La pelota es mi amiga

ジュニアやジュニアユースのチームで リフティングは必要ないと言うチームもある。

そんな方は「 リフティングは試合で使わないだろう」と言ってくる。

ラボーナなんて「サッカーではない曲芸だ」と言う方もいる。

そりゃそうだ。

目の前の試合に勝つには、ダイレクトかツータッチで縦とDFの裏へ蹴るトレーニングをした方が勝率があがる。

それが必要ないとは言わないが、ジュニアでトレーニングで費やす優先順位は違うと思っている。

ボールに操られているのはリフティングではないし、ゲームで直接使ってないように見える様々な要素があって、選手が輝いてくる事を見落としているコーチが多すぎる。

選手が勝手にベストチョィスとしてダイレクトや裏のスペースや速攻を仕掛けたのであれば褒めてあげれば良いだけのこと。

マラドーナのリフティングとか見ていると、絶対に必要不可欠だと思う。

ボールを自在に操れて楽しい事がサッカーの原点。

ラボーナなんて、サッカーセンスそのもの。

友達と居ると楽しいよね。

笑顔になれるよね。

ボールは友達と思えないと、きっとどこかでサッカー辞めちゃうと思う。

ジュニア時代は遊び心も育ませたい。

だから、ジュニアユースやユースで真剣に楽しめるのだと俺は思う。

今の選手達はマラドーナの凄さ。わからないだろうけど。
凄かったよ。

ボールを操るのがリフティング。回数勝負なんてナンセンス。

Conferencia de fútbol en Hiroshima

第10回目となるJFAフットボールカンファレンスに出席してきました。
今回は広島でした。
今回のテーマ「育成の検証とこれから」ということで興味がありました。

八ヶ岳から東京まで160キロ、東京から広島まで800キロ。
およそ往復で2000キロ弱の長旅でした。

道中はいつも通り、5冊の良書とノート持参でしたので一回も眠らず直ぐに着いてしまいました。とても良い時間でした。(^^)!

カンファレンスの内容については書きませんが、ひとつだけあげるとしたら

デル・ボスケさんのお話しの中で、「サッカーだけしか知らなかったら人生の道に迷うだろう」
「人間としての正しい行動が一番大切で、行動は言葉よりも勝るのですよ」
という優しい口調で話されていた言葉が心に響きました。

デル・ボスケさんを知らない選手がウチのクラブにも沢山いるのには驚きました。
デル・ボスケさんはスペインを率いてワールドカップ、UEFA優勝を制した史上2人目の監督です。レアル時代のUEFAチャンピオンズリーグ優勝も加えると史上初という世界的名監督ですよ。

今回の旅で感じた事をどう子ども達に還元していけるか、
YES、NO 、上手、下手、勝った、負けた、好き、嫌い・・・・。
サッカーとはそんな単純な物ではない。
だけどサッカーはシンプルである。

そんな事を改めて感じた3日間となりました。

沢山の友人との再会が、もしかしたら一番のエネルギーになったのかもしれません。

感謝。

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前回は仙台でしたので牛タンを食べに行きました。
今回はやはり、広島風お好み焼きです。
友人達と3件ハシゴしました。牡蠣も美味しかったです。(^^)!
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サッカーができる幸せを感じなければいけません。
38慰霊の意を表してきました。

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路面電車は八ヶ岳では絶対にあり得ないだけに不思議な光景でした。
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朝の広島市内・猿猴橋からのワンショット。クロード・モネの絵画のようです。
Footballもこうありたいものです。
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新幹線出発までの3時間。お昼も食べず、ひろしま美術館で過ごしました。
ミレー、マネ、ルノアール、ゴッホ、ピカソ、シャガール、ローランサン等、そしてレオナール・フジタも展示されていました。受胎告知と三王礼拝は大作です。

私はラッセンより普通にゴッホやピカソが好きです。(^^)!

