摩訶止観

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「悟りの教科書」著/者荒了寬、苫米地英人さんの本。

脳科学者の苫米地英人さんの本は4冊ある。

仏教の知識はあまりないだけに大変勉強になった。

「摩訶止観」による「一念三千論」の奥義である。

すなわち一つは自在を観る。そして自在に観るということ。

自在を観るとは心を静かにして自分自身の状況をありのままに観ることであり、そして自在に観るとは自由自在に世界を眺め、心の欲するままに行動することであると説いている。

今、流行の

「自分探しの旅」の無意味も記している。

そもそも自分というものは「ここでない、どこか」に隠されているようなものではない。探し出すものではない。いつでも自分は自分の中にある。目の前にある。
まさに「止観」できるかどうかであると。

朝から晩まで修行していれば悟れると勘違いしている僧侶の姿と変わらないこと、そしてインターネット等で情報収集をして現実にはなんら行動をしていないということに気づいていない若者。

そしてますますその情報に縛られて身動きできなくなる。

そして「何ができるか」ではなく「何がしたい」かを自問しましょうと語っている。

そんな修行の道筋を記したものが「摩訶止観」であり、心の中にある十種の世界であり、「一瞬の心の動きの中に三千の世界が籠もっている」ということであると記している。

少し省略して心は6道そして悪の三種と善の三種に二分されることもあり私達の心は常に揺れ惑いながら善悪の世界を行き来していると語られている。

これこそが「一念三千」。心の中に「一念三千」があるということだそうだ。

そんな煩悩を

心を静めて物事を正しく見れる心。

五蓋を捨てよ。つまりは、貪心(欲望)、怒心(憎しみ,妬み)、眠心(倦怠,やる気の無さ)、遊心(裏切り,浮いた心)、疑心(師を疑う,友を疑う)を捨てられるように、心を静めて物事を正しく見れる心。

それが摩訶止観らしい。

指導者も摩訶止観。

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叱る

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あなたは怒られたことがありますか? あなたは叱られたことがありますか?

子どもは、褒められたり、叱られたり、怒られたりしながら成長していくものだと思います。

植物に例えるならば、根も張れず、まったく旨味のないスカスカの果実となり、 直ぐに枯れ果てるのではないでしょうか。

本当の優しさとは、愛情のある厳しさです。

相手への愛情があるからこそ、怒ったり、叱ったりが存在するのだと思います。

だから、あなたの事を一番に愛しているお父さんやお母さんは、あなたが間違った行動をすれば、怒ったり、叱ったりしてくれるのです。

本当に優しい人とは、怒ったり、叱ったりをしてくれる人だと思います。

怒られるということは、あなたに対して愛情を抱いている証拠です。

叱られるということは、同じ間違いを繰り返さないように諭してくれているのです。

フランスの思想家アランは、 「ロープウェイで来た人は登山家と同じ太陽を見ることはできない」と記しています。

楽をせず、地道に人生という名の登山を自分の足で確実に歩んでください。

身の危険な場所を登ろうとしたら、叱ってくれる人が現れるでしょう。

辛くても一生懸命に山道を登っていれば、励ましてくれる人が現れるでしょう。

叱ってくれる人は、あなたの味方です。

叱ってくれる人がいるならば、あなたは幸せです。

叱ってくれる人がいるならば、心から感謝をしましょう。

あなたには、登山家と同じ太陽を見て欲しいと心から願っています。

上記は高校サッカードットコムさんのポータルサイトよりコラムを依頼されて毎月掲載されている文面の一部です。
以下で全文が掲載されています。
https://koko-soccer.com/column/62-tabata/1025-tabata4

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言葉でサッカーをするな、心でサッカーをしょう。

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先日読んだ本の一文。
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「心戒十訓」
1.人を大切にする人は人から大切にされる
2.人間関係は相手の長所と付き合うものだ
3.人は何をしてもらうかより何が人に出来るかが大切である
4.仕事では頭を使い、人間関係では心を使え
5.挨拶はされるものではなくするものである
6.仕事は言われてするものではなく、探してするものである
7.わかるだけが勉強ではない、出来る事が勉強だ
8.美人より美心
9.言葉で語るな、心で語れ
10.良い人生は、良い準備から始まる

福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説 [著 清水 義範]より引用
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日常での挨拶できる選手とできない選手の差は広がる。
心で挨拶をしているかどうかの差だと思う。

たとえば
これから練習が始まる、一日が始まる。

まずはその最初の挨拶にこそ、
「今日の俺はやってやるぞ」
「よし!今日もサッカー上手くなるぞ」
「コーチ!今日もよろしくお願いします」・・・・
まずは心に、純粋な気持ちを持つ。

