息子へ。心から楽しめる人生を!

先日、息子が結婚式を挙げました。
この日は心から待ち望んだ特別な日でした。

2年前。
言葉ではあらわせない出来事を一緒に経験しました。
息子でありながらも師弟のような関係で一緒に乗り越えてきただけに感無量です。

あの時、黙って自分の生き方を信じた決断をしました。
そして息子もまた自分の人生を信じた決断をしました。

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私はいつの間にか眠れない日がなくなりました。

息子は私から受け継ぎジュニアユースの監督になりました。

息子は素敵なお嫁さんと一緒に八ヶ岳で人生をスタートしました。

彼女もまた変わらずに息子の心を長年支え続けてくれました。

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私は息子が生まれる前からサッカーチームの監督でした。
小学校中学校の9年間、親父と息子の関係というよりも監督と選手の関係でした。

そして中学卒業と同時に県外の強豪高校へ羽ばたいて行きました。
気がつけばあっという間に親元を離れていました。

息子の高校時代も自チームの活動と重なり息子の試合もほとんど観る事が出来ませんでした。動画もひとつもありません。

そのまま東京の大学へ進学し体育会サッカー部で4年間下宿生活を送り、都会で社会人生活を7年間送っていました。

親らしい事は出来なかったのかもしれませんがいつも心で応援していました。

そんな息子が2年前に戻ってきました。

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親らしい事は出来ないと言いましたが、それだけに自分の子ども達に恥じない生き方が唯一の親としてのプライドでした。

真実に正面から向き合い、クラブの子ども達に真剣に接することがプライドでした。
信に過ぎれば損をする不器用な生き方であったとしてもです。

妻と二人で息子をのんびりと応援する生活を一度でいいから味わいたかったと今でも思う時があります。
シンプルに息子を応援するってきっと楽しいのだろうなと。
保護者さんのご家庭が羨ましいなと思った時もありました。

息子とは指導者と指導者の関係として毎日一緒にグラウンドに立っています。

本当に幸せな事だと思っています。

まさか息子とこのような関係になるなんて思ってもいませんでした。

物心ついた時から息子とは監督と選手の関係であり、今は指導者と指導者の関係ですが、こんな親子の関係が私には一番しあわせな事なのだと気づきました。

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幸せは日常の中に転がっている。
もしかしたらサッカーボールの中にも転がっているのかもしれません。
それに気づける人間、大切にできる人間であることが人生の楽しみ方の分かれ道に思えてなりません。
親の役目は子どもが大人になるまでにそれに気づける人間に成長させることなのではないだろうかと思います。

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息子へ。
結婚おめでとう。
妻や子どもを幸せに出来なければクラブの子どもたちは幸せにできません。
妻や子どもを心から一生愛し続けなさい。
笑顔溢れる楽しい幸せな家庭を築いていってください。
君が心から楽しめる人生を送ることを願います。

父より。

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ネバーギブアップフットボール!
コラソングランデ!
八ヶ岳から世界へ!

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コラソン・トラベッソ

生涯の大親友が他界して一年。
昨日は墓前へ行ってゆっくり話しをしてきました。

以下の文面は昨年にトラベッソ秋山実さんへの思いを書いていた未完の文章です。
まとめ直すか、僕の胸の中だけに書き留めておくかずっと迷いに迷い続けておりました。
秋山実さんの冥福と敬意を表して昨年のオリジナルの書きかけのまま公開することにしました。
誰にも共感も押しつけも求めておりません。
本当の秋山さんを知っている限られた方にだけ目を通していただけて、一緒に本日、秋山さんを偲べたら嬉しい思いで公開しました。
多くの方々はなにとぞスルーしてください。

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こんなに背筋を伸ばしてキーボードを打つた記憶はありません。
書きながらやはりもう泣いています。
何度も書こうと思ったけど、書こうとするとやはり書けない。
現実を受け止めたくない。
それでも書き記すことはしなくては。
尊敬の念をもって、勇気を振り絞って書いています。

大親友が先日他界しました。
朝4時過ぎでしょうか、大介から携帯への着信音。
嫌な予感が当たってしまいました。
時間が止まりました。空白の時間でした。
泣いている大介の声すらどこか遠くから聞こえていて、大介へ気の利いた言葉すら全く見つからず、かつ悲しさもなくて、なんで涙が出ないのだろうと思う自分がいました。
もう一度布団に入り、夢であってくれと祈り続けたけど、朝8時に佑太から電話が入り現実を受け止めざるえませんでした。

大親友という言葉すら軽い言葉になってしまいます。
同志というか、幕末の志士というか、志士仁人というか、共に命をかけた男同士の真剣勝負の関係であったと思います。

ヤマさんがパンチパーマで私が髪の毛真っ黒の20世紀からの付き合いです。
最初の頃は、無愛想で、怒鳴ってばかりで、うちの選手削っておきながら「そのくらいで倒れるあんたの選手が鍛えられていない」なんて言われたり、試合の途中に、「こんなゲームやっていても選手が成長しない」と言ってハーフタイムでいきなり帰ってしまったこともありました。

