坐禅は
目を閉じない
話しはしない
首を動かさない
身体を揺すらない
1メートル先を見つめる
窮屈だとどうしても動きたくなる。
ここを踏ん張らないといけない。
逃げてはいけない。
坐禅とは型に自ら入るということである。
その中で、窮屈感を感じないようなレベルを目指す。
自らの気持ちをコントロールしながら成長していく。
社会にはルールがあります。決め事があります。
その枠の中でどう努力できるかなのです。
枠を暴力的に壊してはなりません。
希望、夢、理想を求めて優しく、静かに枠を広げていくのです。
型破りの人間となるには、先ずは型に入ることなのです。
その型を破るということなのです。
だから型破りと言うのです。
型がない人間が型破りな人間にはならないのです。
自分の心が慌てている。自由の中でフラフラしている。
それは、
あなたが「今」から逃げているのですよ。
型から、枠と一体化しなければならないのですよ。
自分の心から逃げてはいけない。
それは暴力的と同じなのですよ。
あなたに社会から任された枠があるのであれば、その枠を壊さないように頑張る事が人として大切なのです。
警察官という枠、教師という枠、監督という枠、置かれた立場の枠に自ら入り、その置かれた状況の中で頑張ることが人としての道徳なのです。
社会が成り立っているのです。
枠の中でどう努力できるか。
それを頑張れると、頑張る事が楽になります。
坐禅をしていて、頑張れるようになってくる。
そして、それが頑張っているレベルを超すと心が落ち着いてきます。
雑音が聞こえなくなってきます。
日常に例えるならば、噂話、批判が気にならなくなります。
ただ、ただ、
小鳥のさえずりが心地よく聞く事ができるようになります。
人生もまた同じです。
曹洞宗高福寺住職23世水原康道
老師とのお付き合いもいつのまにか34年の歳月が刻まれております。
そんなことを感じながら
今年に感謝し、来年も与えられた役割に精進していこうと思えた今日この頃です。
全ての方々に感謝しかありません。
拝