリバリの現役Jリーガー、全国制覇した高校生達、Fリーグ、社会人チーム、ブラインドサッカー日本代表、デフサッカー日本代表、ビーチサッカー日本代表、設立1年目の街クラブ、人数減少しても踏ん張っているスポーツ少年団、大学のサッカーサークルやフットサルサークル、某名門大学蹴球部OBの飲んだくれのオヤジ達・・・(笑)。

この素敵なフットボーラー達から沢山の気づきやヒントや刺激を頂けて今の僕があります。
グランデもDENも僕もそんなフットボーラーの仲間に育て続けられてきました。

そんなリスペクトしているフットボーラー達がピテカントロプスDEN壁画で記念写真に収まってくれたら嬉しいです。

進化しすぎた人間達ですが、ピテカントロプス(原人)を思い出す事は生きていく上でこれからも大切かと思います。

DENも私もピテカントロプスになる日が来ればよいなぁーと感じています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ピテカントロプス元年 9月吉日

田畑雅宏

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サッカーを通して子ども達の想像力の可能性をもっと広げるため、「こんな方法もあるんだよ!」という選択肢を広げられたらの思いで作っている。(福田翔太郎氏)
本当にその通りで、このピテカントロプスを開くだけで心地よい気持ちにさせてくれます。こんなサッカーへのアプローチって素敵です。

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そんなわけで完成したDENの21世紀型ピテカントロプス(原人)です。
もちろんピテカントロプスの中身は私と妻と子供達3人の田畑ファミリーなんです。
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中にいる5人の田畑ファミリーですが、世界的フットボーラーをイメージして描いています。誰だかわかるでしょうか。31番も意味があります。
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9月10日 このために7月から用意したコンクリート壁。翔太郎さん!いよいよです。
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暑い日も
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雨の日も59
朝6時から日没になっても没頭している翔太郎さん!
この眼差し!カッコイイっす!
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9月15日完成! DENから沢山の方が有名人として出世しています。
翔太郎さんは今でも、雑誌ナンバーやサッカーフリーク愛用golのファッションアイテムや全国選手権のプログラム等のイラスト依頼多数来ている売れっ子です。
この壁画が何億円の価値となる日もそう遠くはないでしょう(笑)
そうなってもお付き合いお願いします!
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僕と同じで背の高い翔太郎さんと完成の記念写真!
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夜はこんな感じです。インスタ映え。カッコイイ!
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毎晩一緒にメシ食べて、沢山プライベートの話しもできました。
本当に心優しくて、翔太郎さん!最高です。素敵な方です。
人柄は作品に表れますよね。
サッカーチームも同じですね。
僕のグランデはやはり僕が描かないとグランデという作品ではなくなってしまうことに今さらながら気がつきました。
44そして、翔太郎さんを繋いでくれたイマイジーニョ氏もDENに駆けつけてくれて、そしたらシャペウの大野さん、鞠中毒@オマさん、ブラジル現役プロサッカー選手のきららちゃんらのそうそうたる面々が揃い、メチャクチャ楽しい俺の夏休みが来ちゃいました。(笑)

そうなんです。
彼らこそがピテカントロプス@フットボーラーです。

※この気になる仲間達については追ってブログで書きたいと思いますので楽しみにしてください。

ピテカントロプスは続く。

DEN開業30周年記念

2018年5月12日大安土曜日。
ステンドハウスDEN開業30周年記念祝賀会を友人達が中心となり八ヶ岳・北杜市小淵沢町にて盛大に開催していただけました。

1988年5月1日。
今から30年前、同年4月18日に妻綾子と結婚し、入籍と共に25歳の若造が夢と希望を抱いてこの見知らぬ八ヶ岳の地へやってきました。

あれから30年。

この30年は、本当に浦島太郎の如くあっという間でした。
気がつけば髪の毛も真っ白です。(笑)