クラブカップでグランデがトラベにカウンター1発で0-1で負けた時は「秋山さん!そんなつまらない戦い方してウチに勝って嬉しいですかね、がっかりですよ」なんて言った事もあった。
大喧嘩も何度もした。
あの頃が懐かしい。もうできないのか。

無愛想な変なオヤジ。ヤバいなこのオヤジは。
そうではなくて、お互いがになくてはならない存在に、気づけるようになってきたのは16,7年前頃からだろうか・・・。
この人はいつも本気で子ども達に純粋に向き合っている。人生の全てを子ども達に注いでいるんだと。
表現の仕方がヘタクソで不器用な純粋な人なんだと。
それからかな、怒鳴り声と思っていた無愛想な大声が、心地よく愛情の声に聞こえるようになったのは。
子ども達に、頑張れ、踏ん張れ、負けるな、お前達が大好きだ!って言っているように聞こえるようになったのは。

俺は俺のやり方でグランデの選手を磨きぬいてやろう。
ヤマさんには負けない。グランドに立っている時間も選手を愛する気持ちも負けない。日々全精力を注いだ。
そしていつか見返してやろうと思っていたのだと思う。

私はずっと、ヤマさんの背中を追い続けていたのかもしれない。
この人には一生勝てないと、どこかで思っていたのかもしれない。

俺の張り合いがなくなってしまった。
ライバルがいなくなった俺はこれからどうしていったらよいのだろうか。
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いつも朝から晩までトラベッソとゲームをやっていた。
グランデが10-0で勝とうが負けようが関係無くて、お互いの選手達に私とヤマさんの魂が乗り移っていた。
ゲームの勝ち負けで喜んでいる選手はいなかった。
22人の中で一番輝いている選手がいる方が勝ち。
そんな暗黙な感じであったのは間違いなかった。
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二人の勝負はどちらが先に世界で活躍する日本代表選手を輩出することでもあった。

いつもこの先の行く高校にも悩んでいた。
本気の監督がいるチームは何処にあるのか。
本気でいればいるほど、本気で預けていない親には理解不能であったとも思います。

僕はヴァンフォーレ甲府に「本気の育成」を求めました。
そして10年の歳月を経てグランデ・アメージングアカデミー山梨を立ち上げ「本気の育成」を追求する決心をしました。
しかし立ち上げて2ヶ月で絶対に出来ない事に気づかされました。

「しがらみの育成」「ビジネスの育成」ばかりで、「本気の育成」をしているのは間違いなくトラベッソです。

「本気の育成」のパートナーがいるとしたらそれはヤマさんだけでした。

そして今さらながら「本気の育成」は他者に求めるものではないことに気づかされました。

昨年6月にグランデ・アメージングアカデミー山梨の代表を降りる事をヤマさんの自宅へ行き報告しました。
僕の報告を聞きながら、一言ゆっくりとした優しい言葉で「田畑さん辛かっただろうね」と言ってくれました。
顔を見上げると、腕を組みながら黙って両目から涙を流しているヤマさんがいました。

この言葉には、周りへの対応とかそうではなくて、「本気の育成」ができない中で子ども達と接している僕の葛藤を自分の事のように感じてくれているヤマさんがいました。
そこを理解していたのはヤマさんと僕の親友数名だけです。
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7月に無理して白州グランドへ来てくれた時の一枚。大介と二人でベンチ。
その後8月に本当に無理して奥様とDENに来てくれた。
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2月倒れる2週間前のトレーニングに雅哉のおかげで観に行った時の一枚。
悠も来てたな。体調悪そうだったけど、この時はまさかそうなるとは思っていなかった。

ヤマさん!
闘病中も二人で毎日話しをしたよね。
もう少し話しを続けたかったよ。
1週間電話が無くて大介に大丈夫か聞いた。それから数日後だった。
グランドにいるとヤマさんがいつもみたいに歩いてくる気がしています。
「田畑さん。グランデの選手はどうですか?うちはまだまだダメだ。思いはなかなか伝わらないけどやるしかないですね」
「高円宮杯優勝するよりもグランデだけには負けたくないよ」

ネバーギブアップフットボールTシャツをヤマさんに着てもらおうと思って作ったのに1週間仕上がりが間に合わなかったのも残念でならない。

ヤマさんから託された事も必ず

あと、

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以上、書き上げ途中のままですが誤字脱字も含めこのままにすることにしました。

偶然にも10/16に審判割り当てで河口湖へ一人で行きました。
そうしたらトラベッソの審判でした。
あの日以来、塩沢さんから大介から修さんから野田さんと揃いでお会い出来たのもヤマさんのお導きであったと思います。
トラベの選手達からはオフサイドじゃねぇだろーとか色々言われたましたが何故か嬉しくて笑みがこぼれながら走っておりました。
いつもなら蹴りです(笑)
僕はヤマさんの魂も背負って堂々とグランドに立ち続けます。
今日は静かにこれから献杯です。
ヤマさん!
グランドで待っています!