そして身体全体から溢れ出る若者としてのエネルギーが噴出してこないことには始まらない。
声がでかければ良いわけではもちろんないが、笑顔でしっかりと挨拶できればまずは初めの一歩だと思う。

真剣勝負が始まる挨拶。
しっかりした心の準備をしてグランドに入って欲しい。

それができていれば、無言で頭を下げただけでも相手の心に響くというものだ。

自分のイメージを膨らまさせているか。感性を磨いているか。

大好きなサッカーの時間に感謝して

心で動ける人間になりなさい。

選手もコーチも、そして保護者の皆さんも

言葉でサッカーをしない。心でサッカーをしましょう。

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石ころのような個性もある

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「ダイヤモンドのような個性もあれば石ころのような個性もある。石ころでもそれを最高の個性に仕上げる事が重要である」本田宗一郎さんの格言である。

ダイヤモンドも石ころも個性において上も下もないと思っています。

石ころのほうが世の中においてダイヤモンドよりよほど役に立っています。

ただ全く目立っていないだけです。空気の存在と変わらないのかもしれません。

ダイヤモンドを沢山集めているだけの強いと呼ばれているチームが沢山あります。

個性を仕上げなければ宝の持ち腐れとなります。

私はダイヤモンドを集めません。

お金がないので。買えません。
お金があったら人工芝グランド作ります。
お金があったらクラブの会費を無料にします。
それでもまだお金があったら子ども達を海外遠征へ無料で連れて行きます。

私はダイヤモンドでも石ころも関係無くて、この世の中で出会った子ども達を最高に磨き上げることが生きがいとなっています。

石ころがダイヤモンドよりも輝くかもしれません。
そうしたらダイヤモンドになっています。

そう信じて磨き続けています。

ダイヤモンドの原石の子ども達は磨いてくれる所へ行かないと石ころよりも輝かなくなることでしょう。

それはとても残念なことです。
残念で片付けたくはないです。

そんなことを感じた週末でした。

指導者のみなさん。お互い研磨士として精進していきましょう。
鈍刀
鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、
何もそんなことばに耳を借す必要はない。
せっせと磨くのだ。刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら、
磨く本人を光るものにしてくれるのだ。
坂村真民

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リフティングとは

リフティングとは。

リフティングが上手い選手がプロ選手ではない。
リフティングが下手な選手でプロ選手はいない。

メッシもネイマールもイニエスタもリフティングが上手い。
DFのセルヒオ・ラモスやピケもリフティング下手じゃない。
見たことないけど(笑)
きっと長友選手も100回はできると思うよ。(長友さんスイマセン)

僕の思うリフティングが上手いとは1万回できるとか、フリースタイラーのように逆立ちしてボールを扱うとかじゃない。

グランデも昔はリフティング沢山した。そしてそれなりの効果は出た。
でもその時代からウォーミングアップの意味合いが強かった。
モモやインサイドアウトサイド等を連続して行うことで可動域の柔軟性やリズム感に繋げたい意味があった。
あとは努力の結果が分かりやすく自宅でひとりでいつでも出来るから成果もでやすいし褒めてあげやすいこともある。
チームで温和しい選手なんかにとても良いモチベーションになっていたしね。
集中力と体力アップにもなっていたと思う。

問題はその先。
リフティングしている時に考えている事がボールを落とさないことと回数になってしまうこと。
選手によく言っていた事なんだけど、リフティングしている時に何を考えているか、もしかしたら何も考えないでいても続けていられる。
目を閉じてリフティングしたこともあった。
廻りの人を驚かしてやるぐらいのこと考えてリフティングしてたら素晴らしいけど。
サッカーの試合中だったらボール止める事は考えないよね?それよりもシュート打ちたいとか味方にパス出すことを考えていながら勝手にボール止めるよね。

リフティング自体はとても大切な事で軽視するつもりはないけど、
一番大切なことは「ボールを自由自在に操れる」こと。ゲームの中でね。
歯を食いしばって1000回出来ましたも頑張ったわけだから素晴らしいし、それがサッカーを大好きになる入り口になれば良い。
その上で、
リフティングなんて頑張らないで笑いながらやるもの。
リフティングそのものを自由に、様々な箇所を無意識に使いながら、相手を、ゲームを、イメージしながら、動きながら、バウンドさせたり、ドリブルやフェイントを無意識に、いれながら、楽しんでやるもの。
ボールを落とさないことよりも落としたボールをリズム良く続ける方が大切だよな。
リフティングはサッカーのトレーニングでは無くて、ボールは友達だから、勝手に友達と遊び出すわけだ。
リフティングはボールフィーリング。
ドリブルも、ショートパスも、同じ。
そうなってきたらサッカーは楽しいよ。

リフティングとは。
勉強中のペン回しみたいなもの。それだけペンに触れている。(笑)

活動中止期間中の子ども達へのメッセージでした。

田畑雅宏