第4回八ヶ岳トレイルランニング

第1回、第2回と運営スタッフとして関わらさせて頂いていた八ヶ岳トレイルランニングに今回も選手達を携わらさせていただきました。

サッカークラブでありながら、なんで?と感じるサッカー関係者もいるかもしれませんが、私は選手達にとってとても大切だと思っているからです。
もちろんクラブの理念においてもです。

朝4:45に集合し、5:00過ぎからそれぞれの山道に配置しコースチェック等を行いながら、7時スタートのランナー達を待つ。
そしてランナー達を励ましながら様々なアクシデントにも備え続ける。
13:00まで裏方に徹し続ける。
トイレにもいけない?(^^)!

子ども達は日頃毎日ボールを蹴っています。
サッカーチーム・選手として大会に出場し、勝てば喜び、負けて悔しがる。
沢山の声援を受けながら汗を流す日曜日。
会場運営者は君らの何時間も前から会場設営をして、君達が帰った後、片付けをする。

裏方としての8時間は、いつもと違う疲れ方を感じたであろう。
いままでは見えなかった世界が見えたと思う。

日曜日はサッカーだけではなく、様々なスポーツが行われていて、沢山の人達が全力で楽しんでいることも知ったと思う。

世界は君達が中心でもないし、サッカーが中心でもないという当たり前の事を知れたのではないだろうか。

15歳でそれを知れた事は大きな財産。

それを知れた上で、サッカーを全力で楽しんで欲しいと思う。

人生に、サッカーに活かしていって欲しい。

八ヶ岳は君達の青春の大地。

その八ヶ岳に全国から集まったアスリート達を裏方として支え汗をかく。

PRIDE OF YATSUGATAKE です。

追伸。
松井さん始め、多くのスタッフの皆さんはこの日が来る数ヶ月前から毎日準備をしていました。
そして明日からは八ヶ岳の清掃等の片付けもあるであろう。
一日だけ関わった子ども達には到底比べられない裏方としての労力は私の想像を上回っていると思います。
それだけに、うちの子ども達に関わらさせて頂けたことは本当にありがたいと感じています。
今日だけで大変だったなんて言ってはならないとも思っています。

スタッフ・アスリートの皆様。足手まといであつたかと思いますがありがとうございました。

なにはともあれ。お疲れ様でした。(^^)!

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今回は選手3名がエントリーしました。
表彰台には上れませんでしたが良い経験ができました。
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この仲間は一生涯の仲間です。

Better together

5月31日日曜日大安。東京青山にて長男の挙式・結婚式が行われました。
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既に新婚生活はスタートしておりましたが、
結婚式・披露宴を挙げて息子が新たなる人生の道を歩み出したんだと実感しました。
そして嫁さん家の皆様方とも親族になったと確信しました。
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田畑家に最高の嫁さんが加わりました。

私が結婚したのも長男と同じ25歳でした。
結婚と同時に東京から八ヶ岳へ夢と希望を抱いて、
一人も知人のいない見知らぬ大地へやってきて1年後に誕生したのが長男壮一朗です。

あれから27年。私と妻と歩んだ人生の道もまた長男壮一朗と共に歩んだ人生でした。
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25歳。借金とともに世間知らずの若造がDENを立ち上げ(^^)! 無我夢中の毎日でした。
(おそらくこれからも・・)
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DENオープン2週間後にスポーツ少年団登録とともに監督。
4年間未勝利の弱小チーム、存続の危機、幼児サッカー普及活動、ジュニアユースクラブ設立、NPO設立、市スポーツ施設指定管理受託、ヴァンフォーレ甲府と業務提携締結、等々。

全てが前例のない、真似ることの出来ない、初モノづくしの連続でした。
(おそらくこれからも・・)

気がつけば八ヶ岳はサッカー人口ゼロからサッカー不毛の地とは言えない所まで発展し(^^)!
気がつけば、DENの借金も完済し(パチパチ)。
気がつけば、長男・次男は立派?に成長し(ほんとかな・笑)。
気がつけば、大学受験を控えた高三娘を残すのみとなり。
気がつけば、私の額は年々広がって白髪オヤジと劣化しました。(^^)!