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センス・オブ・ワンダー

センス・オブ・ワンダーsense of wonder。
驚く感性、神秘さや不思議さに目を見張る感性。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠感と幻滅。
わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること。
つまらない人工的なものに夢中になることなどに対するかわらぬ解毒剤になる。

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知ることは感じることの半分も重要ではないことに気づける大人に。

子ども達が出会う事実のひとつひとつがやがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、様々な情緒豊かな感受性は、この種子を育む肥沃な土壌となる。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すとき。

感情、思いやり、哀れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたび呼び覚まされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになる。
そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につくであろう。

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消化する能力が備わっていない子どもに事実をうのみにさせるよりもむしろ子どもが知りたがる道を切り開いてやることのほうがどんなに大切であろうか。

無意識のうちに喜びの声をあげる。
嵐の日も、穏やかな日も、夜も昼も探検に出かけていきます。
それはなにかを教えるためではなく、いっしょに楽しむためなのです。

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寝る時間が遅くなるからとか、服が濡れて着替えをしなければならないとか、絨毯を泥んこにするからといった理由で、ふつうの親たちが子どもから取り上げてしまう楽しみを、わたしたち家族はみなゆるしていました。
ともに分かち合っていました。

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幼い心に焼き付けられていく素晴らしい光景の記憶は、彼が失った睡眠時間をおぎなってあまりあるはるかに大切な影響を、彼の人間性に与えているのだと私たちは感じているからです。

子ども達の世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激に満ちあふれているのです。

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残念な事に、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力を鈍らせ、あるときは失ってしまいます。
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センス・オブ・ワンダー(新潮文庫)/ レイチェル・カーソン(著)/一部抜粋引用

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センス・オブ・ワンダーは八ヶ岳そのものです。
映像ではなく、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚で人間は感じるのです。
その感性を磨くには八ヶ岳は最高です。
映像に偏って判断してしまう時代なのかもしれません。
それでも映像に映らない真実を感じられる力こそ人間力だと思います。
サッカーも同様だと思っています。
子ども達には五感でサッカーを楽しんで欲しいと願っています。

センス・オブ・ワンダーを読んでいると八ヶ岳の風景が次から次へと浮かんできます。
ここに載せた写真は八ヶ岳の日常を私が撮ったものです。
土偶は子ども達と一緒に作った時の写真です。

山を歩いているとアカゲラ、ノビタキの声が響き渡ります。
エゾハルゼミの大合唱の森もまた壮観です。
そして落ち葉と土を踏みしめる音が実に心地よいものです。
沢の水の流れる音と匂いとなんとなく皮膚に感じるヒンヤリ感は心の中まで癒やしてくれます。
人間よりも雉やリス、鹿やキツネとの出会いも楽しみのひとつです。

八ヶ岳から眺める早朝の富士山はいつも心を凛とさせます。

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誰もがセンス・オブ・ワンダーを持っているんだと思います。

その事を忘れずに、
素晴らしい光景の数々を心に蓄積しながら、
子ども達と一緒にサッカーを楽しみながら、
子ども達の成長に関われたら素敵だなと思います。

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この本と出会わさせてくれた今井さんに感謝しかありません。​

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息子が大人になってから気づいたサッカーの本質とは

育成の奥底に潜んでいる大切な価値観を忘れてはいないだろうか。

サッカーは誰のため。
ボールを蹴る楽しさ。
笑顔がある。
沢山の笑い声と心地よい汗。

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無心に。
ボールを追いかける。
青空の下。
小鳥の囀りとセミの鳴き声が響き渡る。

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昼メシの時間。
至福なひととき。
お母さんがお弁当を作れるのはこの時だけの特権。
お母さんのお弁当を今しか食べられないことに気づくのはいつだろう。

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上手くなれば、もっと好きになる。
戦術を知っていれば試合も勝ちやすくなる。
勝つことによってもっと好きになる。

新しい指導方法、洗練されたカリキュラムの模索。
どうしたら子ども達が上手くなるのか。

そう思って、前へ進んできた。
Jクラブと提携もした。
サッカーをビジネスにするベンチャー会社とも組んでみた。
でも決定的に何かが足りない。
なにか大切な大きな忘れ物がある気がしてならなかった。

