心を整えた2日間

先ほどまで岡山へ行っていました。
片道8~10時間の運転はなかなかでしたが楽しいひとときでした。
大阪からあと3時間20分と表示しているナビを見たときには思わず笑っちゃいました。
まだまだ若者達よりも気力・体力はありそうです。笑

何処へ行っても楽しいことばかりです。
なぜならば新しい発見の連続だからです。
泊まりでありながら着替えもなにも持たずです。
持っていったのは子ども達のサッカーノートと作文とAirMacだけです。
あとはプラドに載せたままの荷物でどうにかなると思って今回も出かけていきました。

改めて、環境とは与えられるものではなく、創意工夫によっていくらでもできるものだと再確認できました。

自分の心を整える2日間となりました。
友人の石井先生、野村先生。感謝です。

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フットサル全国大会優勝の垂れ幕が真っ先に目に飛び込んできました。
作陽から3名がフットサル日本代表U18に選出されました。
山梨に掲げたかったな。14
作陽のトップチームのTRを見学させていただきました。
まず驚いたのが設備の無さです。(^^)!
ボール袋やミニ・ゴールその他がホームセンターから買ってきた手製のものばかり。

インテリジェンスのイメージが強かっただけに資金豊富に設備も整え都会のスマートなチームを想像しておりました。

そしたら・・・。
山に囲まれ、津山の駅も小さくて・・・なんかうちのチームと同じ臭いがありました。
ここですでに親近感バッチリ。

自分達もお金のないクラブですが、まだまだ知恵を絞り切れていないと気づかされました。

そして週末全国大会初戦前でありながらトップチームが土のグランドでのTR。
この頃ジュニアユースは人工芝を使用させてもらえる機会が増えているのですが、土の方がイレギュラーもするしこの中での止めて蹴るの方がごまかしがきかないという当たり前の事に改めて気がつかされました。

フットサル日本一へ導いた三好コーチともお話もできました。
作陽OBのFCヴィパルテの頼経さんや熊本から来ていたFCアルバランシア監督松井さんとも知り合うことが出来ました。
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野村さんとは意気投合です。7時間近く呑んでいたと思います。
人生観、サッカー観共に波長があいます。よって永里さんと呑んでいる感覚でした。
また行きますね。
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いつ寝たか記憶にないのに・・・翌朝の朝練を見学しました。
我ながらよく目が覚めたと思う。
もちろん野村さんは流石です。しっかりと指導しておりました。
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作陽高校に刻印されておりました。共感します。
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倉敷の街を岡山で超有名なヤンキー先生・石井先生に案内してもらいました。
カズさん。美味いメシと美味い酒。
2日間心のこもった「おもてなし」ありがとうございました。感謝。
八ヶ岳来たときに恩返しさせてください。
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8有名な喫茶店「エルグレコ」 アイビー発祥の地
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サッカーは芸術ということで大原美術館を見学。
ミレ、ピカソ、モレ、ゴーギャン、ロダン、エルグレコ・・・・様々な作品を観ていると、
みんな作風も手法も全く違う。
サッカーも真っ白いキャンヴァスに好き勝手に描かないとサッカーは芸術の域までは達しないと思いました。
果たしてそのレベルまで極められるでしょうか。

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こんなお店も覗いてきました。

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さて、
これから今日のトレーニングとシルバーウィークの連戦そして高円宮杯に向けての準備です。

このところ、なんとなくこころが乱れていた私ですが、
こころを整えられることができました。

感謝。

お前なんかにできるわけがない。Ⅱ

 

今年1月にブログに書かさせていただいた植松努さんに昨日お会いすることができました。

不思議なものです。
前回のブログでは植松さんの本を読んで勝手に親近感覚えただけと書いていたのにまさかその4ヶ月後にお話ができるとは思つてもいませんでした。
写真撮り忘れたけど引き合わせていただいた中川さんには感謝です。

中川さんは私が観たTEDをやはり観て感動して今回山梨で植松さんの公演会を実現した方です。中川さんとは共通の友人もいたこともあり、この4ヶ月何度となくやりとりをさせていただき公演実現のこの日がとても嬉しく思いました。

河口湖で試合終了後、今日は負け(^^)!でしたので、
車中は明日のトレーニングのことを考えながら公演会場に向かいました。

「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」という古来剣術からの言葉があります。
いつも負けたときはこの言葉を呟きます。
試合後、勝てた試合だったのに・・・声がちらほら聞こえてきました。
あれだけのシュートを決められない技術の未熟さ、試合を冷静に戦えない心の未熟さ。
やはり負けに不思議な負けなしですね。

話しは戻りますが、公演会には富山やら神戸やら九州からと県外から多くの方で会場は満席でした。
公演40分前に到着したのですが既に植松さんは会場におり公演開始1分前まで一人一人に誠実に受け答えをしておりました。
そのまま2時間話し続け終わった後も40分は誠実に受け答えをしておりました。

私がその立場であったなら同様に振る舞えていたであろうか・・・。
おそらくはギリギリまで控え室にいて登場したのではないだろうか・・・。
今回もまた多くの事を学べました。

その後、懇親会にも出席させていただき偶然にも植松さんが隣に座っていただけたこともあり短時間でしたが密度の濃い時間を共有することができました。
これもまた必然なのでしょう。

話しを聞けば聞くほど、すればするほど、相通じるものを感じました。
よつて、お話の後に怪しいオヤジのツーショツト写真が出来上がりました。
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FBの背景写真にしたら新宿2丁目方面の方々からリクエストが殺到しますかね?笑

DENには飾らないようにします。(^^)!

