本日DENは25周年を迎えました

本日、2013年5月1日。

DENは25周年を迎えました。
監督としても25周年を迎える事になりました。笑

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1988年5月1日。
25歳で夢を抱いて・・借金背負って・・・(笑)・・東京よりこの八ヶ岳へやってきたのが昨日の事のように思えます。

翌年に長男が誕生。
当時は右も左もわからず、知人もいませんでした。
試行錯誤の連続でした。
多くのお客様が私より年上でした。
今思えば気づかない失礼も多々あったかと思うとゾッとします。

長男を小学校に通わせ次男を保育園に連れて行きながら、ふと思った事もありました。
「この子達を大学に行かせることはできるのだろうか」
「間違っても私学の高校は無理だろう」
シャトレーゼでケーキをたまに買ってきて子ども達が喜んでくれるのが嬉しかったのが懐かしいです。

それでもなんとかなるものですね。
長男は東京の大学を卒業し社会人として自立、次男も東京の大学4年生となり就活?と部活とバイトの日々。
長女も自分の夢へ向かって高校へ進学しました。
そして妻とも4月18日に銀婚式を迎える事もできました。

余談ですが、今年もDENには25年間この時期五月人形が飾ってあります。

3人の子ども達は反抗期はありませんでした。

今も昔も同じです。
妻ともおそらく夫婦喧嘩はないと思います。(コワイですけど・笑)
おそらくそんなヒマがなかったのかもしれませんが・・・。

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DENが25周年を迎えられたのは沢山のお客様のおかげです。
未だに1988年より毎年ご利用いただいているお客様もおります。
10年以上毎年ご利用いただいているお客様も沢山いらっしゃいます。
本当に幸せなことです。

お客様でありながら沢山のアドバイスをいただきました。
多くの事を学ばせていただけました。
多くのお客様が今では信頼できる友人としてお付き合いさせていただけている事が私の財産となっています。

そして、私のエネルギーの源はグランデの子ども達です。

立派に成人した息子達ではありますが、自分の息子娘同様に、若造であった当時の私には気づかなかったことが今は気づけるようになってきました。
「あの時、もっとこんなことも伝えたかった」
自分の息子達に伝えたかった事を今のサッカーの息子達へ伝えたいと思っています。
もちろん愛情の量は今も昔も変わりません。

私は本当に幸せ者だと感じています。
この歳になっても未完成の子ども達の成長に関わる事ができるのですから。
(もちろん私も未完成です・・・)

日々、素晴らしい人間味ある青年を育てていきたいと思っています。
もちろん日の丸を胸につけられる選手をこの八ヶ岳から出現させる事に挑戦していきます。
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これからもDENもGRANDEも続きます。

更なる挑戦を続けていきますので叱咤激励をよろしくお願いいたします。

そして、こんな熱い!オヤジを今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

感謝。

2013年5月1日  田畑雅宏

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VW・・・

この三連休は

高校受験をしている娘に関連した

「大発見」の思考法を読んだ。

 

iPS細胞の山中伸弥さんと素粒子の益川敏英さんの2人の対談本である。

以下『「大発見」の思考法』 文春新書(山中伸弥・著 益川敏英・著)より抜粋

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無駄が僕たちを作った。

二人とも自営業の家で、ほったらかしで育った事。

小学生の頃の成績は優秀ではなく、友達と遊んでばかりいたこと。

宿題もやらず通信簿に1以外全てが並んでいたこと。

高校時代ラグビーに明け暮れ骨折を10回以上したことがキッカケで整形外科医を志すことになったこと・・・・。

 

計算が速くできることが大切ではないこと。

一見無駄なものに豊かな芽が隠されていること。

考えるとは感動すること。

「うわっ!スゴイ」とビックリできる感受性ある人間が伸びる。

 

ここまで来た原動力は何ですかの問に対して

「それは憧れである」と語っていたこと。

本や論文で読んだ科学界の偉人に憧れがあった。
そして、自分もその方に近づきたい、自分の知らない世界を知りたい。その先を知りたい。そんな感受性を刺激されることによって人は成長し近づいていくものではないか・・・・。

 

僕は一睡もせずに三日間不休不眠で考え続けた事が二度ありました。

 