浦島太郎のように27年前が昨日の事のように感じます。

ひとつも劣化していないことがあります。
それは、DENのクオリティーと、家族を大切にすること、子ども達への愛情と、サッカーへの情熱です。(^^)!

そして、27年前山梨の知り合いが0人であった私が、沢山の友人・知人に囲まれるようにもなりました。
大袈裟かもしれませんが日本中に私の友人がいてくれている。海外にも少し。(^^)!
そして沢山の教え子達と今もこうして笑顔で再会ができる。
「あの時は最高に楽しかった」と語り合える。
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私は本当に幸せです。

[一緒にいると楽しい]と感じる人達と毎日触れ合える。

好きな事をやって生きて行ける。

家族がある。

子ども達の素直な眼差しを感じながら、汗の臭いに囲まれながら、
沢山の方々からエネルギーをいただけている。

人生は本当に素晴らしい。

全ての人々に

感謝!

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Better together. ~  一緒にいると楽しい!

年頭所感2015

今日は「人日の節句」でした。一般的には七草粥を食べる日だ。
陰暦1月7日はお正月最後の日でもある。

古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。

また、この日には7種類の野菜(七草)を入れた羹(あつもの)を食べる習慣がありこれが七草粥となり江戸時代より一般に定着した。人日を含む五節句(1/7,3/3,3/5,7/7,9/9)が江戸幕府の公式行事となり、全ての武士が七種粥を食べて、一年の豊作と自然からの新たな生命力を得て無病息災を願い人日の節句を祝った。
——Wikipediaより抜粋——

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今日はそんな日なのだが、朝一の富士山を冷たい空気の中で観ていると、まさに自然からの新たなる生命力を得ている自分がいる。
エネルギーをいただけているように感じる。

私は人生の半分以上、4半世紀以上、子ども達とサッカーを通じて監督という立場で携わらさせていただいてきた。

私みたいな身分不相応な者がこんなにも長く人の上に立たさせて頂けている事に全ての方々に感謝しかない。

20代の頃は子ども達と一緒にボールを蹴っていた。
自分のチームが勝った負けたで喜んでいた。
私の方が紅白ゲームで活躍して子ども達から「大人げない」と何度言われたことか。(^^)!

30代の頃はトレセンコーチや近隣スポーツ少年団の子ども達も教えたりする中で他チームの子ども達とも交流ができ、試合の勝ち負けよりも選手の技術を育てる事が楽しく感じるようになった。

40代の頃はサッカー協会の理事や様々な役職を経験する中で山梨県以外のチームや組織も考えるようになった。

50代になって、息子達や教え子達の多くも社会人となつていく中で、サッカーを通じて子どもと親が、その子の家庭が幸せになれば、それでよいのではないかと思うようになってきた。

それでも、
20代の頃から変わらない事がある。

子どもが主役であるということ。
迷った時は、子どもにとって幸せな方で判断して進んできた。

日の丸を付けた選手をこの八ヶ岳から誕生させるという夢。

この思いは変わらない。

いや、益々強くなっている。

その中で感じてきた事は、
子ども達から得られる事、学ぶ事の方がはるかに大きいことであったなと思う。
今があるのは紛れもなく子ども達と接し続けさせていただけたからだ。

富士山や八ヶ岳の山々からいただく自然のエネルギーに負けないだけの大きな人間としてのエネルギーをもらい続けてきたことだ。

たまたま子ども達より先に私が生まれてきただけであって、私よりもはるかに優秀な子ども、感受性の強い子ども、もちろんサッカーも上手な子ども等沢山いる。

教師でもない私ではあるが、子どもと親の出会いのように、
縁あり、私と出会った素晴らしい子ども達に、
私ができることはやはり教育者、指導者として精進していくことである。

そう感じた人日の節句日でした。

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そうそう、20代の頃から変わらない事がまだあった。
試合したい、ボール蹴りたい、ゴール決めたい、勝ちたいと思う気持ち。
俺はサッカーが大好きであるということは28年経っても変わらない・これからも変わらない(^^)!