若者に伝えたい。

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若者に伝えたい。
若い指導者に伝えたい。

人間は年齢相応に思考も嗜好も変化していきます。

私は人生の半分以上、4半世紀以上、自身の子どもが生まれる前から、 そして自身の子どもが成人した現在もサッカーチームの監督です。

子ども達とサッカーを通じてこんなにも長く、指導者として立たして頂けている事に対して、 万物に、全ての方々に感謝しかない。

20代の頃は自分のチームが勝った負けたで一喜一憂していた。
勝てばドヤ顔になっていたと思う。
ド田舎の設立したばかりの弱小チームの若造監督であった。
地域大会優勝も考えた事なんてなかったし、全国大会なんて夢にも考えた事はなかった。

30代の頃はトレセンコーチや近隣チームの子ども達も教えたりする中で、 試合の勝ち負け以上に選手の技術が上達していく事が楽しく感じるようになっていた。

30代後半から40代の頃は県サッカー協会理事や県外委員等様々な役職も経験した。
山梨県以外のチームや組織も考えるようになった。
スーツを着る機会や、会議や視察や宴会が急増した。
サッカーは社会の縮図だと感じたのもこの頃であった。

40代半ばを過ぎて、やっぱり子ども達を教える事が大好きな自分に気づく。
自分の器に見合うのは小さな地域をしっかりと育てる事だと気づく。

50代になって、息子達や教え子達の多くも社会人に成長していく中で、 サッカーを通じて子どもと親が、その家庭が、その子が幸せであることが一番大切なことだと思うようになった。

20代、30代、40代、50代と考え方や問いかけは変化していきました。
練習内容や方法も変化していきました。
それでも、20代、30代、40代、50代、どの時代も、真剣に子どもに接してきたし、 炎天下も雨の日もグランドに立ち続けてきました。
20代、30代の頃は一緒に川に飛び込んだり、練習後一緒にボールを蹴って遊んだりと あの時の自分が今の自分よりも優れていた事もありました。

私は常に、
決断に迷った時は、子どもにとって幸せな方だと思う方へ決断して進んできました。
自分がその子の立場であったらどう導いて欲しかったかを想像して決断してきました。
「子どもが主役」であるということが私の指導者としての根底を支えています。
大人の柵(しがらみ)は一番後回しにしてきました。

サッカーの技術は、サッカーをやってきた若者であれば教えられるでしょう。
もし、あなたがサッカーコーチを始めたばかりであれば、 教わる子ども達から好かれる事を一番に考えるべきです。

料理人であれば、お客様から好かれる事を一番に考えるべきです。
媚びを売るという意味ではありません。

どんなにサッカーが上手くても、子ども達がそのコーチの事が嫌いであれば 子どもの技術の向上は困難となるでしょう。
料理も同様でしょう。
美味しさも半減してしまいます。

なによりもあなたが人間として、自身のスキルが向上しないでしょう。
これはお互いに不幸な事ですね。

その子、その子によって技術レベルも違えば、モチベーションも違います。
子ども達があなたに会いたくて、会いたくてサッカーに行きたいと思える人になることです。

その子の事を考えていれば、その子が上手くなるためには、練習メニューや声かけも変わってくるでしょう。

料理人であれば食べているお客様を想像しながら、喜ぶ顔や健康を想像しながら料理を創造していけるかです。

日々の試行錯誤の連続の中であなた自身が磨かれて行くものです。

人間は年齢相応に思考も嗜好も変化していくと冒頭で伝えました。
年齢とともに変化するとは、熟成していくことであります。
熟成するためには一定の時間(様々な人生経験)が必要となってきます。

熟成の差は人生経験の質と量でも大きく違ってくるでしょう。

今、世界中、日本中の出来事から、テレビや新聞で報道されない田舎の小さな出来事さえも瞬時に知ることができる時代となりました。

経験しなくても、ウェブで簡単に練習メニューから、 様々な素晴らしい言葉や理論までもパクれます。
リオのカーニバルに行ったことが無くてもリオのカーニバルを語れる時代です。

考える事をしなくても誤魔化せる時代です。

子ども達を教えている先生が考えなくなったら、と考えたら? 本当に恐ろしいことです。
考えていない人から教わるということは授業を受けに教室に行く理由がなくなります。
せめてサッカーのコーチは考え続けて欲しいです。