成績があまりよくなくてそんなに優秀そうでなくとも「絶対にこの研究をやりたい、続けて行くんだ」という意志の強さや人柄の良い学生が研究室では採用される事も多い。

「勉強ができる」のと「研究者」に向いているのは全く違うんですよ。

 

伸びる学生は自分でテーマを見つけて温めていたり、自分で問題に切り込む力があったりですね。

一方頭が良くて目端がきくだけの学生は流行の問題もいち早く理解してチャカチャカと論文を書いてくる。

頭が良いからやっている研究が難しくなるとすぐそのことに気づくわけ、だから簡単に軌道修正してできそうな研究に進んでいく。

器用だから准教授あたりまでは若くしてスイスイ行っちゃう。

だけどそのあたりから突然ダメになる。

結局、器用貧乏でしかないんです・・・・。

 

 

VW・・・Vision&(Hard)Work

つまり「明確なビジョンを持ってそれに向かって一生懸命努力すること」それが研究者としての成功する条件です。

日本人は勤勉ですから努力は得意なんですが、明確なビジョンを見失いがちなんです。

夜遅くまで論文とか書いたりして「自分は凄く頑張っている」と思い込み満足してしまう。

ふと気づくと何のために努力しているかわからない方が多いんです。

ビジョンがなければ無駄な努力に終わってしまう・・・。

 

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そんな内容でした。

 

そんなわけでこの三連休は選手達にも、「ただ走り回ってヘトヘトに汗かいたから俺は頑張ったのレベルから自分のやりたいこと、挑戦したいことを今日は出し切れたかどうかを大切にしよう」と問いかけました。

ただしな自分のやりたいことが見つからない選手はやはりヘトヘトに走り回ることからやることが大切だと思うよ。
人生においてもな。

「創造力なき日本」で村上隆さんが「社会は理不尽に満ちている・・・そういった十字架を背負いそれを作品に反映させていくのが芸術家である・・・」と語っているようにやはり理不尽であっても監督を信じる。

この頃TV等で教育評論家の方々がスポーツの理不尽さは許せないなんて語っているけど。
この人達は自分が子供の頃に本当に信頼した先生に出会った事があるのだろうか。

自分のお母さんを想像してみればわかる。
毎日が理不尽の塊だろうに・・・(全国のお母様スイマセン)。
それでも一番心許せて一番好きなのはカアチャンだろう。笑

ヤスさんが以前言っていたように、サッカーは理不尽である。
ゆえに監督が走れと言えば走ればいい。踊れと言えば踊ればよい。

そしてサッカーはやはり芸術だな。

真っ白なキャンバスに自由に好きな絵を描くことが大切だと思うよ。オレはね。
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Changing a Blog Address

私のブログ「フットボール症候群発令!」DensBlogも2005年10月16日のフットサル日本代表監督のセルジオ・サッポさんの記事からスタートして7年と4ヶ月近くなり411の記事を書き続けていることになりました。

この時からテーマはフットボールに関する事、又はフットボールに結びつける事を含めて長文で書くこと、1ヶ月に4作を書く事を意識してきました。
広く多くの方に読んでもらうことの意識は全くなく、時にはクラブの一人の選手への投げかけであったり、自分の今の心境等でをなるべく正直に熱が冷めないうちに書くことを意識し続けてきました。
だから、冷静に後から読むと、誤字脱字も多いし文脈も滅茶苦茶、起承転結になっていない作も多いけど。なるべくそのままにしてある。
それでも、ここ数年は多い日は1日500アクセスを超えているので誤解を招くような書き方はしないようには意識はしています。

今回、ブログのアドレスとサーバー等を移転することになりました。
理由は今まで契約していたTypePadタイプパッド)の日本法人が無くなるということで、サポートがUSのみになってしまうことへの不安と今後のことも考えて私が持っているドメイン「VGOAL.NET」(カッコイイでしょ!)を使用して今主流のWordPressワードプレス)を使用してみることにしました。もっとも移転・設定に関しましては知人にお手伝いしてもらいました。
ようやく公開できるところまできましたので皆さんにお知らせさせていただきます。