実際お会いして感じた事は、植松さんは私の想像以上に誠実な方でした。
本当に心から子ども達に夢を伝えたいと思っている方でした。

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ある意味、子どものこころを持った大人でした。

私が聞くよりも子ども達に聞かさせてあげたいと思いました。
次回チャンスがあるならば子ども達を連れて行きたいと思いました。

思うは招くです。

「FUTBALL」

2015年度版のアスレタ&DENコラボTシャツが仕上がりました。
毎年100枚~300枚作り続けて15年目となりました。
アスレタさんとのお付き合いも長くなりました。

この頃、色々な継続している事が10年単位になってきました。
歳を取るわけですね。

ちょうど一年前、最年長受講者として箱根でB級フットサルライセンスを受講していました。
毎晩朝方までパワーポイントの資料作成と試験問題の勉強、実技オーガナイズでした。
毎日睡眠時間2~5時間は今となっては良い思い出に変わりました。

この時に一人一人5分間の自己紹介の時間がありました。
私がホワイトボードに書いた言葉は「FUTBALL」でした。

フットボールとはFOOTBALLではなくてFOOTBALL×FUTSAL=FUTBALLです。
なぜならばFOOTBALLとFUTSALこそが私の人生そのものであるからと言った内容でした。

サッカーを始めたのが9歳の時、サロンフットボール(フットサル)を始めたのは10歳の時でした。
気がつけば現役プレーヤーとしても40年以上となりました。

小さいときから普通にやっていたのでどちらも私にとっては大切なフットボールです。

ですので、私はFC(フットボールクラブ)にこだわります。

フットボールにはフットサルやビーチサッカー、ソサイチ、他にもブラインドサッカー、アンプティ・・・・なんでも含まれます。

11人制のフットボールが一番偉いなんて思っていません。
野球でいうところの4番バッターが11人制のフットボールといった感じでしょうか。

間違っても、「あいつはサッカーではダメだったからフットサル始めたらしい」なんていうニュアンスの発言をする指導者は指導者の資質が欠落していると感じます。

ですから、JリーガーからFリーガーに移籍する選手やFリーガーからJリーガーに移籍する選手が頻繁になる時代を夢みています。
もっと踏み込むとフットサル等の生活環境も向上させたいと思っています。

「サッカーとフットサルは特にトップレベルでは全く違うスポーツだから無理でしょう」と冷静に解説されたことも何度かあります。
たしかにその通りだなと思う点も沢山あります。
なぜなら過去のデータ等の結論だからです。
まさにゲーム終了後の解説者さんと同じです。

別の言い方をすれば、それは今現在、そんな選手がいないからの話しです。
ひとりでも出現すればそれに続く選手がでてくるのは皆さんも想像がつくかと思います。

フットボールとは様々な条件変化の中、自分で判断して常にゴールを奪う、守る、連続のチームスポーツです。

コートサイズ、人数、その他条件が変わった中でも常に最適な最高のパフォーマンスを発揮できる選手こそ本当のフットボールプレーヤーでしょう。

ジュニア、ジュニアユース年代に携わっていると、人工芝グランドでないとパフォーマンスを発揮できないのか、しないのか?コンディション悪いとモチベーション下がる?
そんな選手が増えてきているように感じています。

育成年代の指導者として子ども達に、一生涯、フットボールを心から楽しめる環境作りを進めていきたいと思っています。

あれ?
「アスレタTシャツを作りました」の話しから違う話になってしまいました。

。(^^)!
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年頭所感2015

今日は「人日の節句」でした。一般的には七草粥を食べる日だ。
陰暦1月7日はお正月最後の日でもある。

古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。

また、この日には7種類の野菜(七草)を入れた羹(あつもの)を食べる習慣がありこれが七草粥となり江戸時代より一般に定着した。人日を含む五節句(1/7,3/3,3/5,7/7,9/9)が江戸幕府の公式行事となり、全ての武士が七種粥を食べて、一年の豊作と自然からの新たな生命力を得て無病息災を願い人日の節句を祝った。
——Wikipediaより抜粋——

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今日はそんな日なのだが、朝一の富士山を冷たい空気の中で観ていると、まさに自然からの新たなる生命力を得ている自分がいる。
エネルギーをいただけているように感じる。

私は人生の半分以上、4半世紀以上、子ども達とサッカーを通じて監督という立場で携わらさせていただいてきた。

私みたいな身分不相応な者がこんなにも長く人の上に立たさせて頂けている事に全ての方々に感謝しかない。

20代の頃は子ども達と一緒にボールを蹴っていた。
自分のチームが勝った負けたで喜んでいた。
私の方が紅白ゲームで活躍して子ども達から「大人げない」と何度言われたことか。(^^)!