開業翌年の平成元年。
長男が生まれた時、この子の笑顔を見ながら「大学なんて出してあげられないだろうな、せめて高校はしっかり通わせてあげられるだけ頑張らないと」。
そんな事を思いながら日々汗を流しいていた若き自分を思い出しました。

それが3人の子供達をそれぞれ東京の歴史ある大学へ一人暮らしをさせて通わすこともでき(娘は大学3年ですが・・・)、どうにか銀行から借りたお金も予定どおり数年前に完済できました。

世間様に迷惑をかけず人並みの生活を過ごさせていただけている。
それだけでも本当に幸せなのに、こんなにも素晴らしい祝賀会を開催していただけたなんて本当に自分は運が良いと感謝しかありません。

DEN開業30周年記念祝賀会ですが、結婚披露宴のように二人で式典に入場でした。
何も聞かされていなかったので戸惑いました。(^^)!
来賓の皆様の円卓を妻と挨拶してまわりながら、30年前の結婚式がフラッシュバックのように蘇りました。
あの時、夢と希望を持った若かりし自分と妻がいて、沢山の方々に祝福されていました。

その時と同じように、30年経った今。
沢山の方々に祝福されている自分と妻が来賓の皆様の円卓を挨拶してまわっている。
そして、30年前と全く変わらず、もしかしたら30年前以上に、今なお夢と希望に満ちあふれている。
これからの人生にワクワクしている自分がいる。
やりたいことだらけの自分がいる。
本当に嬉しい事です。

そして、こんなちっぽけな私が、小さなDENのオヤジが、代々続く老舗旅館ならまだしも、開業30周年というお祝いを盛大にできることは奇跡に近いし、本当に嬉しいし、この八ヶ岳界隈、もしかしたら全国を見渡してもそうそうできることではないと本当に感じています。
それだけに、感無量で、本当に、涙がでそうでした。
泣かないように頑張りました。

企業生存率なる統計データによると30年以上生存する企業はなんと0.02 %だそうです。
1.000社だと998社は生存していなく2社だけしか生き残っていない。
100社だと生存会社率は限りなく0社と言うことです。

私達より後から始めた方で閉められた方も沢山見てきました。
そう思うと、本当に私は運が良かったなと思います。
私の出会った全ての方々のおかげでここまで来られたことは間違いないです。
だからこそ、お客様、友人、地元の方々、1回でもお会いした全ての方々に感謝の気持ちで接するしかありません。

私達の大切な子供達からまさかのサプライズがありました。
長男、次男、長女、ひとりひとりのスピーチは本当に心に浸みました。
ヤバイです。涙が目に沢山溜まってしまいました。
宿泊業なので夏休みも休日もどこにも連れて行ってあげられなかった。
サッカークラブの監督なので息子達二人にはサッカーのアドバイスすら不公平になるからと距離を置いて接していました。
親として何も子供達にしてあげられませんでした。
ひとつだけあるとすれば、私も妻も子供達三人を心の中で愛し続けていた事だけは確かです。
もちろん今もです。(^^)!

DEN開業30周年は、結婚30周年でもありました。
DENの歴史と田畑家の歴史は一緒であり沢山の思い出が詰まっています。

子供達が生まれる前からサッカーの監督。
そして子供達が成人してもサッカーの監督を続けている事に感謝しかないです。

重複しますが、子供達のスピーチを聞いていて、こんなにも立派に成長したのだな。
頼もしいな。

そう感じられたことは、ステンドハウスDEN、グランデを一生懸命やってきて本当によかった。
間違っていなかった。
そう確信になりました。
自分と妻の歩んできた人生に自信を持つことができました。
ステンドハウスDENとGRANDEにプライドを持つことができました。

どんなにDENとGRANDEが繁盛したとしても、自分の子供達がDENとGRANDEを通じて育っていなければ、私はDENとGRANDEにプライドを持つことはできなかったと思います。
我が子達をDENとGRANDEの犠牲にしてしまうことは絶対にあってはならないことだからです。

これからもそのようなスタンスでお客様にも、グランデアメージングアカデミーの子供達にも接して行きます。
人生を歩んでいきます。
それが私の人生観です。

私がこれからすること。

それは、
この30年間、私達を育ててくれたYATSUGATAKEとFOOTBALL。
全精力を注ぎ込んでYATSUGATAKEとFOOTBALLに恩返しする30年にすることです。

「無私他利」の精神で人生を妻と共に歩んでいきます。

感謝!