今後は「フットボール症候群発令!」DensBlogは今ご覧いただいてる

https://vgoal.net/football/

アドレスでブログを書いていきますのでブックマークをよろしくお願いいたします。

まだリンク切れや画像切れもあるかと思います。その節はご指摘いただけますと大変助かりますので教えてください。
レイアウト等もまだ少し変わっていくかと思います。

話しは最初に戻りますが、昔の記事も久しぶりに読み返すと、なかなか良い事も書いてあったり、あの時の俺はこんな事に悩んでいたのか・・・。
若い!!!
色々な事が蘇ってきます。
性格だとは思いますが、コツコツと毎回やり続けていくとやはり財産になるものだとしみじみ思います。7年前ブログ開始したときと同じルールを未だに続けていられることの先読みと継続性。

そんなわけで、先読みも含めて

https://vgoal.net/football/

ですので重ねてブックマークをよろしくお願いいたします。

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GRANDE10thAnniversary

昨年暮れ。2012年12月30日。関連サイト

クラブ創設10周年記念式典をOB・保護者様方々が中心となり開催していただきました。

こんなにも素晴らしい会を開いていただけた私はなんと幸せな人間なのだろうと心から思いました。

「感謝」という言葉がこんなにも心から感じた事はありません。

「感無量」とはこのような時に出る言葉なんだとも思いました。

どれだけのクラブチームが10周年の式典を行っているのかわかりませんが、こんなにも温かい心のこもった式典は世界一であると思います。

自分を祝っていただくには自分だけではどうにもなりません。

必ずや周りの方々にお世話にならなければなりません。

そんな保護者の皆様に支えて頂いている私は幸せ者です。

記念誌の作成、協力企業さまへの挨拶・・・・受付から始まり、プロの司会者の配置、招待状、会計・・・そして素晴らしい集合写真。

この集合写真ですが開催時に撮影し、終了時にはロゴと文字を入れて六切りにプリントして封筒に入れてOB達にお渡しするという最先端の一流IT企業なみの早さと素晴らしさです。
なんでも遠方から来たOB達への配慮だそうです。・・・流石です。

いつも、色々と偉そうな事をしゃべり続けている私ですが、この日は何もしゃべる事がありませんでした。

ただ、ただ、感謝の言葉だけです。

心で大粒の涙を流すことができました。

スタッフも保護者様より花束をいただいたのですが
飯田忠子さんからは私の妻への気遣いをしていただけた事が本当に嬉しかったです。

大輔は俺にプレゼントを持ってきていました。
大輔とはいつのまにか本当の師弟関係になったんだなと思います。

村田さん、羽生田さん、光郎さん、タケトも自分が花束をもらったのに挨拶では私に対しての感謝の言葉を話していました。

みんな、自分の事ではなく私への気遣いをしていたことに対して本当に素晴らしいスタッフに恵まれていると改めて感じました。

大勢のOB達と久しぶりに顔が見られてとても嬉しかったです。
それにしてもいつのまにか10期生を送り出す年になったんだとつくづく感じています。

あの時は「悔しい」と思った事も今となっては「嬉しい」に変わっています。
あの時の悔しさが自分のエネルギーにもなったと思います。
それでもいつの時も自分を応援してくれた方が必ずいました。
それが支えでもありました。

あの時の悔しさが今は幸せと感じるのだから人間とはポジティブな生き物だと思います。笑

10年前寒空の20時過ぎに選手3人と俺と4人で薄暗い静寂な森の中のグランドで鳥かごをしていたクラブがマイクロバスを持ちグランド管理を北杜市より任され常に山梨県Aリーグ3位以内にいるクラブになるとはあの時は思ってもいませんでした。(世界はあの時から目指していましたけど・・・ね!)
もちろん今も成長途中の弱小クラブです。
世界を意識した挑戦はまだまだですが。今は少し・・・過去を懐かしむ自分です。笑

実はここ数ヶ月10周年記念誌の写真を整理していました。

写真を観る度に10年前は若かったと思いました。
5歳のナツキが今年15歳ですからね。
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知識・経験もまたあの頃から比べたら相当増えたとも思いました。
今の俺であったならあの頃の選手へは違うアプローチしていたな・・・などとも思う半面、若さゆえに今では出来なかった無謀な事も相当していたとも思い出しました。