予備校最大手であった代ゼミが27校のうち20校を閉鎖したニュースを知りました。
「いつやるか?今でしょ!」でおなじみの東進ハイスクールが近年躍進しているようです。
子ども達は、個別のパソコンに向かって録画された講師を自分の好きな時間で勉強しているようです。

技術だけを学ぶならサッカーもパソコンやスマホに向かって練習しても上達する時代が直ぐそこまで来ているのかもしれません。

だからこそ。
アナログ的側面、曖昧な側面こそがコンピューターにはマネできない分野です。

サッカーは完璧なシュートでも1センチずれるとポストに当たりノーゴールにもゴールにもなります。
ミスキックがGKのタイミングをズラしコロコロとゆっくり入る事もあります。

データーから導き出すことはコンピューターの分野です。
経験から考える事ができるのが人間です。
考える事を常日頃から磨き続ける事は人間としていつの時代も必要不可避なのです。

若者のみなさん。
急ぐ必要も、焦る必要もありません。
のんびりでよいかと思います。

それでも考える事だけは止めないでください。
簡単に情報を手に入れないでください。
簡単に根拠のない情報を信じないでください。
1000人が「いいね!」押しても、その1000人が何も考えないで押しているだけかもしれません。

沢山勉強して、沢山苦労を重ねて、多くの人と出会い、多くの場所へ足を運び、 沢山の経験を積み、人生をゆっくり、時間をかけて豊かにして行ってください。

あなたの幸せがあなたと出会った子ども達や周りの方々を幸せにしていきます。

一人でもよいから、若者に伝えたい。
一人でもよいから、若い指導者に伝えたい。

末端のサッカー指導者の私ですが、この歳になってあなたに伝えたい事です。

※サッカーBANKさんに寄稿した記事の再掲載です。タイムラグはありますが加筆修正はしていません。

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グランデOB

グランデOBのタカシが今日DENに来た。

就職の報告だそうだ。
あの小さくて温和しかった内気なタカシがこんなにもデカクなって現れた。
本当に嬉しかった。
この世代はエネルギー満ちあふれた連中ばかりで、もちろんレベルも高かった。グランデの選手そのものだった。
そんな中でタカシは本当によく頑張っていた。
俺の話を小さな身体で一生懸命に聞いていたのが昨日の事のようだ。
そんなタカシが高校、そして大学を卒業して誰でも知ってる大手の企業に就職したんだからこんなにも嬉しい事はない。
そしてなによりも嬉しいのは、下積みの長かったタカシがこうして大人になってわざわざ中学時代の俺の所に来てくれた事が嬉しい。
「グランデで学んだ事は本当に今に活きていますし、本当に素敵な環境でサッカーをさせてもらってたんだなと改めて感じました。人間としての大切な部分を小中学生時代に学ぶ事ができて本当に良かったです。
グランデで教えてもらったことを社会人としてしっかり証明できるよう、これから頑張っていきます!」
とお礼の連絡も来た。

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当時のサッカーノートも10冊?近く大切に持っているそうだ。
それを聞いてなおさら嬉しくなった。
沢山の選手達ともサッカーノートのやり取りをしていた。
多い日は50冊だったからトレーニング終わって全員の見終わると深夜2時頃になっていた。字の強さであったり、何度も消しゴムで書き直した跡であったり、殴り書きの時があったりで、その子の心境を考えたりしていた。
サッカーノートは特に村田コーチに見てもらう事が多かった選手と俺との生命線でもあった。
今の時代、ラインとかで済ませてしまうのだろう。それはきっと目的が違うのだと思う。
やはり、書くことが大切。
書くことで漢字も覚える。コピペもできない。自分のオリジナルが確立できる。なによりも自分の頭の中の引き出しにストックしていける。
だから引き出しから出して話すことも出来る。
用件を済ませる手段ではなくて全てが自分の財産となる。
それが目的の違い。
そしてタカシのように自分が精一杯頑張っていた魂の証しのサッカーノートは大事な宝物で、それを持っている選手とラインの中で埋もれてしまうものとは全く価値が違うもの。
タカシにとってサッカーノートは青春時代を全力で楽しんだ自慢できる宝物であってオヤジになったら黙って息子が思春期になったら見せてあげて欲しい。
きっとノートからパワーが伝わる。そのパワーが息子のものになる。
オヤジのようになりたいと思うと思う。

