この日の晩に試合頑張っていた選手の一人から写メール付きで、「○○です坊主にしました。DFがんばります。,,,,,,,,,,以下省略。」
と、メール来た。
(掲載は了解済みだよ)
理由は胸を貸すつもりで望んだ試合で気持ちで負けたからだそうだ。
毎年この時期、この流れ、、、、クラブ代表者としては複雑だ。
おいおい今年も坊主か、、、。
大昔の体育会系、、、某サッカー部を思い出す。
坊主とは房主と書くらしい。地位の高い僧侶も指すらしいが、頭を刈る=坊主=小僧の方であることは間違いない。
なので頭が丸刈りでなくてもこいつら小僧であることになんら変わりはない。
小僧とか坊主とかは私にはなんだか憎めない愛情ある言葉に響くのだが。
うちのクラブはドリブル・ショートパスを主体とした
見ている人も楽しくなる選手が自分で考える創造性豊かなサッカーを目指しています。
がキャツチフレーズなのに、、、、。
試合に負けて坊主になるのなら、
指導者も坊主にならなけりゃ、選手は納得しないだろうに。
あっ!その日の采配某コーチは既に坊主か、、。
坊主は罰ゲームでもないし、そん簡単に頭まるめていたら、、、、、。
選手も身が持たないな。
政治家や今話題のコムスンの会長、、、みんな坊主になつて謝罪したらどうなんだろう???
耐震偽造問題の設計士姉歯さんはカツラだつたようだが、、、、。
話戻るが、この顔見ていたら、、、、。
坊主も悪くないかななんて、思わず笑みがこぼれた。
長い人生、、坊主になるのもそうないだろうし、なにかきっかけないとね。
近頃、頭も気になりだした私としては髪多くて坊主だなんてなんと贅沢なことか、、。
○○君、いつも通り全力を出し切っていたしね。
この坊主写真見ながら、、、彼の成長を想像するととても楽しみだ。
坊主にするもしないも、本人の自由意志。
私としては清潔感たっぷりで、好感もてるし気持ちいいけどな。
ロン毛に茶髪、眉毛ソリは駄目だけどね。
問題は坊主にしたことで自分の気持ちが前向きになるのなら良いだろう。
一番良くないのは「試合に負けたから坊主だって、、、」
なんで坊主にするのか理解もなく嫌嫌やることはなにもプラスは生まれない。
まさにリアクション。主体性無し。
親が聞いたら、なんてクラブだなんて!思うことだろう。
私もトレセンに選手出して帰ってきてそんなコメント聞いたら、、一瞬とまどうだろう。
しかし、待て。
そんな事を言ってくる選手にどこか間違いはないのだろうか、、、、。
「うちの子に限って、、、、」はおきまりのパターン。
まあ、親に好感もたれるよりも選手優先だけど。
自分も小学生5年生の時、洋服着たまま川へ友達と飛び込んだ時。
なんともいえない友情というか連帯感というか生まれた時を思い出す。
2日後の今日、坊主姿の1年生多数。
みんな目が輝いていたのは想像通り。
この日のトレーニングマッチも坊主連中良いパフォーマンスだった。
今回はこのまま見守ることにするが、
以前坊主にしたときは3学年全員坊主にした事が、今回との違いかな。
恒例行事にはくれぐれもしないように。