2018年5月吉日
田畑雅宏

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週末ということもありサッカー関係者の皆さんは現場でした。(^^)!
沢山のサッカー仲間からメッセージやお花いただきました。42
43子供達からのプレゼント。そして子供達それぞれの手紙を後日ゆっくり読んで妻と泣きました。(^^)!
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ここ毎日、玄関、リビングに花が溢れています。
とても良い香りに満ちています。24
3ヶ月かけて時間の合間に作り上げた記念誌。(^^)!

これからもよろしくお願いいたします。
田畑雅宏

2018年度こころのリフレッシュ研修会

今日は、桜を見に妻と出かけてきました。
毎年ですが、のんびりと歩きながらサクラを見て、サクラソフトを食べます。(笑)

至所にサクラ満開なので、わざわざ出向かなくてもよいのですが、実相寺の山高神代桜はどうしても拝みたいストーリーがあるから行きます。(^^)!

日本三大桜(実相寺・三春滝桜・淡墨桜)と呼ばれていて、
樹齢2000年の日本最古・最大級のサクラで、国指定天然記念物第1号で、新日本名木百選でもあります。
※一応サービス業に従事しているので昔勉強しました。(^^)!

毎年思いますが、樹齢2000年とか、その子孫のサクラと表記してあってよく見ると昭和20年植樹て記載してあります。
人間と生きて来いるスパンがまるで違うことに縄文同様に浪漫を感じます。

2000年前って縄文時代~弥生時代です。
つい先日の土偶作りの時代から毎年花を咲かせているって神秘だと感じます。
原始時代から古代中世近世現代まで聖徳太子やら豊臣秀吉やら徳川家康やら・・・人間の文明の発展進化そして醜い争いも関係なく淡々と毎年花を咲かし続けていると思うと、心が穏やかに浄化されていきます。

そんな2000年前のサクラを見ることで、様々な事を想像し、どんなに背伸びしてもサクラには敵わないから、まあー身の丈にあった中で、精一杯、生かされている事に感謝して、生きていこうと思う事ができます。

そしてこの頃は足を伸ばして、わに塚のサクラも見に行っています。
ここから見る八ヶ岳のロケーションも素敵ですので。

そんなわけで2018年度こころのリフレッシュ研修会も無事終了となりました。

今年は新たなチャレンジの年ですが、真摯に進んでいこうと思います。

感謝!

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Informe de España~Turismo

スペインに10日間いて、ほとんどサッカー場にいました。
実は、娘がオーストリアの大学に留学中でした。
1日だけでもウィーンに行って会おうかと話しをしていました。
そんな会話自体が、八ヶ岳の田舎オヤジがしていることなんて想像できませんでした。(笑)
結局、朝から夜遅くまでサッカー漬けで、時間は作れませんでした。
もちろん観光も諦めていました。
それでも、肌で感じた歴史の重さに触れられ、行く先々で目に入ってくる景色には、ただ、ただ、感動の連続でした。
とにかく、至所に、銅像があり、公園があり、古い町並みが調和していました。
次回はゆっくりと街中を歩きたいと思いました。
※でも、やはりFutbolを見て歩くんだろうな。