それにしても、下積み長かったタカシが走りも早くなって、2年の頃からゲームでていた連中をぶち抜いて走っている姿は本当に嬉しかったし、最後のメンバーに入れるつもりでいたのに3年ラストで骨折したときは参ったよ。マジで。
もちろんタカシとしては人生真っ暗闇になったと思うよ。あの優しいお母さんやお父さんも辛かっただろうな。
あれだけ努力していたからな。
今ではほろ苦の思い出で笑っていられるかもしれないけどな。
本当にあの時は俺も悲しかったよ。
こうしてみると沢山の思い出があったな。

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当時のブログも読み返してみた。ラストは以下の文章が綴ってあった。

・・・・そんな選手達はきっと近い将来VF八ヶ岳で過ごした3年間が役に立つ時が来る事を信じたい。

どこのチームよりも、学校よりも。

選手と指導者と親が真剣に時間を共有した3年間。

まさにpriceless。

高円宮杯も含めてこの日が来るの1年前から分かっていたからこそ、特にキャプテンや主軸選手には自然と厳しくなった。

俺の事、嫌われても構わない。
だけど、近い将来、必ず、

おまえら・・・輝いてくれ。

よい人生を歩んで欲しいと思っている。

今年よりも良いチーム作る。
そして今年同様、信頼しあえる若者と出会える事を信じて。

挑戦です。
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タカシがよい人生を歩み出した事が確認出来たしグランデで過ごした事が役に立っているようで嬉しかった。
俺も少しは救われたよ。

タカシのような若者と俺は、はたしてこれから出会えるのだろうか?
挑戦するしかないのかな。

なんだか昨年からOB達から元気をもらっている。
タカシありがとうな!
次回はサリョウでも誘ってメシでも食べよう!

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子どもの日

今日は5月5日子どもの日です。
とても暖かな穏やかな一日でした。

娘からリクエストを受けて久しぶりにシュークリームを作りました。
カスタードクリームもダマにならず、シュー皮もまぁーまぁーふっくらでした。
旧式ガスオーブンなので温度管理が出来なくて勘が鈍っていたけれどどうにか合格ラインギリで仕上がりました。
家族みんなが美味しいと言ってくれて珈琲と一緒に食べました。
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その後、みんなで散歩に出かけました。
都会の方々には申し訳ないのですが、玄関前が八ヶ岳の自然の山中を散歩ですから贅沢です。もちろん「密ゼロ」です。
鳥たちの奏でる声や、湧き水のせせらぎと溢れ出るマイナスイオンに癒やされながら1時間程雑談しながら、もちろんボールも連れて散歩しました。

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その後、夕食も久しぶりに私が家族に振る舞いました。

あつ!柏餅も食べました!

こんなにも平凡な子どもの日は遠い昔にあったような気がします。新聞紙でカブト作ったような。

いつもであれば、グランデの子ども達と坐禅をしたり、走ったり、一年で一番忙しい時を過ごしていました。
それすらも遠い昔であったようにさえ思えています。

こんな日常が2020年に訪れるなんて、なんだか不思議な感覚でいます。

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今日の、2020年の子どもの日はとても素晴らしい子どもの日となりました。
不謹慎かもしれませんが、プレゼントをいただけたようにさえ思います。

もちろん、今日も医療関係の方々や行政の方々は休む時間なんてないことでしょう。本当にありがたいことであたまが下がります。
そして多くの会社員の方や接客を生業とするサービス業関係の方々は今日そして明日の不安でお辛い日々の方が大勢いることでしょう。
私も宿泊業とサッカークラブを経営しておりますので両方ともに活動を休止して3ヶ月目に突入しています。
いままでこれほど苦しい経験を味わったことはありません。

だけど、宿泊業もサッカークラブも大切な命を預かる信頼業です。

お客様も保護者の方もそこへの信用や信頼があるからご予約いただいたり、お子様をお預けしていただけていると思っています。
政府が専門医師達の意見を聞き、経済を懸念しつつも非常事態宣言を発令しました。そこは信用するしかないです。
ですので人様の命、お子様の命をお預かりする上で、不安がある以上は自粛するしかありません。
もっともクラブの方はオンラインで活動を再開していくことも考えています。
今日書きたかった事は、子どもの日が楽しかったということなんです。

