モノを観るのは魂であり、目それ自体ではない
ブラインドサッカー日本代表黒田氏と出会ってから3週間が経過したが、彼との出会いの衝撃は未だに私の心を熱くしている。
ドリブルをして相手をかわして足を踏み込んでインステップで振り抜いてゴールを決める。
全く目が見えない彼が一連の流れの中で行っている。
この空間認知能力こそが、マラドーナ、ジーコ、ペレが第三の自分がスタジアムの空中から自分を含めたピッチ全体を観ている事をインタビューで聞いた記憶があったが、それと同じかそれ以上の感覚なのだろう。
空間認知能力とは目が見えて初めて自分がどこに立っているのかがわかるものだという私の常識を完全に否定された瞬間でもあった。
しかりである。
サッカー・フットサルという決められた平面の中で行うにはスタート時点の自分の位置を把握できれば目で見る判断は重要ではないのだろう。
よくトレセンとかでボールを観て・ゴールを観て・ボールを観て打てなんて言っているけどメッシにしてもロナウドにしてもゴールなんて一度も観ていないでサイドネットに決めている。これこそが究極のイマジネーションなのだろう。
このレベルに行くまでにはもちろんしっかり観ることは大切なことは言うまでもないのだが。
話は黒田氏に戻る。
小学1年生の秋に眼球摘出。完全に両目の光を失う。簡単に言えば目の癌であったそうだ。
筑波大学大学院を卒業し現在盲学校の教師をしている彼のボールを追う姿には、魂を感じる。
確かに目が見えていないのに、会話をしている時に私を確実に見ているオーラーに満ちた強い視線を感じつづけた。
この感覚は、元帝京高校監督の古沼さん。元アサヒビール副社長植松さん。日本で初めての冬期オリンピックメダリスト猪谷千春さん。この御三方を真っ先に思い出した。
黒田氏とお話した時と同じ感覚である。
殺気なり、人を威圧するわけでもなく、優しい眼差しのはずなのにとてつもない何かわからないが強さを感じてしまう。受け身の強さとでも言うべきか。攻撃的でない強さ。
まさに人格というのか。自然体の本来持つ強さ。一度やそこら優勝して周りから持ち上げられて勘違いしているチンピラ監督さんや元代表肩書き選手とは違う次元。
黒田さんもまた御三方と同じであった。
私もまだまだではあるし、えらそうな事は言えないが、モノを観るのは魂であり、目それ自体ではないと確信を持ったことだけは確かなようだ。
サッカー選手もまたボールを蹴るのは魂であり、足それ自体ではない。
感動するサッカーを追求して行くスタンスにブレはない。