坐禅

今年も恒例のジュニアユース合宿U-14,15が行われた。

1期生からの恒例合宿でもあり、高円宮杯と同等の価値ある選手にとっては大切なモノになっている。

毎年、知人・友人に協力していただいている。
選手達にとって、人間としてプラスになる時間にしたい。

カワイイ選手達に対して俺ができることは何か。
俺には偶然にしてありがたいことに考えてみると様々な世界の友人・知人がいるようだ。
自分がベストを尽くす、そして仲間がサポートする。
グランデの教えの一つでもあるが、私の大切な友人・知人にも毎年・エネルギーをいただいている。

昨年はエベレスト登頂成功者の友人竹内敬一さんを招いた。

今年は私の20数年来の友人でもある曹洞宗高福寺住職23世水原康道老師に座禅をお願いした。
6a0120a62b9f2a970b014e8833482c970d-800wi

瞑想は目を閉じますが、座禅は目を開いて行います。

サッカーは身体を動かす、そして激しく戦いますが、
座禅は静なる極致です。
一定の姿勢を崩さず。背筋を伸ばし、左手の上に右手を重ね、両手の親指の先を合わせて他の指は伸ばす(法界定印)形を崩さずに時を過ごします。
一見するとスポーツとは全く無縁であり相反するように思われますが、そうではありません。
動くことも、動かないことも、同じなのです。
大切なのはこころなのです。
こころが豊かであり、迷いがない魂には静も動も美しいものなのです。

動くから激しいわけでもありません。
静であっても内面は激しくも穏やかにもなるものです。
穏やかに激しく動けることもこころ一つです。

また、人はみな、弱いこころを持っています。その己の弱さを自覚することも大切なのです。そして、仲間のその弱さを認められ、受け止められるこころも大切なものなのです。
6a0120a62b9f2a970b01543212a0d2970c-800wi

ちなみに曹洞宗は面壁で、臨済宗では壁を背にして座禅するそうだ。
私は柔道に少々触れていたので、黙想は正座して毎日していたな。相当昔だけど。

午前中は地域のごみ拾い、そして午後は坐禅。合宿2日目もまだボールにも触れさせていないし、サッカーの話も全くしていない。

「真剣の中での余力を感じさせるテクニック。サッカーの楽しさが伝わる心の余裕ある選手」の追求をしている私としては、単に強いチームしたければ上手い選手11人揃えれば誰でもできる。
心の余裕ある選手 育てたいから、その素質ある選手を探すこと、そして育てることなわけで、

結果、こんな合宿になってしまうのだろう。

お忙しい中、水原さんありがとうございました。

次は1年生連れて行きますのでよろしくお願いいたします。

6a0120a62b9f2a970b01538e3fbef6970b-800wi

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です