2020年の子どもの日は、とても素晴らしい子どもの日となりました。
感謝しかありません。

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便利な中から強烈な発想力は生まれない

今日もある方との会話から一日がスタートした。

新しい時代への変化なのかもしれない。
令和を節目に様々な変化が起こっているように感じる。
が、
それは人間が勝手に感じている事であって自然界は淡々と動いているだけだ。

スポーツ界サッカーにおいて、トレーニングができない。
試合ができない。
ボールが蹴れない。
選手権の準備ができない。
来年の進路に影響してしまう。
上手くなれない。
遅れをとってしまう。
そうじゃなくて、ダメじゃなくて、ウィルスのせいにするのではなくて。
今、この出来ないと言っている時間をどう過ごしているのか。
個人の発想力、置かれている状況での判断、それらを考え続け、やり続け、継続することが出来るのか。
自身のサッカーを発展させられるのか。
一人一人が己と向き合い、新たな発見ができるのか。
それらは毎日の繰り返しが大切であり、全ては自己責任だろう。
それらを継続できるだけのサッカーに対する愛情があるのかないのかだろう。
サッカーの環境ができるまで待って、そしたら始めるのではなくて、
こんな時だからこそ、本当にサッカーに真剣に向き合っているかどうかが確認できる。
そんな大切な時間が与えられているのに気づける選手と気づけない選手の差が上手い下手よりも大切なこと。

指導者もしかり、サッカーの未来を考えているのか。

スポーツが、サッカーがどう生き残るかまで考えている指導者がどれだけいるのだろうか。
自粛だから、クラブはお休みします。なんとなく隣の有名クラブが再開したからウチも再開します。
サッカーができるようになったら、さあー頑張ろう!
じゃないだろう。

今のサッカーはマテリアルの進化、高額のスパイクや人工芝は当たり前。
ビデオ解析、トレーナー、シャワー室やらよい環境が育成年代にも与えられ、そのようなチームに所属して与えられた課題をやっていることが善とする風潮。スティータス。

真逆の発想をしていかないとサッカーが生き残れないと思えるだけの覚悟と危機感を指導者は常に持つべきだ。

便利な中から強烈な発想力は生まれない。

ピンチはチャンス。
チャンスはピンチ。
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本脳とは

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今日もある方との会話から一日がスタートした。

人間の持っている全力という力をどこまでどうやって出せるようにできるのか。

「本能は生まれつき持っているもの」と片付けるべきではなくて、使わないでおくのではなくて、人間だれしもが持っているものを、どう引き出せるか、本人に気づかせる事ができるか。
それが役割ではないか。

小さいときに気づかせる。
小さければ小さいときほど、その経験が活きてくる。
今しかない。

本能という脳をどう刺激していけるか。

言葉の魂を発し続けて行くこと。
それは幼児だろうがなんら関係無い。
言葉に魂が宿っていれば。
言葉は分からなくてもひとりの人間として感じ取れる。

言霊によってひとりの人間の可能性が変わる。
人生が変わる。
運命が変えられる。
それは奇跡として語られることすらある。

言葉の表面だけの、活字ひとつを読み取ったところで、それは今しか語れないだけであってなんら深みのないことだ。

言葉の奥底の、伝えたい、言いたい、見えないものを気づかせられるか。
感じさせることができるか。
それこそが伝える側の魂の質の問題。

話しが少しズレるかもしれないが、
今のサッカーが本当に素晴らしいのかと言うと、そんなことはない。
そう思ってはいけない。
10年前も20年前も30年前も40年前も50年前もいつの時代も素晴らしいのがサッカーでありスポーツや芸術だ。

昔よりも今の方がサッカーの魅力は衰退しているようにすら感じる。
それは簡単に複製できる時代だからだ。
たまにサッカーゲームの攻略本と錯覚してしまうときすらある。

本能を呼び起こすとは脳を刺激することではないかと思う。
私は専門家ではないので学術的な見解は違うのだろう。
それでもそう思っている。

美味しいと脳が思えば美味しいものは美味しい。
褒められたら、もっと上手くなろうとトレーニングをするだろう。
今に感謝出来れば、幸せになれる。元気が出てくる。ポジティブになれる。

今、世界が日本が、未知なるウィルスによって試練に立たされている。
日本がひとつになって、世界中がひとつになって、みんなでポジティブな言葉の魂を発し続けて行く必要がある。

本脳をポジティブに世界中がひとつになる。
素晴らしい未来を次なる世代に残す。
それこそが人間としての本能なのではないだろうか。

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