THEZEN

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日常は、常に動いている。

日常は、言葉で会話をする。

日常は、同じ姿勢で動かないときはない。

坐禅は、動かない。

坐禅は、自分で自分の身体をコントロールする。

坐禅は、言葉を発しない。

その中で感じ取れるものがある。感じ取らなければならない。

会話をしなくても通じる世界。

周りから見られていることを感じていた人はいましたか?

背中で私の視線を感じられた人はいましたか?

そのような視線を常に感じないといけません。

それがないと成長していけません。

眠くなった人は、それを意識できなかったのではないでしょうか。

社会にでれば尚更、言葉を発しなくても意識して行動しなくてはなりません。

誰も見ていないからという考えで悪い事をしたり、サボったりしてはダメなんです。

自分の心は自分が一番よく分かっていると思います。

良心を磨いていってください。

それが道徳です。

言葉を発しなくても、あなたは常に見られています。

眠いから寝たのでは坐禅ではありませんね。

姿勢を保ち続ける、眠くならないように頑張らなくてはいけないのです。

なんのために坐禅に来たのですか。

心を、精神を磨くために来たのではないのですか?

そこを我慢できる力を身につけられたら、あなたは変われます。

世の中には言葉で伝えない伝え方があるということを学んでください。

高福寺 住職23世水原康道老師
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