而今

サッカーは自分で工夫するものであるとこの頃よく口にする。 この週末2ゲームの公式戦ではその辺りに不満が残った。 自分が上手くなるための工夫。

きっと永遠に不満が続くと思う。 監督・コーチの言われるままに動き・徹底的に反復練習を積めば習い事のようにパターンは洗練されてくる。ましてある程度サッカー上手くて・身体高い選手揃えておけばジュニア・ジュニアユースレベルなら巷では無敵だろう。
でもそれだけのこと。完成に近い大人のサッカーなら別かも知れないが。
で、試合に勝利すると、何も考えずに役割分担でプレーしていた選手達は俺たちは上手いと錯覚するし、心のどこかに心地よさがなくても勝利が全てを強引に納得させてしまうのだろうな。でも勝っているのだからと。
親も勝てば当然優越感に浸る。敗戦続くとモンスターに化ける。
監督・コーチはきっと俺が言ったとおりやったからほら勝てただろうと満足するのだろうな。
負けたときは俺の言ったとおりにプレーできない選手のレベルの低さに嘆くのだろう。
でも、そんな選手達もどこかでグランデのようなサッカーやりたいと思っているのではないだろかな。(自己満は良くないけど)

サッカーは芸術だと静学の井田さんが以前どこかで言っていたことが蘇る。

私は小さいときから今でもそうだが絵を描く事が好きだ。 油絵は特に好きだ。
中学時代に学校の玄関に1枚だけ飾られた事が今でも好きでいられる原点になっている。
(美術部K先生が美術部員ではなくサッカー部の私の絵を評価してくれたことが単純に嬉しかったものだ)油絵は失敗しても乾けば何度でも上から塗り直せる。 そこに絵の厚みも出てくる。サッカーも同じだろう。
絵を描くことに大人から色々言われたり手直しされたら本当につまらない。サッカーも。
自分の感性で描く事が大切でその方面の方にはおしかり受けるかもしれないが絵を習いに行く子供ってどうなんだろうか。
人から評価されて絵を描くものではなく自分が描きたいから描くだけ。サッカーも習い事ではつまらない。
毎日好きで、好きなテーマを書き続ける事が一番必要だと思う。サッカーも。 それから美大とかで専門を学べば間に合うのではないだろうか。サッカーも。
そして自分が工夫してチャレンジしたことが褒められたらもうやめられない。サッカーも。

それでもうちの選手達もまだまだ工夫が足らないしその場しのぎで蹴っている。
昨日の大雨の中でこそ普段やっているリフティンググランド1周を活かしてリフティング高速ドリブルをピクシーのように楽しむヤツが出てこない。
「全部蹴っておけ」、「ゴール前へ蹴っておけ、なにかが起こる」なんて声もまだまだ他チームベンチから聞こえてくる。
俺がベンチで言っていなくてもまだまだ他チームとなんら変わらないと思う。
自分がチャレンジして、失敗して、チームに迷惑かけたならその次に工夫して自分のチャレンジの色を上塗りして行く作業は監督・コーチから指示されるものではない。 特にAチームの選手達はそろそろ「足元にいけよ」なんてコーチから言われることすら卒業して欲しい。当たり前なんだから。

私がそんな選手を交代させないで使い続ける理由はそこにある。
君の次なる工夫がいつ・どこで・どのタイミングで自分の意志で挑戦するのか。
ただそれだけをベンチから見つめている。

サッカーもまた而今だ。

而今の山水は古仏の道現成也。etc,,,,
今読んでいるのだが私のレベルではいささか難しいが「而今」という言葉が沢山出てくる。
色々考えさせられるが簡単に解釈して良いのかわからないがおそらくは今できる事に最善を尽くすということで理解している。

学道の人は、後日を待って行道せんと思ふことなかれ。 只、今日今時を過ごさずして、日日時時を勤むべき也。

解釈/仏道を学ぶ人は、後日に修行しょう、などと考えてはいけません、 今日、この時をぼんやりと過ごさず、その日、その日を、その時、 その時を、勤めなければならない。 正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)よりimg


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