30代の頃はトレセンコーチや近隣スポーツ少年団の子ども達も教えたりする中で他チームの子ども達とも交流ができ、試合の勝ち負けよりも選手の技術を育てる事が楽しく感じるようになった。

40代の頃はサッカー協会の理事や様々な役職を経験する中で山梨県以外のチームや組織も考えるようになった。

50代になって、息子達や教え子達の多くも社会人となつていく中で、サッカーを通じて子どもと親が、その子の家庭が幸せになれば、それでよいのではないかと思うようになってきた。

それでも、
20代の頃から変わらない事がある。

子どもが主役であるということ。
迷った時は、子どもにとって幸せな方で判断して進んできた。

日の丸を付けた選手をこの八ヶ岳から誕生させるという夢。

この思いは変わらない。

いや、益々強くなっている。

その中で感じてきた事は、
子ども達から得られる事、学ぶ事の方がはるかに大きいことであったなと思う。
今があるのは紛れもなく子ども達と接し続けさせていただけたからだ。

富士山や八ヶ岳の山々からいただく自然のエネルギーに負けないだけの大きな人間としてのエネルギーをもらい続けてきたことだ。

たまたま子ども達より先に私が生まれてきただけであって、私よりもはるかに優秀な子ども、感受性の強い子ども、もちろんサッカーも上手な子ども等沢山いる。

教師でもない私ではあるが、子どもと親の出会いのように、
縁あり、私と出会った素晴らしい子ども達に、
私ができることはやはり教育者、指導者として精進していくことである。

そう感じた人日の節句日でした。

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そうそう、20代の頃から変わらない事がまだあった。
試合したい、ボール蹴りたい、ゴール決めたい、勝ちたいと思う気持ち。
俺はサッカーが大好きであるということは28年経っても変わらない・これからも変わらない(^^)!

神居古潭

先日北海道旭川へ私事で行っていました。

夏が終わったら直ぐに行くつもりでしたがなかなか時間が確保できずにいました。
帰宅した翌日から北海道は積雪45センチとのことでしたので本当に運が良かったと思います。

久しぶりに神居古潭も見てきました。

神居古潭。
アイヌ語でカムイ(神)コタン(居住地)「神の住む場所」。
古くよりアイヌの人々の聖地とされた所です。

神居古潭を中心に南北にのびる神居古潭変成岩帶は大昔北海道が形成されたとき北海道の西半分と東半分がここで衝突しつながった事を証明するものとして地質学上世界的に貴重な場所。

12旧国鉄・神居古潭駅跡。
1901年開通1969年に廃駅。もちろん蒸気機関車が走っていた。60年以上前のまま現存している。
101歳まで生きた私の大好きな祖父が当時(旧日本国有鉄道)この路線の駅長をしていました。
もちろん祖父祖母のお墓参りをしてきました。

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神居古潭駅から見下ろす石狩川
流域面積全国2位、長さは3位
石狩川の語源はアイヌ語のイ(それ)・シカラ(回流)・ペツ(川)来ているらしい?

峡谷を形成する緑泥片岩は1億年以上という長い年月をかけて石狩川の流れによって浸食アイヌの人々の伝説に登場する奇岩やおう穴群(天然記念物日本の地質100選認定)を形成。急激に川幅が狭くなるため流れが激しく深く最深部は70メートルにも達する。
かつては行き交う舟がよく転覆し,アイヌの人々は峡谷に住む魔神の仕業と恐れていた。
(旭川市博物館資料より抜粋・加筆)

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コンサドーレ札幌アカデミー・コンサドーレ旭川U15佐藤尽監督と松山育成チーフにお会いする途中の上川郡東川町の夕暮風景。
冬が室内練習となり八ヶ岳に近い環境のチーム状況も参考になればとお時間を作っていただきました。
この日が外でのトレーニングラストの日でした。

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信号待ちでキタキツネ~チロンヌップカムイに出会う。3,4秒でしたがシャッターチャンス逃さず。

昼は2日間とも旭川ラーメンを食べる。

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旭川と言えば、よし乃の味噌と梅光軒の醤油は外せない。
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夜は親類の皆様から手厚いおもてなしもあり少し食べ過ぎました。

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牛舎の奥に見えるのは旭岳を中心とした大雪山系。

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飛行機の出発時刻まで旭川空港近くの就実の丘も少しですが歩きました。

壮大な北海道はやはり良いです。
コンサドーレの佐藤監督との会話の中でもでましたが、
チャンスあれば夏の遠征は北海道に選手達を連れて行きたいと思いました。

飛行機や電車の中での往復10時間は貴重でした。
買い込んだ本4冊と選手達一人一人の事やチームの事等をノートに書き留めたり、自分のサッカー感を再整理する貴重な時間となりました。

スタッフ達へのお土産は「白い恋人」。
選手達へのお土産は神居古潭、神の住む場所、北の神から頂いてきたエネルギーのお裾分けです。(^^)!

イヤイライケレ!!ヤウンクル!!