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スペイン2日目、最初に行った世界遺産サクラダファミリア。
100年以上経っても完成していないというだから凄い。一番行きたかった所。
地下鉄でグラシア駅からサクラダファミリア駅下車、地上に上がった瞬間にこの建物が現れて!感動でした。
うちのスタッフの友人がサクラダファミリアの建築に携わっていて私は面識ないのですが訪ねていけばと言われておりましたが時間がなくてお会いできませんでしたのが少し残念でした。

バルサキャンプの子供達の観光バスに便乗して、モンジュイックの丘に連れて行ってもらいました。(^^)!
ここは歴史的に様々な紛争が繰り返されたとこらしく、なんでも、市内が一望できて、バルセロナの戦略的要塞だったらしいです。
カタルーニャ考古学博物館とかもありました。
中に入りたかったけど閉館に近い時間でした。
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カタルーニャ考古学博物館の頂き。
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フットボールマニアにも行ってきました。(^^)!
KAMO スポーツみたいな感じです。
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最終日は、ジョアン・ガンペールで15:00頃まで過ごして、始発のSant Feliu|Consell ComarcalからMaria Cristinaまで行って、そこから地下鉄に乗り換えカタルーニャ広場に行って、半日市街を歩きました。
アメリカ人らしき家族連れに道を尋ねられました。(笑)
カバンも持たず、ジーパン、スニーカーのいつものスタイルで早足で歩いていたからだと思います。
地下鉄のドアも観光客らしき方に開けてあげられました。(笑)
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カタルーニャ広場
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石畳に歴史が感じられました。Baixada de Viladecols

このおじさんの音色にひとり酔いしれました。(笑)
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何気に至所にステンドグラスあり。
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公園の水道にも歴史というか・・・オシャレです。322
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ピカソの壁画らしい。
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Plaça del Rei 王の広場
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市場は混雑していました。クリスマスの熱気でした。
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カタルーニャ選挙を控えてか、小さなデモはありました。(^^)!
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グラシア通りにあるガウディのカサミラとカサ・バトリョ331

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夜のカタルーニャ広場は綺麗でした。329
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カタルーニャ広場前は朝から晩まで POLICIA さんが待機していました。(^^)!
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降りる駅間違えたけど一駅だけだったので ¿Perdone donde esta el Corteingles? で通じたので歩いて来れました。(笑)
ホテル近くのデパートの前ではなんだか賑やかでした。
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バルセロナオフィシャルショップで買い物してきました。

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電車の中に、普通に犬がリード無しで乗っていた。
日本ではありえないだろうな。

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ラストに滞在したバルセロナ市内のホテル。
私には似合わないほどオシャレでした。(笑)
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いよいよ、日本へ帰るのですが、スペイン語も英語もしゃべれないオヤジ1人で、まず、ホテルからバルセロナ空港まで行けるかから始まり、空港で手続きができるのか・・。
案の定というか、苦戦しました。
正直、日本人の一人か二人は空港にいるだろうと思いましたが誰もいませんでした。
英語もろくにしゃべれず、スペイン語の単語で・・スペイン人の同世代のご夫婦に聞いて・・・搭乗手続きができました。
その方も飛行機は慣れていなかったようで結構時間かかりました。(笑)

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これで、もう安心と思い。
搭乗口も確認して、あと1時間あるのでカフェで一服していました。
搭乗15分前で並びだしたら、なんとその搭乗口はエジプト行きの表示(^^)!
よくよくスペイン語と英語のアナウンスを聞くと、どうもゲートが変わったみたい。
急いで100メートル近く走って搭乗口に間に合いました。
流石に焦りました。(笑)
そんな初心者海外旅行でしたが、ほんと楽しかったです。

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※シャルル・ド・ゴール空港で成田行きに乗り換え待ち。
※娘の滞在しているオーストリアはパリからも近いのにと思いながら・・・。
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※中央奥に小さく見えるのが富士山です。