試行錯誤。
自問自答。
葛藤の日々。

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どんなに上手くても、好きな人には敵わない。
どんなに好きでも、楽しんでいる人には敵わない。

上手いとか下手とか関係無くて誰でも楽しめることを頭ではなく感覚で感じられたら。
感性を磨けたら。
きっとサッカーは素敵になる。

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子ども達を見守る眼差し。
暖かい眼差しに見守られて子ども達は成長していく。

無理矢理ボールを蹴りに行く必要もない。
スイッチが入るまでのんびりと待ち続けるのも大人の役割。

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上手いとか下手とかなんてどうでもいい。
楽しければそれでよいではないか。

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もっと自由に。もっと楽しく。

大自然に囲まれて。
セミの大合唱が響き渡る中で。
ここでボールを蹴っている。
ここで同じ空気を吸っている。
ここで一緒に笑っている。
ここで一緒に汗を流している。

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それだけで幸せ。
それだけで感謝しかない。

大人になったとき。
やがて何が大切であったか気がつく日が来るであろう。

やり続けていくと何のためにボールを蹴っているのかわからなくなる時もある。

楽しむことを感じないでサッカー人生を終えてしまうことだけはさせたくない。

コーチはサッカーの楽しさを伝えられることが一番の役割。

人生は長い。人生はこれから。
人生の価値はサッカーが上手いだけでは決まらない。

ビデオカメラ片手に息子のプレーに一喜一憂していた父と母。
スパイクを一緒にサッカーショップで選んだことや、メッシのユニフォームをプレゼントしたクリスマス。

あの頃はトレセンを気にしたり、J下部や強いチームばかり探していたけど、それは親が気にすることでは無いことに今頃気づいた。

今は息子が笑顔でサッカーを楽しんでいたシーンばかりが思い出される。

サッカーは人生の全てではないが、サッカーが空気の様な存在になれたら素敵だ。

サッカーを楽しむ。
サッカーの温もり。

息子が大人になってから気づいたサッカーの本質なのかもしれません。

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もっと自由があってもええやないか

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もっと自由が、もっと遊びがあってもええやないか。

ベンチに座って仲間を応援しましょう!
君が試合に出ているとき応援して欲しいよね。
試合中に横で遊んでいたら相手チームに失礼だよね。
サッカーはサッカーの時間、アソビはアソビの時間でケジメをつけなさい。

もちろんそうなのかもしれないけど、
気心知れたチームさんとゲーム回しているのであれば、子ども達はもっと自由があってもええやないか。
もっと遊びがあってもええやないか。
それを見守っている大人がいるのであれば。
僕はそう思います。

この頃は低学年の子ども達に遊んでもらっています。
彼らと居ると心が豊かになれます。幸せになれます。
無限の可能性を感じます。

彼らの笑顔と挨拶、そして振る舞いほどnaturalなものはありません。

中学生、高校生、大学生、社会人と成長するにつれて笑顔と挨拶、そして振る舞いは少し変わってきてしまいます。

どうしても頭で考えてしまいます。
でもそれは当然の事であり悪い事でもありません。

それでも小さい時のnaturalさは大きくなってもそんなに変わらないのも事実です。
それは、その子の人間力のベースになっています。
33年間沢山の子ども達の成長を見続けてきたこともあり、近年は「間違いない」と思っています。

大人になっても自然に笑顔で挨拶、そして自然な振る舞いができたら素敵です。

子ども達の取り巻く環境の中で自由は少しずつ減っています。
誰もがリスクを恐れます。暇な時間、アソビ(余白)の時間も減っています。

日本のサッカーも、そして育成現場も同様です。

話しは戻りますが、
先日も子ども達はゲーム終了の笛が聞こえると、虫捕りやめて、木から飛び降りて一目散に試合に出る出番を知っていてダッシュで次の試合に加わります。

ゲーム中はファィトして沢山ゴール決めています。

ゲーム終わると一目散に虫取りの続きに熱中します。

そしてゲームになると全力でサッカー楽しんでいます。

泥だらけ、汗だらけで真剣です(笑)

そんな一日を過ごしています。

ゴロゴロと寝そべっている子供たちも同様です。

ゲームが始まると全力のパフォーマンスが始まります。

子供なんてそれで良いと思っています。

疲れていたら勝手に身体をゴロゴロと無意識に休めているからです。

僕はその子ども達を観ていることが幸せです。

なぜならば、

この子達が将来逞しく成長することを感じているからです。

そして誰よりも、
サッカーが大好きであることを知っているからです。

車のハンドルはアソビがあるから真っ直ぐに走ることが出来ます。

人生も同様です。

遊びがないと少しハンドル動かしただけで横道に外れてしまいます。

グランデの子ども達は沢山遊んで人生を快適に走り続けて欲しいと願います。


もっと自由が、もっと遊びがあってもええやないか。
そう感じた夏の一日でした。

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