一つだけ10年前と変わらないのはやはり・・・選手の事を常に考えていた事と情熱でしょうか。ホントです。
あっ!未だにフットサル大会で得点狙っているのも・・・変わっていないようです。

ヴァンフォーレ八ヶ岳に名前が変わったけど、やはりグランデなんだなと思いました。
この八ヶ岳には確実にグランデという血が流れている事も確認できました。

今回の10周年で確信できた事は、やはり「感謝」の気持ちを持てる事の幸せだと思います。
10年前、ボールが蹴れるという「感謝」を感じていたように・・・。

サッカーチームだとどうしても「勝利」とか「打倒」とか「戦え」とかのキャッチフレーズが多いのが普通かと思いますがやはり私は「感謝」です。

そして私が今回の10周年への「感謝」への恩返しは今まで同様に子供達へ真心込めて向き合う事しかないと思っています。

もちろんCORAZONGRANDE!で!

本当にみなさんありがとうごさいました。

これからもよろしくお願いいたします。

2013年1月吉日 ヴァンフォーレ八ヶ岳 代表 田畑雅宏

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関連サイト


Rock garDEN

先日の日曜日は第86回目のDENCUPでした。

今回も楽しみました。

と・・・言いたいところでしたが、予選で内側側副靭帯を伸ばしてしまいました。

先生から松葉杖も奨められましたがもちろん笑顔でお断りしました。
せっかく1位抜けして教え子達との準決勝を楽しみにしていたのに残念でたまりません。
おまけに負けたし・・・。
もちろん、私抜きで優勝したら・・・もっとショックだと・・・思います。
DENCUP20年近くやっていますが、怪我も沢山ありましたが今までは試合出続けましたが、今回は監督業への支障を考え・・・辞めたあたりに・・・50間際のおやじとしての守り・・が見え隠れしだしたようで喜んで良いのかつまらないオヤジになりつつあるのか微妙な心境です。
それでも、今回も狙い通りのミドルシュートも決められたので半分はノルマを果たせたと思います。

6a0120a62b9f2a970b0168eaa4b1b2970c-800wi今年はPTAの会長そして娘も3年生と言うこともあり、3年生修学旅行に例年に無く関心が行っています。また、今年は2年ぶりに沢山の八つ橋を食べられて感謝です。

3年生のみんな心づかいありがとう。
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そんなわけで昨日は京都奈良の修学旅行をテーマに、選手達には世界遺産に指定されている竜安寺の話しをしました。

石庭の石は有名ですが、修学旅行生の3年生が15個の石の話しを知らないのには参りました。

そんなに私も詳しくないので違っていたらスイマセン。

庭には石が15個無造作に置かれているようで実はどこから眺めても必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているそうで、14個しか石を数えられない庭なのです。
東洋では15という数字は完成されたものと考えられているそうで満月を十五夜と呼ぶのもその辺りから来ていると言われているそうです。(アヤトお前の背番号1と5の間にマジックで小さく+と書いておけ・笑)

物事は完成した時点から崩壊が始まるという考えから東照宮の建物もわざと不完全にしてあると聞いたことがありますし、建物建てるときもわざと釘を一本打たないでおくということも聞いたことがあります。
実はDENも一部屋だけ1988年の設立からルーム番号をつけていないし、ステンドグラス工房は傾いて建てました。これから真っ直ぐになるという意味を込めて・・・。
(知っている人はいないだろうな・・・きっと)

そんな考えから石庭の石も不完全な14個に見えるようにしてあると。

だから、お前達も、足りない所があるということはコンプレックスでもなんでもなくて実は可能性があるということだから素晴らしいことなんだ、大切なことは「自分はまだまだです」という気持ちを持ち続け努力しつづけていけるかどうかがであって、満足した瞬間から崩壊が始まってしまうぞ・・・。
「俺は完璧」が一番アブナイ。
そんな話しをしました。

「だからな、Aチームに○○が常にいるんだ。完璧にしないために、わざとバランス崩しているんだ。分かっただろう」

ここは冗談で言ったつもりが1名抜かして全員が納得しているのには俺も笑った。

そうは言っても、この脚を早く「完全」に治したい。

次回DENCUPはリベンジです。