そんなスペインへの旅でしたが、どうにかスペインを脱出し、パリ経由で日本へ戻ってきました。

日本の便利さも感じた半面、日本が世界の常識ではないことを身をもって学ぶ事ができました。
日本の中の蛙にならないようにしなくてはいけないと思いました。

そして、改めて、Fútbol は素晴らしいと実感しました。
何故ならば、カンテラのコーチや関係者の方々とは勿論だけど、サッカー場で、子供の試合を応援していたお父さんやお母さん達とスペイン語喋れなくても、なんだか意志が通じ合えた瞬間をハートで感じる瞬間が沢山あったからです。
一緒にゴールした瞬間喜んでしまいました。

だからこそ、自分のクラブの保護者さん達と、今以上にリスペクトの関係を作りたい。
それもグランデに戻したひとつ。
昔のグランデの保護者さんとは今でも楽しくお付き合いがある。
そんな関係だからこそ、おこさんを叱れるし、AとかBとか関係無く付き合える。

スペイン楽しかったな!
スペインはまた行きます!

Informe de España~CampNou

ついに、欧州最大のスタジアムCamp Nouへ来ました。
スタジアムで生メッシ観戦です。(^^)!

1982年スペインワールドカップ準決勝 ロッシが2得点してポーランドを撃破したゲームはテレビで観戦していました。
そのスタジアムがカンプノウでした。
決勝戦はサンティアゴ・ベルナベウで、イタリアがドイツに3-1で優勝しました。
マルコタルデリの決勝点の走りながらのガッツポーズ叫びは今でも鮮明な記憶に残っています。この頃のユーベのユニフォームが一番カッコイイと思っています。

カンプノウは当時は12万人収容でしたが、今ではFIFAの規約で9万9千人になったと思います。
同時期にマラドーナのバルサがレアルに2-1で勝利した国王杯決勝も凄かったです。
他にもバルセロナの本拠地として数々の熱狂に包まれた世界最高のスタジアムであることは確かです。

何故だが、スタジアムが見えてくると、走りたくなります。早歩きになってしまいますね。(笑)
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息子達がまだ小学生で一緒に来ていたら絶対買っていますね。(笑)
ユニフォームとマフラー巻いて応援していますね。(笑)

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スタジアムの壁には世界中のバルセロナのファンクラブ(ペーニャ)のプレートが掲げられていました。300以上はプレートがありました。
聞いたら、バルセロナ公認で3.000団体以上世界中にあるって言っていました。
何人世界中にバルセロナファンがいるんだろう。
一人年会費1.000円だとしても・・・規模が凄すぎます。

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私の生まれた歳のファンクラブを見つけました。
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こちらはDENを創業した1988年を見つけました。

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ハンガリー出身の当時バルセロナの選手であったクバラ(Ladislao Kubala)選手の銅像。スタジアムの入り口にありました。
みんな記念撮影していました。アメリカ人と中国人シャツター押してあげました。

1950年代のバルセロナ黄金期スター選手で、スペイン代表監督も10年以上就任した偉大な方らしいです。
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そんなクバラさんの銅像を観ている地元のオヤジを見ている日本から来たオヤジの風景(笑)
なんか、良い風景でした。
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感動の瞬間!!!!
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実はバルサエリートキャンプで同時期に来ていたキラとタケルにカンプノウで会えました。
もちろん飛行機や滞在期間も含めて、行動はずっと別々です。
バルセロナのこの地に八ヶ岳の監督と選手が一緒にいる事自体が奇跡です。
そんなカンプノウを背景にした奇跡のスリーショット(笑)
数年後、八ヶ岳の選手がピッチに立っている姿を背景にしたショツトが実現したら笑っちゃうだろうな(笑)398
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スタジアムラストまでいました。警備員さんから早く出てとおそらく言われました。
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世界最高峰のクラブチームのスポンサーが20年前はまだ誕生していなかった日本企業なのだから、田舎の八ヶ岳が20年後に大きく進化していても不思議ではない。(笑)
選手の君達も同じだよ。

楽天的に行きましょう!